深谷が見ても同じものしか見えないが、隅にいる者の中で、若い女性が目についた。 「……動画」 「ああ？」 「動画だよ、素人相手の動画。……無修正で撮れば売れるし、ビュー数も稼げる」 「一石二鳥ってか」 　自分たちを見る目が変わったのが、暗がりでもよくわかり、小さな悲鳴が女性を中心に上がっていく。 「だが、まずは練習だ。商品に傷がついちゃあいけないだろ」 「練習？」 　尾上の疑問に、深谷の口元はゆがんだ。深谷の視線は自然と、別の場所にいたユーヤへと移る。 「あのガキは男だぞ」 「馬鹿、だからだよ。背格好はそのあたりにいる女とさして変わらない。それに……元はと言えば、昨日の件が失敗したのはこいつが邪魔をしたからだ」 　ユーヤのところまで歩けば、深谷はしゃがみ込み、無抵抗のユーヤの顎を強くつかんだ。 「うっ……」 「体で払ってもらうぜ、そのツケはよ」 　尾上にはさみを持ってこさせれば、シャツを下から切り進める。胸元には縄がかかっているため、乱暴に引きちぎり、シャツの下に着ていた肌着を力任せにまくり上げる。色白の肌に冷たい空気が触れ、ユーヤの体は震えあがる。 「黙ってりゃ、悪いようにはしねぇよ」 　深谷がユーヤの胸元から腹のあたりまで指でなぞれば、なめらかできめの細かい肌に若さを感じる。もちろん、胸はないがその細身の体と幼い面立ちは、は女性と見間違うものも多いだろう。違うデスクではあるが、成人向けのネタを上げてくる同僚によれば、最近は中性的な男性に女装をさせるものも少なくないという。そういった成人向け動画も人気があり、試しとは言ったものの、ユーヤの体を使った金も、少しばかりは稼げるかもしれない。 「素体は悪くないな」 　尾上が部屋の奥から持って来たのは、深谷が取材で使う用として所持しているものだろう、三脚と動画用のカメラだ。何度か使っているのだろうか、手際よくセッティングをしていく。自分たちがつけた青あざは見えてしまうが、試し撮りで使う用のため、ネットには流さなければ問題にはならない。そう思い、電源をつける。しかし、レンズを合わせようとするも、ユーヤの姿は全く映らない。 「おい、これ壊れてねぇか」 「馬鹿言え、まだ一年も経ってねぇぞ」 　深谷はユーヤから離れ、カメラの調整を始める。うつろな目で、ユーヤはぼんやりと目に映る男たちの姿を見つめていた。わずかに身じろげば、縄が食い込み痛みが走る。 （……ヤスタカさんの、じゃ、ない） 　頭の中では、幾度か受けた恭隆の拘束が思い浮かばれる。縄でこそなかったが、恭隆の拘束はどれも痛みを感じなかった。目の前の深谷たちは拘束自体が目的ではないにせよ、恭隆の行為は人一倍やさしいものだということに気づかされる。拘束そのものは、痛くも、やさしくもできるのだと。 　口の中には、唾液に交じりユーヤの血の味が残っていた。ぺろりと自身の口内を舐めれば、じんじんとしみる痛みと共に、血が滲み出てきた。 （……これ、も、ヤスタカさんのじゃ、ない） 　恭隆の血の味は、もっとおいしさを感じるもののはずだった。暖かく、がっしりとした首筋から、鍛え上げられた肩を掴み、吸い上げ味わう血の味は、暖かいはずだ。 （帰りたい、会いたい、ヤスタカさんの、ところ、に……） 　壁に寄りかかり、だんだんと目がかすんでいく。無理やり起こされた意識は、自然とまた閉じていこうとしていた。深谷たちの怒鳴りつける声もどこか遠く、壁沿いにずるりと落ちていく体は、何かにより床につく前に止まった。ユーヤよりもはるかに大きなその体の持ち主は、ひどく暖かく、ユーヤを安心させるほどの熱を持っていた。 「……おまたせ、ユーヤ。今度は俺が、君を助ける番だ」 　いつも聞いていたやさしい声色に、ユーヤは再び瞳を開ける。眼前には、柔らかく笑う、いつもの恭隆の顔が見えた。 「ヤスタカ、さん……？」 　か細いユーヤの声は、恭隆の耳に入ってこなかった。いつの間に入ったか分からない侵入者たちに慌て怒鳴り始めた深谷たちの声が、ユーヤの声をかき消したのだ。 　