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9-8 誘拐事件、最強の応援と最悪の失敗

 恭隆が目を丸くし驚く中、犬はゆっくりと霧に包まれ犬の背格好ではなく、人の高さの影が、霧に浮かんで見える。ほどなくして霧が晴れれば、恭隆も見覚えのある、一か月前の姿のままの荒川が、姿を現した。 「荒川さん……!」 「あなたがそんな喜ぶような声出さないでください、本条社長。……居たたまれない」  荒川は顔を背けるも、恭隆の顔はほころんだままだ。植原も荒川を見上げ「よかったね」とほほ笑む。 「……まさかとは思うけど、本部から来た応援って」 「ええ。私です。『緊急事態だから』と言って、手際よく送り出されましたよ」 「いやまぁ早く出してやれって言ったのも能力も高いって言って高評価出したのも俺だけれど! ユーヤ様救出でこいつ出してくるのは違うだろ本部!」  恭隆と植原が喜びを見せる中、田崎は予想だにしなった助っ人の登場に、一人頭を抱えうずくまった。何が起きているのか把握しきれていない正明は、あえて口を挟まず動向を見守っていた。 「荒川さんも、手伝っていただけるんですね。ユーヤのこと」 「そのために戻ってきたわけですからね。これで成果を出せば、いわゆる執行猶予になります」  恭隆にとっては、心強い味方になったわけだが、どうにも田崎は納得がいっていないようで、ぶつぶつと文句を言っている。  植原はうれしく思いながらも、住宅街の中だということに気づき、思わず荒川の手を引いた。 「……どうしました?」 「ごめんね、丈くん。本当なら、もっと盛大に歓迎したいのだけれど。……ユーヤくんが、大変なことになっているのは、言葉の端々で伝わってきました。ここでは、言えないこともあるでしょう。家は近いので、よければ皆さん、上がっていってください。そして、これからのことを、話しましょう」  植原の言葉でようやっと、自分たちのいる場所を理解した四人は一度植原の家まで移動することにした。  植原の家に入れば、今までの経緯を説明したうえで、植原が襲われた理由を、推測を交え話した。 「つまり、先日の取材をしていた深谷という人が、誘拐事件の犯人と繋がっている可能性があると。……暗がりで顔は見えませんでしたので、私から犯人は誰かと言えませんが、なるほど、分かりました」 「植原社長をも狙ったのであれば、何が何でも捕まえてやりますよ。……犯人の居場所は、もう分かっているのですか」 「それはこっちが聞きたいんだよ。本部から情報はもらってないのか?」 「……あります。大体の位置ですが、そこから割り出すのはあなたに任せます」  荒川は一枚の紙を田崎に手渡した。田崎を挟むように座っていた恭隆と正明が覗き込めば、都内の、それもここからは近い場所にいることがわかる。 「この辺まで行けば、あとはユーヤ様の気配で気づけるはずだな」 「……分かるのか?」 「それなりには。俺はユーヤ様の家柄とは親しくさせてもらっていますし、あの家の気配はよく知ってます」 「もしかして、初めてユーヤと会った時に、いろいろとエスコートしてたのも、誰だかわかってたのか?」 「まぁそうですね、分かってました」  あんぐりと口を開けている恭隆を見て、田崎は笑いそうになったのを必死にこらえた。悪趣味、と荒川が悪態をつけば、植原がたしなめる。  恭隆が咳払いをして、気持ちを落ち着かせる。朝を待たずとも、ユーヤと、誘拐事件の被害者たちを救える条件はそろった。 「……正明兄さん、警察の許可、いる?」 「このメンバーで突撃できるのであれば、やってしまおう。逆探知もない中、犯人の居場所をどう知ったかを説明するのは厄介だ」  本来ならば知らせた方がいい、くぎを刺したうえで正明は了承しうなずいた。 「突撃班と避難誘導班に分ける。しかし、まずは部屋の状況を確認したい。……方法があれば、聞きたい」  正明の言葉に、田崎は手を上げる。