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8-4 前兆の日々、プロの意見と会社見学

   時差出勤をしたこともあり、恭隆の想像よりも早く昼食の時間が訪れる。せっかくだと恭隆はユーヤを社員食堂へと連れていくことにした。予想していた社員が多かったのだろう、食堂は満員に近く、しかし二人分の予約席を確保されていた。 「いつも予約なんてないのに」 「あれ社長たちの分ですよ」  恭隆のつぶやきに、ちょうど後ろを歩いていた田崎が話しかけてきた。まったく気配がなかったため、恭隆は驚いたが、どうやらユーヤは気づいていたようだ。 「びっくりした……。そうだ、前言っていた奢る約束、今日果たしていいかな」 「まだ覚えていたんですか? ほんと社長は記憶力がいいですよね……ありがたく奢られますけど」  恭隆と田崎は列に並び、お盆を受け取る。ユーヤも二人の真似をしてお盆をとるも、視界が遮られ先の様子がわからない。並べられた小鉢やメインの食材、汁物をとり最後に清算をするスタイルだったが、並べられているものがユーヤには見えなかった。 「ユーヤ、好きなものを取っていい……見えるか?」 「見えないです……」 「ありゃー、じゃあ俺がおすすめの取ってあげますね。量は少なめがいいです?」 「いっぱい食べたいです!」 「よしきた」  気前のいい田崎の言い方とは反対に、恭隆は三人分となるまではよかったが、予算を超えそうな昼食代に少しだけ肩を落とした。 「今日はハンバーグですねー。ユーヤくん、好き嫌いありましたっけ」 「ないです。なんでも食べますよ!」  確かに、ユーヤは人間の食事でも満遍なく食べることが多かった。はじめこそサラダには渋々といった表情を取っていたが、野菜も意気揚々と口に運ぶことを知っている今を思えば、人間の食事をとることへの抵抗があったのかもしれない。  続々とユーヤの盆には料理が置かれていき、席に着くころには盆いっぱいの料理が並べられていた。いただきます、ユーヤの一言を皮切りに、サラダからメイン、汁物と次々にユーヤの胃袋へ納められていく。「すごい食べるねー」という外野からの声をものともせず、ユーヤは実においしそうに食べ進める。 「……こりゃ食費すごそうですね」 「まぁな……。そろそろ一か月になるけど、日に日に生活費が増えていっているよ」 「でも、満更じゃないでしょ社長も」 「そうだな。ユーヤがいることで、楽しいことがいっぱいだ」  家計のやりくりは今後また考えることにすると、恭隆も食べ始める。今日の昼食代のことも踏まえ、頭を悩ませることは多いが、その分充実しているのは本当だった。  肉厚のハンバーグを頬張っていれば、食堂で聞こえてくる会話に耳を傾ける。ユーヤについて話している者もいるが、次の話題に移るものも少なくない。 「聞いた? この前の傷害事件、この近くの繁華街の裏道だって」 「例の『吸血鬼』って言われてるアレ? 本当?」 「近くのオフィスに勤めてる友人が言ってたんだけど、泊りがけしてた時に警察が集まってたって」 「まぁ吸血鬼はないだろうけど、怖-」  数日前に正明から聞いたことを思い出し、恭隆の顔もこわばる。その会話は田崎にも、ユーヤの耳にも入ったようだ。 「……吸血鬼、ねぇ」  田崎の怪訝そうな一声は、いつもの彼では出さない低い声だった。 「田崎くん、出てる、ここじゃ出ない声出てる」 「え? 俺そんな違います?」 「全然違う、そっちの面が出てる」  意識してなかった方が恐ろしいと恭隆は思った。荒川との時も、『仕事』だからと吸血鬼の姿として姿を見せた後、誰か分からないと動揺していてようやっといつもの姿に変わったことを思い出す。どちらも彼にとっては自然の姿であり声色なのだろうが、二面性があるのは確かだ。 「すいません。……でも、そりゃ気にもなりますよ」 (確かに、正明兄さんは人間だと考えているようだが、俺の周りには実際に吸血鬼がいる。本物である可能性は十分にあるんだ)  遠巻きに見てくる社員は多かったが、ユーヤに配慮してか周りに集まることはなく、小声で話せば聞こえないだろう。そう思い、恭隆は田崎に聞いてみることにした。 「田崎くんは、どう思う?」  田崎は箸を置き、考えるそぶりをする。その顔は少しうかないものだった。 「……ないとは言い切れませんが、もしそうだとしたら、あの一件以降なりを潜めてもいいはずです。派手に暴れたやつがいて、それを『キーパー』が取り押さえたとあれば噂は立ちます。近くに『キーパー』がいると感づいて、一旦身を潜めるくらいはすると思いますけどね。