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7-10 休息の日、とある吸血鬼のおはなし
バス停までたどり着き、田崎が辺りを見渡せば、人がいないことを確認できた。閑静な住宅街は土曜の昼間だが物静かな時間が流れている。
「……昔々のお話ですよ」
小さな声で、楽しい内緒話をするかのように田崎は話し始める。恭隆は口を挟まぬよう、口を閉ざした。
「異国の地から、一隻の船が港に着き、様々な物がいろんな土地で売買されていました。それは食料も、木綿も、陶磁器も。……悪い人は、人をも売りに出していました」
予想だにしなかった言葉に、恭隆は目を見開いた。歴史上、様々な理由はあれど人身売買が存在していたことは知識として知っていたが、身近な人の口から聞くとは思っていなかった。
「ある日、のちに『鬼守 』と呼ばれるようになった地で、違法な売買を行う闇市が開催されるという情報が、ある男の耳に入りました。その男は商家の人間であると同時に、その地域の秩序を守る、警備の仕事をしていました。闇市を取り締まろうと、男は仲間を引き連れ闇市を訪れました。……その時、男と一緒に住んでいた、病弱な弟も、こっそりとついてきていました。
兄である男たちが悪徳商人を懲らしめている最中、弟は転がっていた商品の一つに気づき、思わず言葉を失います。その商品は、ボロボロの布切れを身にまとい、重い枷を手首にはめ、首輪がつけられた、異国の少年。その少年は、銀色の髪と、とがった耳をした、人とは違う何かでした。
……弟は黙ってついてきたことも忘れ、手枷が付いた少年の手を取り、思わず兄に駆け寄りました。『うちで一緒に住まわせてほしい』と、弟は言いました」
恭隆の様子を見ようとして、田崎は一度話すのを止める。ちらりと恭隆の方を向けば、いつも柔和な表情を浮かべる顔は悲痛さを物語っていて、田崎と視線が合わないように下を向いた。
「……ここに出てきた弟が、貴方のご先祖様ですよ、社長」
安心させるように、田崎は優しく話しかけ、自分より大きく広い恭隆の背を撫でる。恭隆の顔は、申し訳なさでいっぱいというように、何かを発しようと口を開くが何も出てこない。
「もー、そんな顔しないでくださいよー!昔の話だって言ったじゃないですか」
「だが……田崎くんは……」
話に出た弟が自分の先祖であるならば、売られていた異国の少年というのが誰かは容易に想像がつく。目の前で笑う部下が過ごしてきた人生の一部が、悲痛なものであったとは想像できなかった。
「まぁそんな出会いでしたって話です。あとは大体、さっき社長が言ったような感じで。村人達に受け入れてもらおうと奮闘しつつ、大きな怪物とやり合って、あとは商家の息子……清四郎様ですけど、彼と幸せに暮らしました。
……まぁ眷属になって生き長らえているので、怪しまれないように清四郎様は街を転々とすることにはなりますが。鬼が姿を見せなくなったのは、清四郎様と一緒に村を出ているからですね」
「そうか、離れ離れになったわけじゃなかったんだな」
村から姿を見せなくなったという記述は、様々な意味でとらえられる。ユーヤから話を聞いたとき、恭隆の脳裏には、商家の息子と鬼が別れてしまったのではないかという悲しい結末がよぎってしまったのだ。
「今はこうやって離れて暮らしてますけどね。さっきも言いましたけど、週末には大体帰りますし」
「……ハロウィンの日のデートもな」
「そうですけど!そうなんですけど!……また恥ずかしくなるんでやめてください……」
田崎は手で顔を隠すように覆い、小さく唸っている。よほど恥ずかしかったのだろう、先ほどより紅潮した肌がかわいらしく思えた。
「清四郎様と一緒に暮らすようになって、本条の家にご厄介になることが多くなって……。俺みたいなやつが人間社会に溶け込めるよう、雇ってもらえるようになったんです。それがずーっと、今まで続いていて。さすがに、家の人間以外には伝えられていないんで、グループ内を転々としている感じです」
「……あれ、じゃあ前に言っていた『前とかと違って』って。ほら、荒川さんとの初商談の前に掃除していた時に言っていたのは」
「そんな細かいことよく覚えてましたね!? あれは、前の社長のこととかじゃなくて、戦前とか、そのくらいの話しですよ。全然空気違いますし」
