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8-5 前兆の日々、長い取材と『吸血鬼』論

   終業のチャイムが鳴るころには、ユーヤはソファーで眠っていた。机の上にはまだ菓子が残っており、さすがに全部は食べきれなかったかと、恭隆は笑った。 「ユーヤ、そろそろ帰ろう」  ユーヤの体を揺り起こし、自身も身支度を進める。寝ぼけ眼のユーヤは大きく背伸びをして、大量の菓子を秘書室から貰った袋に入れなおしていく。その中には、荒川の会社に頼んだデザインのものもあり、ユーヤは一度手を止めたが、袋の中にしまい込んだ。  ほかの社員も変える準備を進めており、退社する恭隆とユーヤを見かけては「また来てね」と笑顔で挨拶をしてくる。すっかり緊張の糸もほぐれたユーヤが笑顔でうなずけば、社員たちは破顔の笑みで手を振ってくる。まるでアイドルを見かけたかのような反応だと、恭隆は苦笑した。  二人がオフィスを出ると、同じように退勤する人の流れができている。はぐれないよう、ユーヤの手を握ると、ユーヤは一瞬驚いたような表情を浮かべるが、恭隆の手を払うことはせず、やさしく握り返してきた。そのまま駅に向かおうとした矢先、後ろから声がかかる。 「お忙しいところすみません、少しよろしいでしょうか」  恭隆が振り返れば、スーツを着た見知らぬ男が立っていた。わずかに明るい黒髪は短く、パーマがかかっている。人の好さそうな笑みを浮かべ、その手には録音機器が握られており、小さなカバンが抱えられていた、 「日海新聞の深谷と申します。この近辺で取材を行っておりまして、インタビューにお答えいただけますか?」  出してきた名刺を見ると、確かに日海新聞の社会部と書かれている。ユーヤのほうを向けば、本人は気にしていないようだった。 「わかりました。……ユーヤは向こうのロータリーで座って待っていてくれるか」  指をさされたほうを向くと、少し離れてはいたがいくつかのベンチが空いていた。二週間前、荒川と話したことが記憶に新しい場所だ。ユーヤはうなずくと、ロータリーへと走っていく。 「……失礼ですが、先ほどの子は」 「知り合いの子です。ちょっと訳ありで」  当たり障りのない返答をして、恭隆はそれ以上の追及を止める。深谷もそれ以上尋ねることはなかった。 「失礼いたしました。では取材に移らせていただきます。最近もこのあたりで誘拐や傷害事件が多く発生していることはご存じですか」  なるほどその事件の取材か、恭隆は素直に知っていると伝えれば、深谷は事件のことを中心に様々な質問をしてきた。事件に対し不安に思っているか、警察への意見、帰宅時間への影響など聞かれた中で、恭隆自身についても質問をしてきた。 「最近あのロータリーでサラリーマンとお話しされていたのをお見掛けいたしまして、その時に、社長とお相手様が仰っていたのを耳にいたしましたが」 「え……ああ、この近くの会社を経営しています」  取引先でもないため、あえて名刺は出さなかったが、恭隆はうなずいた。おそらく荒川と話していた時のことだろう。 「そうでしたか……。社員にも、事件に合わないよう気を付けるなど周知したりは」 「ええ。朝礼で話をしたり残業をしないようにと通達を出したりは。この地域以外でも起きているので、出先でも気を付けてほしいとは言っています」 「朝礼や通達を……。ありがとうございます。社員思いのいい社長様でいらっしゃいますね」 「いえ、社員への被害は、ないに越したことはありませんから」  ちらりと恭隆が時計を見れば、取材を受け始めてから十分が経過していた。ユーヤが退屈そうにしていないかロータリーを見ようとするも、矢継ぎ早に深谷は話しかけてくる。 「事件はネットを中心に『吸血鬼』の仕業だと言われていることは、どう思われますか」 「まぁ、それはないんじゃないかなって思いますけどね」 「それはどうして」 「吸血鬼は、実在するものなのかと疑問に思いますし」  心にもないことをと、内心恭隆は思う。だがそれは一般的な意見の一つだろう。吸血鬼はあくまで創作の世界のものだと、一か月前の恭隆が思っていたように。 「報道では、首筋に二つの小さな穴があると出ていましたが」 「それだけで吸血鬼ってのは、ちょっと違うと思いますね」  実際、吸血鬼に座れている恭隆の肩に残る傷はかなり小さく、凝視しなければ視認できるものではない。ほかの吸血鬼は大きく跡をつける者がいるのかもしれないが、昼に田崎が言っていた『自分の存在を知らしめたい』タイプでもない限り、あまり目立たせるのは生きにくくなるだろう。 「では、あなたの考える『吸血鬼』は、どんな証拠を残すと思いますか」  深谷の質問に、恭隆の言葉が詰まる。ユーヤや田崎、荒川といった三人の吸血鬼に共通するものは多くない。外見の年齢も、性格も違うし、考え方も違うことはよく知っている。 「……残さないと思います、証拠なんて」  目立ちたがり屋ではなかった知り合いの吸血鬼たちは、みな吸血鬼であることを隠していた。恭隆の思いつく結論は、証拠を残すことなく襲うことだった。 「証拠を、残さない、ですか……。人間がなぜ吸血鬼のまねごとをするとお考えですか」  深谷の追及は止まらない。警察関係者も頭を悩ませているかもしれない疑問を、恭隆が答えられるはずもなかった。 「えっと……」  言葉に詰まり、そろそろ解放してほしいと顔を引きつらせていた矢先のことだった。

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