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7-9 休息の日、君の話も聞きたくて
何度も礼を言ってきた植原の家を出てからマンションの入り口を出るまで、恭隆は満足そうな笑みを浮かべていた。横目に見ていた田崎は一つ息を吐いた。
「はー、ほんとお人好しですよね。社長は」
「そんなことないって」
上機嫌の恭隆に何を言っても無駄だと田崎は閉口し、そのまま歩き続ける。その様子を見ていた恭隆は、自身が住んでいる地域に伝わる、あの山鬼の話を話し始めた。
「鬼が守ったって書いて、「きもり」っていう地名が付いた場所でさ。山で倒れていた鬼を、村人が助けた話があったんだ。……近くの公園に、石碑があって。ユーヤから石碑に書かれた話を聞いて、小さいころに聞いたなってようやっと思い出したんだ。人と鬼が一緒に暮らせる社会ができるなら、俺たちの周りから、少しずつでもって思ったんだ。だから、お人好しじゃなくて、俺の勝手な理想なんだ。……まぁ、うちの祖先らしいんだけどさ、その話に出てくる人間って」
話し終え、昨日克彦から聞いたことを思い出せば、はたと気にかかることがあった。
(そういえばうちのグループに、その鬼がいるって言ってたな)
会長クラスにしか知られていない話ではあるが、先祖が世話になったことからか鬼をグループ内の会社で雇っている。田崎は『キーパー』という吸血鬼を取り締まる吸血鬼であるなら、知っていることもあるかもしれない。更に言えば、田崎が昔ばなしに出てくる『鬼』本人かもしれないのだ。
田崎の方を見れば、耳の先まで真っ赤に染まり、顔を背けている。
(やっぱり、そうなのか? そういうことなのか?)
「田崎くん……その」
「えーなんですかー俺知らなかったですよー」
「棒読みにもほどがあるぞ!?」
恭隆の読みは当たったようで、あたりを見渡し自分たち以外誰もいないことを確認すれば、観念したように項垂れながらも田崎はぽつぽつと話し始める。
「……俺ですよ、その鬼。眷属だって、社長の先祖ですし」
「眷属……って、あれいつ頃の話なんだ?」
いつ頃に生きていた人かまでは、克彦から聞いていなかった。田崎は吸血鬼であるから長い年月を生きていることは推測できるが、その先祖は今も生きているのだろうか。
「えー、俺がまだ子どもの頃ですし、江戸くらいでしたっけ? あれ、もうちょっと前でしたっけ」
「300年以上は確実に前じゃないか……!というか、その眷属だという先祖は……」
「今は北関東の方にいますよ。週末になれば俺も帰ることが多いですね」
「……もしかして、週末に会いに行っている恋人って」
「恋人って……!そんな恥ずかしいことばかり言わせないでくださいよ!」
田崎の顔はずっと紅潮し、滅多に話さないことであろう恋人のことまで言わされていると思っているためか、耳まで赤くなっていた。
「そんなに恥ずかしいことかな……」
「俺は恥ずかしいんです! しかもよりによって、清四郎 様の血縁者に言うことになるなんて……」
歩いてさえいなければ、すぐにでもうずくまっていそうなほどに田崎は縮こませている。
(……なんだか意外だな。田崎くんがそんなにまで恥ずかしがるなんて)
会社では滅多に見せない表情に、恭隆の機嫌は良くなる。改めて人間みのある姿を見れば、一昨日のことが夢だったのではないかとますます思いたくなる。もちろん、現実であることは理解しているのだが。
「……なんか失礼なこと考えてません?」
「そんなことないよ。それより聞かせてくれないか。その……出会いとか」
「先に社長とユーヤくん聞かせてくださいよ! どうやって知り合ったんですか?」
「俺とユーヤは……」
恭隆はユーヤと出会ったハロウィンの日のことを、かいつまみながら田崎に聞かせた。『交換条件』のことまで触れると、恭隆の趣味まで露呈するため、今は言わないでおいた。
「……庭先でダウンしてたって、社長の家でよかったですよ。変な奴のところにでも行っていたらと思うとぞっとしますね」
田崎の言葉に、恭隆は苦く笑うしかできなかった。確かに自分より悪質な人間はいるだろうが、そう言われるほどの人格者ではないと思っている。食事と引き換えに自らの癖の強い性欲を、しかも未成年に見える少年で満たしているのだから。
「俺も十分、悪質な奴だよ」
「お人好しなら分かりますけど……。そんなことないです」
前半は先ほどまでと同様おどけた感じで話していたが、否定した後半は話のトーンが変わり低くなる。
「田崎くん?」
「いいですか? 人間の底辺なんてそこらじゅうに転がっているわけじゃないんです。並大抵の人間は『マシ』って思えちゃうんですよ」
長く生きているからこその発言だろうが、恭隆はその言葉に言い表せないほどの重みを感じた。重さを感じたのは、田崎の表情にも表れているからかもしれない。今の田崎の顔は、一昨日荒川に見せたようなものでもない、嫌悪に満ちたものだったのだ。
(よほどのことが、あったんだろう……)
恭隆はかける言葉が見つからず、顔を俯かせてしまう。気を遣わせてしまったかと、田崎はおどけて見せる。
「ま、生きてれば色々な人間見ますし!その一端を見たって話ですよ。……言っときますけど、清四郎様は全然、そんなことないですからね!」
田崎は笑ってみせるが、恭隆の胸中は簡単には晴れなかった。自分でも気づかないうちに、顔は苦く険しい表情になっていたようで、田崎に笑われる。
「社長、顔すごいことになってますよ! ……他人のことでそんな風に思えるんだから、社長は大丈夫ですって」
「だが……」
言いよどむ恭隆に、田崎は今日一番深いため息をついた。怒らせたかと恭隆はびくりと体を震わせれば、田崎は一瞬眉を寄せたが、すぐに顔の筋肉は緩み、穏やかに笑ってみせた。
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