「……ありがとう、先人たちにはまだまだ及ばないけれど、嬉しいよ」
「……そう易々と礼なんて言うもんじゃないですよ」
バスが近づいてくるエンジン音が聞こえはじめ、恭隆は田崎をなだめ準備を促した。ほどなくしてバスが到着し、恨めしそうに見上げてくる田崎を置いて先に乗り込んだ。遅れぬよう田崎も続き、ゆっくりと扉がしまる。
駅に向かうバスはすでに何人か乗車しており、恭隆は騒がしくならないよう口を閉ざした。
(……ああは言っていたけれど、田崎くんは過去のことをどう思っているのだろうか)
一昨日の夜、荒川との問答の中では、好きな人が人間だったから人間を守る側にいる、と田崎は言っていた。その直前には、人間への複雑な感情を吐露していたことを思い出す。
『でも人間が言うには「食わせてやってる」んだとよ。気持ちわからなくもないけど、どっちもどっちだ』
(もしかしたら、今でも田崎くんが信用できる人間は、少ないのかもしれないな)
隣に座る田崎は先ほどのことを引きずる様子を見せず、駅までの時間を寝て過ごすようだ。乗車してまだ2分と経っていないが、すでに舟をこぎはじめている。
(それほど、疲れているのか……)
気持ちよく眠っている田崎につられるかのように、恭隆の重い瞼は自然に降りていき、駅に着き運転手に起こされるまで二人はずっと眠っていた。起きたときには慌てて降りようとしたが、運転手はにこやかに「お疲れ様です」と愛想のいい笑みを浮かべてきた。ぱっと見でもわかるくらいに疲れが出ていたのかもしれないと、二人は顔を見合わせ笑い、運転手に礼を言いバスを降りた。
駅に降りればまっすぐ改札に向かおうとした恭隆を、田崎は呼び止める。渡したいものがあるといい、駅にあるロッカーへと歩いていく。そこまで広い駅ではないが、見失わないよう田崎の後を追った。ロッカーから取り出している間、恭隆がスマートフォンを見ていれば、速報のニュースが通知欄に表示される。
昨晩――金曜の夜に傷害事件が起きたというニュースだったが、特に強調されていたのは、一カ月以上続く誘拐事件が起きている現場と隣接する地域での事件だということだ。関連性は明らかになっていないが、警察の警戒は高まることだろう。
(正明兄さん、また忙しくなるな……。って、うちの会社近くじゃないか)
ニュースに上がっていた地名は、恭隆の会社がある場所からさほど離れておらず、改めて気を引き締めなければいけないと、眉を寄せる。
「……社長?」
ロッカーから戻ってきた田崎に声を掛けられ、ようやっとスマートフォンの画面から目線を離す。田崎の手には手土産と同じくらいの紙袋があり、そのまま恭隆に手渡した。中身を確認すれば、少し古そうではあったが、紺青の色合いが強い、大人向けのコートが入っていた。
「……これは?」
「ユーヤくんに渡してください。多分、本人が見ればわかると思うんで」
「ユーヤに?」
「ええ。この前、よくがんばりましたっていう、褒賞だと思って」
見る限りはユーヤのサイズには合わないだろうコートは、少なくとも新品ではなさそうだった。誰かのおさがりだろうかと恭隆は推測したが、誰のものまでかは分からない。
「分かった、ちゃんと渡すよ」
「よろしくお願いしますね」
田崎はそう言うと、電光掲示板に映し出された時刻表を見る。あと5分ほどで来る電車に乗ると、田崎は慌てるそぶりを見せる。
「……今週も行くのか? 恋人のところに」
「俺をからかうことに味をしめないでくださいよ! ……電車より早い方法、いくらでもあるんですから!」
タクシーを使うとかか、と言いかけて恭隆はハッと一昨日の晩を思い出す。確か田崎は、事件が終わった後多数のコウモリとともに姿を消していた。つまり彼は、コウモリへの変化が可能なのかもしれない。
「悪かったよ。気をつけてな」
「社長も!ちゃんとゆっくり休んでくださいね!……また、月曜に」
「ああ、また月曜に!」
一昨日までは仕事を辞めるつもりだった田崎が、月曜に会う約束をしてくれた。恭隆はそれだけで胸がいっぱいになり、手を振って田崎を見送った。
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