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7-11 休息の日、帰ってきた日常

   日が傾き、恭隆が家に着く頃にはすでに暗くなっていた。かじかみ始めた手は近くのスーパーで買った夕飯の具材が入ったエコバックと、田崎から預かった手提げ袋でふさがっていた。玄関を開けるのに、どちらを地面に置こうか考えていた矢先、タイミングよく玄関の戸が開いた。 「やっぱり……!おかえりなさい!」 「ただいま、って……やっぱりってどういうことだ?」  率直に感じた疑問をそのままぶつければ、ユーヤはにこにこと笑みを浮かべる。 「ヤスタカさんの気配ですかね! なんとなく感じましたよ!」  自信ありげに胸を張るユーヤに、恭隆はどことなく違和感を覚える。足元を見ればサンダルを履いており、ユーヤの背から見える遠くのリビングには電気がついていない。しかし、玄関先は明るく、床には暇つぶし用だろうか何冊か本が積まれていた。 (……まさか、玄関で待っていたのか?)  言葉にはしなかったが、ユーヤは床に向けられた視線に気づいたようで、本を持って足早にリビングへ戻っていく。ユーヤの態度に違和感はなかったが、今日に出掛け先のことを心配していたことを考えれば、待っていたとしてもおかしくないだろう。 「お皿とお風呂、洗っておきました!」 「ああ、ありがとう。今日は鍋にしようと思うんだ」  野菜も肉も取れる鍋は、寒くなってきたこの季節にもちょうどよく、簡単に作れる。二人で同じ鍋をつつきながら食べられるのもいい。今日の話を聞きながら、恭隆はふと、ユーヤと美味しく食べる夕食が恋しくなっていた。 「なべ! テレビでやっていました! ほかほかでおいしいと!」  話し方にも違和感がなく、留守番中にやっていただろうテレビの話題を、ユーヤは楽しそうに話していた。 「材料を準備するから、手伝ってくれるかな」 「もちろんです!」  心躍っているようにユーヤの足取りが軽く、彼の疲れも随分取れているのだと恭隆は胸をなでおろす。隣に並び、白菜を一枚一枚ちぎり取るユーヤの姿は必死そのもので、水にさらすのも一枚一枚丁寧に洗う姿がほほえましい。手を洗った後、棚から取り出した包丁に気をつけつつ、シイタケや人参を切っていく。せっかくだからと人参は花型にしていけば、ユーヤがそれに気づき目が輝き始めた。 「ただ型で取っただけだよ?」 「テレビで見た形です……! おいしそうですね……!」  喜ぶユーヤを見れば、それだけで恭隆の胸はいっぱいになっていく。だがまだ切る食材は多く、はやる気持ちを抑えながら、包丁を持つ手を遠ざけながらユーヤに見せつつ「危ないよ」と笑ってみせた。ユーヤもはしゃいだことを恥ずかしがりつつ、肩をすぼめて白菜の水切りを始めた。恭隆が思わず声を抑えつつ笑い声が漏れれば、ユーヤの頬が膨らんでいるのが視界の端に映っていた。 (こんな一瞬が、ずっと続くかは分からないけれど……。俺ができる範囲のことをやっていこう)  鍋に水を入れ、寄せ鍋を作るための調味料を入れていく。これからは夕飯の時間を大事にしていこうと、植原たちの情景を思いつつ、感化されているなとしみじみと思った。    鍋を食べ終わり、二人は風呂を済ませリビングでゆっくりと体を休めた。秋も深まり始めた頃合いで、寒暖差も出てきた夜に暖かな風呂は心地よい。湯上りのユーヤは満足そうにソファーに座り、読みかけだった本を読み進めていた。読んでいたものは絵本だったが、字と絵をゆっくりと味わっているからか、時間がかかっている。邪魔をしないように、この数日読む時間がなかった新聞を読み始める。沸かしておいたコーヒーを一口飲めば、口の中にまろやかな苦みが広がる。その苦みが、今の恭隆にはやけに心地よかった。 (こうしてゆっくりできるのは、いつ振りかって考えるほど、今週は怒涛だったな……)  ユーヤと出会った三連休が明けた火曜から、荒川との商談が始まったことを思えば、随分と慌ただしい一週間だった。二日分を読み終え、新聞をいったん机に置き、ゆっくりと瞼を閉じる。このまま眠ろうかと思ったが、瞼を開きユーヤの方を見る。  ユーヤも読書を終えたのだろう、本を置いてストレッチをしている。足を大きく開き、前屈をしているその身体はしなやかで見ていると惚れ惚れとする。ユーヤは起き上がり大きく伸びをすれば、恭隆の熱い視線に気づいた。じっと恭隆の方を向き、ユーヤはゆっくりと恭隆に近づいてきた。どんな視線で見つめていたか自覚がなかった恭隆は、目を丸くしながらユーヤを迎える。 「どうかしたか?」 「……今日は、お疲れですか?」 「え、まぁ……うん、疲れたといえば、そうだけれど」 「……そうですか」 「ん……?」  少し拗ねたようなユーヤの言い方は、恭隆には腑に落ちなかった。ユーヤが何を伝えたいのかがいまいち把握しきれない。 「ユーヤ?」 「たくさん癒してほしい、って言ってました」 「そういえば……確かに」  昨日の会話をユーヤはしっかりと覚えていた。恭隆としては、一緒に夕飯を作っていた過程ですでに癒されたのだが、ユーヤには伝わっていないようだ。少しだけ、不満そうに眉を吊り上げ不貞腐れている。 (さて、どうするか)  また添い寝をしてもらうという手もあった。ユーヤが隣で眠っているという事実が、今の恭隆にとっては安心できる方法でもあった。または、十分だったと頭を撫で、この場を終わらせることだって、恭隆は考えた。癒されたことは間違いないし、満足感もある。だがそれを言って、ユーヤが納得するかは定かではない。 (とはいえ、ここで『交換条件』を持ってくれば、なんだかユーヤのことを身体目当てだと誤認させる結果になりそうだ)  そもそも昨日の会話の中で、恭隆自身が『交換条件』のことではないと言ったのだ。その言葉が嘘だったことにもつながり、不信感を持たれることにもなるだろう。身体目当てだと――はじめはそうだったとしても――思われるのは本意ではない。 「そうだ、お願いしたいことがあるんだけれど」 「……なんですか?」  少しの沈黙の間、ユーヤは段々と不安になっていたようで、吊り上がった眉は段々と下がり、肩も縮こませていた。

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