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9-6 誘拐事件、犯人は現場に戻るもの
三人が来た道を戻り、恭隆と正明が今後について話し始めた中、田崎は大通りから歩いてくる男性を見つける。刈り上げられた髪に、髭のない清潔感のある顔をした男は田崎を見ると小さく頭を下げる。
「ああ、どうも」
田崎もつられ、頭を下げる。男は田崎の前を通り過ぎれば、小さく「あれ?」と疑問の言葉を浮かべる。
「すいません、ここにあったゴミ箱どこ行ったか知ってます?」
「ゴミ箱? ……いえ、私たちはわかりかねますが」
おそらく、ユーヤが隠れていたゴミ箱のことだろう。正明の話では、現場到着時には転がり壊れており、回収されたようだ。だが、警察しか知らない情報を、ここで言うわけにはいかなかった。
「マジか……捨てに来ようと思ったのに。あの、お宅らは? ここで何を」
男はここのゴミ箱を普段使っている人間だったようだ。恭隆と正明も、男の存在に気づき、どう説明しようか顔を見合わせる。三人とも私服でこの場に集まっていて、会社員と言うには厳しいと考えたのだ。
しかし田崎はあっさりと「不動産関係の会社に勤めております」と、にこやかに言った。持っていたカバンから、名刺ケースを取り出せば、一枚の名刺を男に差し出す。
「はぁ、どうも……」
素直に男が受け取れば、田崎は少し困ったように話し続ける。
「実はこの辺りに再開発の話がありましてね。今日初めて下見に来たんですよ。この通り、薄暗くなっているし、風通しも見通しもいい場所にしたいって意見が多くて」
「そう、ですね……」
名刺をもらった男はもとより、遠巻きで見ている恭隆と正明も何が起きているのかさっぱり理解できていなかった。男の様子をものともせず、田崎の様子は変わらない。
男は引きつった笑みを浮かべながらも、話しを続けようとする。
「スーツじゃないんで、野次馬かと思いました。最近、例の事件の関係で多いんです」
(お、逃げないな)
田崎は内心、男の様子を意外そうに思った。こういう絡み方をすれば、大抵の人間はすぐ帰ろうとする。
「まぁそうですよねぇ。でも、スーツで路地裏うろついていたら、それはそれで怖くないです?」
平日の昼間、スーツを着た男が路地裏に来るような用事は、確かに想像がつかなかった。男は同意して肩をすくめる。
「そうですね。新聞記者とか、警察とか、一般人に紛れていますし」
「やっぱり多いんですね、この辺りは」
「ええ、事件があってからは。見ませんでした? 警察の方」
「いやぁ、誰もいませんでしたよ」
そうですか、とつぶやき、男は間をおいて話し始める。
「今朝も警察が騒がしくて……。ニュースには何も出てないの、おかしいと思いませんか?」
「野次馬が増えている理由の、誘拐事件ですか? 昨日はあったんです?」
「え、ああ……ネットには何もない、ですけど」
「事件がなければ、ニュースも出ないと思いますけどね。でも、早朝だと大変だったでしょう」
「5時にわんさかと……困りますよ」
男からは背を向けていた正明は眉を寄せる。現場検証は午前4時前には終わっていたはずだ。
「それもそうですよねぇ。そういうことも含めて、お兄さんこのあたりお詳しいようですね。 不満点とか、ありましたら聞きたいんですけど。それこそ、警察の声が響くほど建物が密集しているとか。私たちも夜の時間に確認することがあるので、その時の参考になればと」
田崎の質問に、男の表情が曇る。
「あ、俺は……。住んでますけど、特には」
「お勤めは?」
「違う場所で……それじゃ、すいませんがこの辺で」
「お忙しいところ失礼しました。また」
足早に去る男を、田崎はにこやかに送り返し、その姿が見えなくなったところで、がらりと表情を変える。
「はー、怪しいなぁあのタイプ」
怪しい? と恭隆が尋ねると田崎は肩を竦める。
「俺がうざ絡みしても逃げなかったし、話を引き出そうとした感じに見えたんですよね」
「ここにあったゴミ箱は飲食店専用のものだ。住人や通行人が捨てに来る場所ではないし、家庭ゴミを持ってくるにしては近くに住居の建物はない」
「それじゃあ、彼は嘘をついていたということか?」
「ええ。……やけに警察のこと聞いてきませんでした? 見てないかとか。ニュースに出ないのはおかしいとか」
「何かあったことを、知っている可能性があるのか」
「可能性はあります。……まぁ、憶測でしかないですけど」
田崎は名刺入れをカバンに仕舞い、ため息をつく。正明も思うところがあるようで、顔をしかめている。
「現場検証の時間もだ。寝ぼけて時間を間違えて覚えている線はあるが、はっきりと5時と言ったわりには終了時間を間違えている」
一つ一つの言葉を思い返せば、男の言動には不審な点が見え隠れしている。恭隆は首をかしげ、男の真意を見出そうとしてもわからなかった。
「俺たちのことを警察と勘違いしていたのか?」
