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9-4 誘拐事件、目覚めた場所の闇

*****  ユーヤが目を覚ましたのは、日の光が乏しい、狭苦しい部屋の一角だった。しかしユーヤの視界には何もなく、うっすらと光が見える程度だった。起き上がろうとしたが、腕が全く動かない。後ろ手に縛られているようで、縄できつく締めあげられ、動かそうとすれば手首が縄で擦れて痛んだ。足はどうにか動くが、すぐに何か柔らかいものにぶつかり、それは小さな悲鳴を上げた。 「……誰か、いるんですか?」  ユーヤは小さな声で話しかけるが、悲鳴が連鎖するだけで誰とも会話にならなかった。話そうとして気づいたのは、自身の左側にある牙が少し欠けていたことだ。短さに違和感を覚えながら、他の情報を得ようと五感を研ぎ澄ます。  女性ものの香水の匂いくらいしか鼻で感じることはできず、時計の秒針の音も、風の音もしない、静かな部屋だった。  左隣には誰かの体が当たっているようだが、右には何もないのか、感触がない。ゆっくり体をずらしていけば、ぶつかっていた足はなくなった。壁を伝っていたが扉の枠に当たり、一度止まる。足音がしないことを確認すれば、ドアノブを使い目隠しが取れないか画策する。うまく結び目がドアノブに引っ掛かり、するりと簡単に取ることができた。自身の体には擦り傷はあれど大きな傷はなかった。 「……お爺様のコートが、ない」  現場に落としてしまったのか、羽織っていたコートはどこにも見当たらない。ユーヤは、自身の腕を、爪が食い込むほどに強く握った。  気持ちを切り替え、再び部屋の様子を確認する。ドアの直線上には電源がついているパソコンがあり、床は紙で覆いつくされていた。暗がりではあったが、ユーヤがその紙を見ていけば、どれも新聞のスクラップ記事だった。『吸血鬼』が起こしている誘拐、傷害事件のことが多く、また他にも社会問題や事件の記事が所狭しと、バラバラに散っていた。置いてある棚にはファイルがいくつも置かれていたが、あまり整理はされていないようだ。  先ほどまでユーヤがいたほうを向けば、先ほどまでの自身のように、目隠しをされ、縮こまり震えている人たちの姿があった。老若男女問わず、皆何も見えないはずなのに、何かにおびえている。 「そうか……ここは」  思い出そうとすれば、後頭部の衝撃を思い出し、頭が痛む。振り切るように首を振れば、ユーヤは意識が飛ぶ前の、夜のことを思い出す。ユーヤが見る限り、追われていた女性はこの部屋にはいなかった。 (よかった、逃げ切れたんだ……)  ほかの人の気配もなく、ユーヤは紙を踏みつけながらもパソコンの前まで歩く。自身が襲われた翌日であり、まだ昼前だということが分かった。画面にはSNSのホーム画面が映っており、誘拐事件の情報を探していたようだ。しかしネットでは犯人の『吸血鬼』説について盛り上がっているだけで、新しい話は出ていない。 (情報を集めているわけじゃない、のかな……)  ユーヤがいる場所が犯人の本拠地であるならば、このパソコンの持ち主も犯人のものだろう。自分たちに繋がるものが書かれていないかを調べているのかもしれない。 (……そういえば、あの時)  ユーヤが地面に倒されたとき、男たちの会話から分かったことがあった。襲い掛かってきた男の一人の顔が、ユーヤが見たことのある顔だったのだ。 (少し前にヤスタカさんに話しかけていた、記者の人、だっけ)  足元に散らばる新聞記事を改めて見ると、その新聞は『日海新聞』のものが多かった。誘拐事件の記事はバラバラだったが、他の記事は『日海新聞』と、日付が手書きで書かれていた。ガサガサと、ユーヤが歩くたびに新聞記事が動く。一つ一つの音につられ、隅に縮こまる被害者の人らの悲鳴が小さく聞こえる。 (出口、探さなきゃ。でも、頭も痛いし……何より力が出ない)  最後に『食事』をしてから、今日で三日目。昨日羽を出して飛び、すぐに霧になったこともあり、いつもより空腹感を感じるのが早くなっていた。後頭部を殴打された反動か、めまいのようにふらついてもいた。 (どうしよう……)  ドアノブに近づき、鍵の有無を確認しようとした時だった。扉の向こうから歩いてくる音が、ユーヤの耳に入る。元居た隅に戻ろうかと思ったが、目隠しが取れていることをどう隠すかとユーヤが考えている最中、無情にもドアは開く。 「割と行動派なんだ、君」  ユーヤが見覚えのあった男――深谷とユーヤを襲った男が並んでいた。深谷はスーツを着ているが、その胸にネクタイはなく、ボタンも胸元まで開けていた。