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8-1 前兆の日々、噂の『吸血鬼』
恭隆とユーヤが、またひとつ仲を深め合った中で、世の中はめまぐるしく動く。
それは彼らの周りだけではなく、されど近い場所でも同じことだった。恭隆の兄である正明も、その晩は頭をかかえ、叫びたくなるのを必死に抑えるほどだった。
「……愉快犯のつもりか、それとも……」
正明が頭を悩ませる原因――世間を騒がせる連続誘拐事件に動きがあった。
今までと同じように路地裏で襲われた被害者は20代の女性。抵抗し逃げようとしたところ、襲い掛かっていきた男は女性の髪を掴み、近くの建物の壁に彼女の身体を強く叩きつける暴行を加えた。そのまま気を失った女性を放置し、何も盗らずに逃げていった。
現場に残され、翌朝保護された女性の首筋には、二つの赤い傷跡。
誘拐はされず、傷害事件と思われたこの事件は初めこそ誘拐事件とは無関係と思われた。しかし、誘拐事件と並行して起こる事件にネット上ではある仮説が建てられていた。
同じような場所で起こっていること、同じように無差別であること、全く見えてこない誘拐する目的に、二つの傷跡……。
「付いた犯人の呼び名が『リアル吸血鬼』!信じられるかこんなことが!」
荒川とのひと悶着から二週間程が経った恭隆にとっては、非常に気にかかるキーワードが次兄正明から聞こえてきた。奥のラウンジチェアに座り、正明からのお土産である本を読んでいたユーヤも目を丸くしている。
11月も下旬に差し掛かった土曜日、非番であった正明が恭隆の家に訪れたのは、朝食も終わったあとすぐのことだった。恭隆がスマートフォンを使って調べてみれば、確かにネットニュースの記事に『連続誘拐事件、ネットでは『吸血鬼』との声も』という目を引かせるように作られた見出しがおどっている。ワイドショーなどでも触れられることはあるようで、警察へのバッシングと共に、格好のネタとなっているという。
「……でも正明兄さん、吸血鬼って」
「分かっている。いるかどうかも分からない者のことだ。……幽霊とかと同じ類であれば、いるかもしれない。もしそうだとしたら、吸血鬼がこんな目立つようなことをするか?」
昔から幽霊などの類が見えていた正明だからこそ、柔軟な思考ができるが、現場はそうではないらしい。ネットの噂に振り回されず犯人検挙に全力を挙げろと檄が飛んでいるようだ。
「吸血鬼でないのなら、恐らくは人間だろう。……少なくとも俺は人間の線で考えることにする。恭隆もユーヤくんも、気をつけるように。特に恭隆、お前はほんの二週間前に怪我を負ったばかりで激しい運動を控えるよう言われているのだぞ」
「分かってる……。心配性だな、兄さんは」
「弟を心配しない兄などあるか。……あるかもしれないが、俺は心配をする」
「ありがとう、でも流石に、もう大丈夫だよ」
二週間前になるが、荒川に負わされた傷は今も時々痛むことがあるくらいに、大きく爪痕を残した。流石に包帯はとれているが、わずかながら腰に傷跡が残っているのだ。時折見えるそれに、ユーヤは顔を曇らせるほどだ。恭隆があまり気にしていないのが救いだが、一生残る跡かもしれないのだ。
それに加え、恭隆は最近『交換条件』をやりたがらない。……先日、癒されたいという恭隆の願望を叶えるためにやった分が最後だった。もちろんその日から今日までの間、ユーヤへの『食事』は滞ることなく、三日に一度与えてくれている。今日がちょうど『食事』の日だったが、正明が帰った後になることは確実だった。
(傷が痛んで、気力が起きないのか……。それとも、やっぱり僕のせい?)