むしろ誘拐だけじゃなく、傷害事件が起き始めたのが、一件の後なんて。『キーパー』への挑戦状のつもりなら話は違いますけど」 「挑戦状……」  ほかの『キーパー』がどんな者かはわからないが、少なくとも田崎相手に挑戦状を叩きつけることは恐ろしいことではないだろうかと、恭隆は思った。隣で聞いていたユーヤも同じ感想を抱いたのか、笑っていた顔が引きつっている。 「でも、わざわざ吸血鬼を装うなんて、知り合いにでもいるのでしょうか」  引きつった笑みのまま、ユーヤは尋ねる。 「んー、いないとは断言できませんけど。だったら、誘拐した人間を家なり人の目の付かないところに連れ込んでから『食事』させると思いますよ」 「それもそうか……」 「もちろん、『吸血鬼がいることを世間に知らしめたい』っていう願望があれば別です。割といますよ、そういうタイプ」  吸血鬼――ひいては「人とはちがう存在」にあこがれを持つ者は少なくない。大人になってもそういった願望を持つこともありうる。 「今のところ、そっちからの連絡はないので様子見ですがね」  田崎は立ち上がり、すでに食べ終えていた三人分の食器を重ねていく。そのまま有無を言わさずに、足早に返却口へと持って行ってしまった。 「あれ、まだ食べました?」 「いや、大丈夫だけど……ユーヤは?」 「僕も大丈夫です。ごちそうさまでした……僕も運びますのに」 「いいんですよ。こういうのは下っ端の仕事です」 (一番の長生きが何を言っているんだか……)  ここで言うわけにはいかない文句を心の中でつぶやき、恭隆は礼を言った。昼休みが終わる五分前を知らせるチャイムが鳴れば、食堂はだんだんと人が少なくなっていく。恭隆もユーヤを連れ、一度社長室へと戻ることにした。 「ごちそうさまでした」  食堂の調理師に一声かける声が重なり、仲がいいねと口々に言われ、少し照れ臭くなった。  午後は邪魔にならないよう、ユーヤを各部署へ連れて回る。行く先々では自社製品ではあるが菓子をもらい、時季外れのハロウィンのようになっていった。両手いっぱいになった菓子と恭隆を見比べれば、ユーヤは困惑の表情を浮かべる。 「いいんだよ、もらっておきな」  秘書室に行けば、安岡をはじめとした社員がお菓子を入れる袋をユーヤに渡す。やけに用意周到だと思えば、午前のうちに買いに行っていたそうだ。恭隆が深いため息をつけば、自費で買ったと反論が飛んできた。 「そういうことじゃない……」  むしろ経費で落としてくれと漏らせば、経理部が通してくれないだろうと、安岡に断られた。社長室に戻り、袋から取り出して菓子を机に並べていけば、どこに隠し持っていたのかと疑わしくなるほどの量だった。その中にはまだ発売していないサンプル品もあり、特に目を引いたのは、荒川の会社にデザインを頼んでいたバレンタインの商品が紛れ込んでいたことだ。 「ユーヤ、これはどこからもらったか覚えているか?」  その菓子を手に取り、ユーヤに確認する。少し悩み、はっと思い出したようにユーヤは答えた。 「タサキさんがいたところです!」 「……やっぱりか」  本人は後ろで真面目に仕事をしていたが、おそらくほかの社員が準備をしていた時にいれていたのだろう。社外に出すわけにはいかないが、ユーヤに渡す分であればそこまで問題はない。 (どうやら、あのまま継続してやり取りできているんだな)  荒川との約束の一つであったプロジェクトの継続は、営業部の努力もあり叶えられそうだった。胸をなでおろしていると、事の経緯を知らないユーヤは首をかしげている、 「ああ、これは例の……荒川さんのところの会社に頼んでいたデザインなんだ」 「あの、二週間前の」  ユーヤは荒川の人となりに詳しくないためか、恭隆を襲った吸血鬼という認識が未だ強い。当然といえば当然だが、あまりいい印象は持っていないのだろう。その言いぶりには少しとげがあった。 「ちゃんと進んでいるようでよかった」 「……ヤスタカさんが怒ってないなら、僕ももう少し、怒らないよう努力します」 「今度荒川さんと話したこととか、聞いてくれるかな。彼も、悪い人ではないよ」 「……はい」  自身にも危害を加えたためか、ユーヤは少し間をおいて承諾した。あまり事件のことには触れずにいたが、そろそろいいだろうと恭隆は考えていた。  ユーヤが菓子に意識を戻し、一つつまんで食べ始めれば、恭隆も仕事に戻ることにした。書類の確認やメールなど、細々とした作業を進めていく。

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