襲ってきた男は深谷と比べると体格がよく、短く刈り上げられている髪に、黒のトレーナーにジーパンというラフな格好をしていた。 「まぁそうか、窓ガラス割るくらいだしね」 「……あの、ここは」  ユーヤが尋ねようと口を開けば、深谷の舌打ちが聞こえ、途端ユーヤの頬が殴打を受け、そのまま記事で埋め尽くされた床へ転げ落ちる。急な衝撃で口の中が切れ、血の味がにじみ出る。部屋の隅からは悲鳴が聞こえ始めた。 「っ……!」 「まずはガラスを割って『ごめんなさい』が先だろ?」  深谷はそれだけ言い、パソコンの方へ向かった。殴り飛ばしてきた男は、ユーヤを睨みつけ、足でユーヤの腹を蹴った後、深谷に追随する形でパソコンの方へ向かった。うずくまり、せき込んだユーヤに視線をやることはなく、二人はネットニュースをあさり始めた。 「出てる?」 「いや、まだだな……。珍しいな。捜査本部設置の署に行っても何の動きもない」 「警察に言った可能性があるんじゃねぇか?」 「……いや、だとしたらもう少し騒がしくなるだろ。記者仲間からネタをつかんだっていう話がない」  どうやらユーヤのことはまだニュースに上がっていないようだ。事件が起きた翌朝にはニュースになっていたことは、ユーヤも恭隆と一緒に見ていたテレビでよく見ていた。 「尾上(おのえ)、ちょっと様子見てきてくれるか?」 「仕方ねぇな……カネは明日だよな」 「……ああ、明日には」  男が向かってくる前に、ユーヤは男の死角になるよう移動した。うまく避けられたようで。男はそのまま部屋を後にする。深谷はそのままパソコンに向かい、どこかニュースで事件の話題が出ていないか探し続けている。隅にいる人たちは時が過ぎるのを待つように、じっと動かずにいた。  マウスの音だけが響く部屋の中に、スマートフォンの着信音が響いた。深谷のものが鳴っており、渋々といったように、少し間をおいてから電話に出る。 「深谷です……はい。……はい、分かってます。でも局長、ネタはこの前……はい」  電話の相手は仕事先の、上司のようだ。恭隆の会社で見たような明るい関係ではないことは、深谷の声色で察せられる。口をはさむ余地を残さない電話の相手に、深谷はただ、相槌を打つだけになっていった。最終的には声を発することなく、深谷は電話を切る。 「クソっ!」  スマートフォンを机にたたきつけ、大きな音が部屋に響く。ユーヤはひっそりと、音がするうちに日の当たらない棚の陰に隠れた。気性の荒い男だと、ユーヤの眉間にしわが寄る。 (この前の、アラカワのほうがまだ大人だ)  一か月前に対峙した荒川のことを思い出す。彼のことを見直す必要があると思わせる程に、深谷は子供じみているように見えた。 「また不採用か!いつになったら俺のネタは使われるんだよ!」  深谷の言葉に、ユーヤは床に散らばった誘拐事件以外の記事を探す。ちょうど近くにあったのは、地方の過疎化について書かれたものだった。数年前の日付になっているその記事は、誰もいなくなった村で暮らす住人の悲痛な叫びが淡々と書かれていた。 「何度も何度も書き直しては捨てられる! 俺の記事はそこらのやつより有益で面白いんだ!」  机を叩く音が、暗がりの部屋に響き渡る。カタカタと揺れるパソコンの液晶は、まるで人間のように震えているように見えた。 「人が目を向けない、隠したがっているネタを引き出して白日にさらす! それが悪いことってわけか!?」  深谷の叫びは誰に向けられたわけでもなく、誰も答えない。怯え縮こまる誘拐の被害者たちも、ユーヤも口を開かない。息を整え、叫んでいた深谷が黙れば部屋は静かになり、一切の音が消えた。 「今に見てろ……俺はもっと、人に見られる存在になるんだ」  深谷はスマートフォンを握りしめれば、部屋の暗がりに同化していたユーヤを見つけ、口元をゆがませる。 「お前の知り合いにも、手伝ってもらうからな」  真意を聞き出そうと口を開こうとすれば、スマートフォンを持った手で薙ぎ払われるように、頭を殴打する。 「ぐぁっ……!」 「小さいだけで愛されるガキが、いきがってんなよ?」  立ち上がろうにも、昨晩のダメージが蓄積され体は吐き気と打撲の痛みで動くことができない。床に落ちた体に棚の角が当たり、さらに強い痛みがユーヤを襲う。口の中は、自らの血でいっぱいだ。 (……ヤスタカさんの、血が、欲しいな)  今は届かぬ願いがユーヤの脳裏によぎり、ゆっくりと瞳を閉じる。平穏な日々を思い浮かべ、ユーヤの意識は、次第に遠ざかっていった。

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