先日の『交換条件』は、はじめてユーヤから起こした行為が多く、その結果うまくいかなかったと反省しているのだ。
(上手くいかなかったから……ヤスタカさん、やめちゃったのかな)
ユーヤから話を振ろうにも、大体がユーヤのタイミングで始めてしまっていたため、恭隆のいい時を待っていたのだが当の本人からは何も話が来ない。そのまま時が流れ、4回分の『交換条件』が遅れてしまっているのだ。
(なんだかぼくばっかりが貰っちゃってる……このスマホだってそうだ)
ユーヤの手には、買ってもらったスマートフォンが握られている。はじめこそ使い方がわからなかったが、暇つぶしには十分すぎる逸品だった。読み方のわからない字を調べたり新しい本を探したり出来るのがユーヤにはお気に入りだった。恭隆からも、仕事終わりに電話が来ることもあり、連絡手段としても活用している。
ユーヤとしては恭隆への恩返しもしたいのだが、今までの日常を考えると、一緒にご飯を作ったりお出かけしたりをするくらいだった。恭隆はいつも上機嫌でユーヤの顔を見てニコニコしている様子だったが、それだけで満足しているのかは分からない。おそらく恭隆は楽しいと言ってくれるだろう。
(何か、ないかなぁ……)
ネットを探しても抽象的なことしかなく、恭隆に合致するかは定かではない。うんうんと唸っていれば、難しい顔をしていたユーヤの周りに恭隆と正明が、じっと見つめられていることに気づいた。
「あれ……?」
「何か困ったことがあったのか? 恭隆に言いづらいことがあれば、俺に電話してくれ。番号を渡そう」
「俺に言いづらいことって……まぁ、あるだろうから、遠慮なく言っていいと思うよ」
渡されたメモには、正明の電話番号が書かれており、ユーヤは素直に受け取った。
「ありがとう、ございます」
「困ったときはお互い様だ」
正明はユーヤの頭をぽんと撫でつつも、ユーヤのひざ元にある紺青のコートに目が行った。祖父からの譲りものであるコートは、ユーヤの背丈にはまだ合わず、とはいえ箪笥の肥やしにはさせたくなかったため、ひざ掛けの代わりとして使うことにしていた。
「このコートは……ヴィンテージのものか」
「えっと、この前、譲り受けて……」
「……誰からと、聞いてもいいか」
よく通る低い声は、責めるようなものではないが先ほどまでの柔らかさはなかった。
「えと、家族です……けれど」
「兄さん?」
恭隆が仲介に入ろうと、二人の間に割って入った。
「気分を害していたらすまない。……そのコートから、暖かいものの気配がした」
「気配?」
ユーヤが尋ねると、正明はうなずいた。
「俺が幽霊を見ることができるという話は、兄弟との会話を聞いている中で知っているかもしれない。時折、このコートのように、ものに宿った持ち主の感情や気配を感じることがあるんだ。……捜査の証拠にはなり得ないが、役に立つこともある。……コートの持ち主が家族であるなら、ユーヤくんを大切に思っている気持ちなのだろう。親元から離れ、恭隆のもとに預けられて、不安なこともあるだろう。だが、家族は暖かく見守ってくれているはずだ。……俺の目が、正しければな」
ユーヤは話を聞きながら、膝元のコートを握りしめる。先日の褒賞と言って田崎に託されたコートに、祖父はどんな思いを込めていたのだろうかと考えていた。ほかの兄弟ではなく、自分に渡した理由もわからなかったが、正明の話が正しいものであれば、祖父なりの、ユーヤへの激励だったのだろう。
「ありがとう、ございます。マサアキさん」
大事そうにコートを抱きかかえ、微笑むユーヤを見て安心したのか、正明の顔にも笑みが浮かぶ。
「……なんだか久々に兄さんの笑顔を見た気がするよ」
「そうか? ……む、そろそろ家を出ないといけないな」
「用事があるのか?」
「ああ、非番とはいえ、改めて現場を見ておこうと思ってな」
そう言うと正明は立ち上がり、次いで恭隆とユーヤも玄関まで見送るためにリビングを出る。
「気をつけてな、マサ兄」
「お気をつけてください」
ひらひらと手を振り、正明は玄関を出る。こうもせわしない日常を送る人間が多いと、ユーヤは少し心配になる。
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