「探りを入れたっていうのはあるでしょうけど。記者かどうかってのもあるんじゃないですか」
「そうか、記者だったら、警察が発表していない事件はスクープになるから聞いておいて損はない。だが、田崎くんはそこまで食いつかなかった」
「それこそメモを取るなりマイク向けるなりするでしょうし」
「あの男の真意は定かではないが、俺たちも長居するのは危険だ。……犯人は現場に戻る。使い古された言葉だが一理ある言葉だ」
正明の言葉に二人は同意し、路地裏から離れることにした。結果的に犯人とユーヤの居場所を知るヒントはなかったが、状況の確認ができただけでも成果はあっただろう。
「……この後はどうする」
大通りに戻り、正明は二人に問いかける。克彦からはまだ準備ができたとの連絡は来ていない。立ち止まり悩んでいれば、恭隆が小さくうなり始める。
「どうした」
田崎と正明が首を傾げ、恭隆は眉をひそめながら話始める。
「……ユーヤのスマホで電話がかかってきたとき、どうして犯人は俺のことを『社長』って呼んだんだろう」
「ユーヤくんのスマホに、フルネームで登録されていれば、検索して本条製菓がヒットしたとかか?」
「わざわざそんなことをするかなって……。ユーヤを狙って誘拐したならまだわかるんだ。でも、初めの狙いはユーヤじゃなかった。それに、ユーヤのスマホに登録したのは俺だけど、名前だけで名字はない」
「それじゃあ……ユーヤくんの顔を知っている人物とか? それだけじゃ結びつかないか」
「ユーヤと俺の関係を知っていて、かつ俺の名前だけで社長職だってわかる人間なんて少ない。せいぜい家族か、うちの社員くらいだ」
「……この前会社に来た時には、まぁ全員に知れ渡ったでしょうけど。出かけ先でそう社長とはバレませんよね。別に顔写真出してるわけじゃないですし」
「ああ……。いや、待て」
恭隆は一つ思い出したことがある。先日、ユーヤを会社に連れて来た時のことだ。
「ある記者から取材を受けたことがあった。今回の事件についての取材だったんだけど、はじめはユーヤと一緒にいたんだ。一度ユーヤを近くのベンチで待っててもらって……。その時、社長だって言ったなって思って」
「名刺は?」
恭隆がその時のことを思い出せば、名刺は渡してはいなかったが、ちょうど訪れていた植原に声をかけられたことを思い出す。
「その時は植原さんに「本条さん」って呼ばれたけれど……近くの会社って言ったから、地名と名字ではヒットするはず」
スマートフォンを取り出し実際に検索をかければ、確かに本条製菓のホームページが結果に出てくる。そこには肩書とともに、恭隆のフルネームが出ていた。
「……恭隆、その記者の名前分かるか」
「ああ、確か日海新聞の……」
言いかけ、恭隆のスマートフォンが着信を知らせてくる。すぐに画面を確認すれば克彦からだった。電話を取り、準備ができたことを伝えられた。
「……分かった、ありがとう、兄さん」
『無理しちゃだめだよ。いい? いくらヤスが剣道の腕がよかったからって、犯人のところ突撃したら怒るからね』
「そんなことはしないよ」
たぶん、と付け加えようとしたが、わざわざ心配をかけさせるまでもない。恭隆はあえて口をつぐみ、電話を切った。
「準備ができたって」
「分かった。先ほどの話は移動中ゆっくりしよう」
本社に見張りがいないとも限らないと、恭隆だけで本社に行くことになった。警察への連絡はしていないことを証明するためにも、必要な措置だ。
「……もし、俺の予想が正しければ、もしかしたら、狙われるかもしれない、危ない人がいるんだ」
「分かった。それなら恭隆が戻り次第そちらに向かおう」
「俺たち待ってるんで。お気をつけて」
「ああ。行ってくる」
恭隆は本社に近い駅まで向かうため、バス停へ歩き始めた。用心を重ね、手にはずっとスマートフォンを握りしめている。
恭隆が動き始めた数分前。恭隆たちと話していた男は、路地裏から離れた場所で立ち止まり、慌てたようにスマートフォンを取り出した。連絡先を開き『深谷』と表示された連絡先へ電話をかける。何回かコールした後、深谷の不機嫌そうな声が聞こえる。
『……どうだった』
「サツも記者もいなかった。……だがあそこはもう使えねぇ」
『どういうことだ』
「野次馬ならともかく、無関係なやつが出入りしている。今日は下見とか言っていたが、これから大人数ぞろぞろとくるぞ。深夜も可能性ある」
『マジか……あの狩場は潮時かもな。ちょうどいい、場所を変える』
「あてはあるのか」
『ああ、先にそっち向かっていてくれ』
深谷が提示した土地は高級住宅地が密集している地域の一つに近い駅だ。次いで、狙い目の男の名を告げた。電話を掛けた男――尾上の表情も焦りから、にたついた笑みに変わる。
「分かった」
尾上はその場を離れ、時間つぶしにカフェへと入った。スマートフォンを取り出し、次の場所で狩る獲物の名を調べ始めた。
「『植原巽』、な……」
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