霧になれば気づかれずに隙間から入ることは可能だ。様子を見て、戻ることもたやすい。 「よし、突撃は……俺は行くか」 「兄さん、俺も行く」  矢継ぎ早に名乗りを上げた恭隆に、苦言を呈したのは田崎だ。 「社長はだめですって。絶対頭に血が上って犯人殴りますもん」  一般人、かつ鎮圧に向かないという良識的な判断ではなく、あくまで感情論で話す田崎に恭隆はへそを曲げる。 「田崎くんよりは適任だ」 「えぇ!?」 「……残念だが、俺も同意見だ」正明も続けて否定した。 「どうしてです?」 「犯人からの電話があったとき、君が一番冷静になれていなかった。恭隆の家の壁のことを、俺は忘れない」  はっきりと言われれば、田崎は言葉に詰まらせ認めざるを得なかった。渋々といったように、田崎は避難誘導を務めることを了承した。 「それなら、植原社長と一緒に誘導をお願いします。その方が安全でしょうから」 「お前さらりと突撃班に入りやがったな」 「ええ。目立った方が本部も見てくれるでしょうから。それに、あくまで私はあの若いのを救出することが目的です。……どう望もうと、他に動きようはありません」  荒川の視線は植原に向き、眉をひそめながらも田崎達に告げる。 「分かったよ。植原社長は任せてもらおう」 「傷つけたら今度はあなたを殴り飛ばして勝ちますからね」 「俺に手出したらお上が黙ってないことだけは覚えておけよ?」  まるで子供のケンカだと正明が漏らせば、同意するかのように恭隆も植原も小さく笑う。本人たちは全く意図していないだろうが、やり取りを見ていれば恭隆の気が少し晴れていくのを感じる。 「じゃあ俺見てきますからね。場所が分かり次第すぐ戻ります」  言い合いもそこそこに、田崎は立ち上がればすぐに窓を開ける。冷たい夜風が部屋に入り込み、田崎は風を浴びながらその姿を蝙蝠に変えていく。四人が見つめる中、数匹の蝙蝠を引きつれ、そのまま飛び立っていった。  恭隆は宵闇に紛れ消えていく姿を見ながら、近くにいるだろうユーヤを思った。 (待ってろ、ユーヤ……今から行くからな) 「……クソッ!楽な相手と思ったら犬に手こずるとはな!」  声を荒げ、悪態をつく声が耳障りに響く中、ユーヤはゆっくりと意識を取り戻していく。荒々しい足音と共に、部屋の主たる深谷と尾上が戻ってきたようだ。立ち上がる気力がなく、ユーヤはそのまま床に転がっている。出歩かないようにするためか、連れてこられた時よりも厳重に、胸元を巻き込んだ縛り方で拘束されていた。 「結局警察来てたから駄目だったって!お前しつこく言いすぎだろ!」 「あのな深谷、俺らは昨日取り逃した女に顔を見られているかもしれないんだ!手っ取り早く多くの金を集めるとしたら、ここで取ってくるのが当然だろ!」  昨晩から続いて、計画が失敗していることに、二人は苛立ちを募らせていた。未だに昨晩のことはニュースにも上がらず、SNSの話題にも上がらなくなっている。間隔があいてしまえば世間からは「最近の出来事」としての認識が薄れていく。 「目的は金じゃねぇだろ!」  深谷が机を叩けば、パソコンの液晶は揺れ、部屋の隅にいる被害者たちはまた縮こまり怯え始める。 「何が目的で始めたよ、あぁ!? 俺は記者として、お前は選手として、注目されなくなったが故だ!ただ俺の思い付きで身代金やったらすぐに金に目が行くのかよ!」 「分かってっけど!失敗してパクられたら元も子もないだろ!」  尾上の一言で、深谷は口を閉じ押し黙った。警察に足がつけば、動きにくくなることは目に見えて分かっている。その間に当事者以外は記憶から事件のことが消えていくだろう。 「……次の手、考えようぜ。まだ終わっちゃいねぇよ」  尾上は頭を掻きむしりながら、部屋中を見渡す。暗い部屋にはファイルと新聞記事、パソコンくらいしか目に付くものはなく、他には自分たちが攫ってきた人間しかいない。

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