恭隆は口を開くことなく、代わりにもう一人の声がする。 「優秀な電波がここにいる方を見つけましてね。すっ飛んできましたよ」 　恭隆に支えられ起き上がった体は、部屋の全体像をようやっと把握させてきた。恭隆よりも前方にいる男は、一度だけユーヤが見た姿だ。以前は、その背を見ることはほとんどなく、ユーヤと対峙していた男だ。 「どうやって入りやがった！鍵もかかっているし、ここ20階だぞ！」 「どこからだと思います？ 『吸血鬼』さん」 　荒川はにこりと笑えば、こぶしを振り上げてきた深谷の手をさらりと軽い身のこなしでかわした。 「もう少しスピードを出した方がいいですよ。……こんな風に」 　かわしたその勢いで、荒川は振りかぶったこぶしを深谷のみぞおちに深く落とした。呻きよろめく深谷を見て、尾上は舌打ちをした。そのまま、部屋の奥に置いてあった鉄パイプを手に取った。 「すぐに武器を持ち出すとは、体格に似合わず軟弱ですね」 「うるせぇ！」 　やみくもに振り回して突撃してくる尾上をも避けた荒川は、進行方向に恭隆がいるのが見えた。 「本条さん！」 　恭隆が気付いた時には、すでに尾上は振りかぶった状態で、咄嗟に出た左腕で鉄パイプを受け止める。じんと強く痛む腕を、歯を食いしばって痛みに耐える。 「……このくらい、なんともないさ。被害者や、ユーヤの痛みに比べるとな！」 　右手で鉄パイプを握る尾上の手を掴み、強くひねりあげる。痛みに耐えられず尾上は鉄パイプを手放した。すかさず、尾上から手を離した恭隆が鉄パイプを掴めば、握りやすく持ち替えて、尾上の右肩を目掛け強く突く。衝動でよろめいた尾上は踏ん張り、そのまま床を蹴り恭隆を目掛け蹴り上げる。尾上の足は恭隆が持つ鉄パイプに阻まれ、薙ぎ払われる。 「あんまりやりたくないんだけどな！」 　恭隆が鉄パイプを横にして、尾上の腹を目掛け強く打ち込んだ。 　腹を抑え、尾上は後ろにさがり、足元の紙に足を取られる。そのままふらついた深谷とぶつかり床に転がった。頭を打ったのか、二人は動かなくなり、部屋は静かになった。 　恭隆たちと同時に突入していた正明により、ユーヤをはじめ誘拐された被害者の縄はすべて解けた。 「あっけなかったですね」 　軽くほこりを払うように荒川が手で腕を払い、部屋の隅にいた人たちが部屋から出るのを見届ける。誘導している田崎は外で待機している植原に合図を送り、控えていた車へと案内する。ユーヤ以外の人間を乗せたことを確認し、田崎と共に警察へ送り届けに走り出した。 「……くそっ、くそぉっ！」 　倒れこんでいた深谷が、尾上のポケットからナイフを取りだす。二人の体が重なり合い、上から見下ろしている恭隆と荒川からは死角となり見えなかった。深谷の視線は、自身の計画が狂い始めた元凶――ユーヤに向けられている。 「お前が、出てきたから……全部っ……！」 　低い姿勢のまま、ナイフの先を外に向けとびかかる。矛先はユーヤだったが、その手前にいる恭隆に刃は迫っていた。向かってくる深谷と目が合い、ユーヤは恭隆を押しのける。 「ユーヤ！？」 　恭隆が呼ぶも、ユーヤの動きは止まらなかった。 （最後まで、ヤスタカさんを、守るって……！） 　ナイフはユーヤの頬をかすめたが、恭隆にもユーヤにも深くは当たらず宙を切る。ユーヤは深谷をそのままの勢いで押し出すようにぶつかり、床に滑り落ちる。覆いかぶさるようにユーヤは深谷にのしかかり、手からナイフを薙ぎ払った。 　床に頭を打った深谷は、そのまま気絶してしまったようで動かない。尾上も同様に動くことができず、駆け付けた警察により、あえなく逮捕となった。 　警察が来た時にはすでに恭隆たちは部屋を後にしており、囚われていた人たちは何が起きたか分からないまま、部屋から出ることができたと、混乱したまま事実を述べたという。『たまたま』現場近くにいた正明の護衛の下、後に全員が無事解放された。 　恭隆たちは警察に見つからぬよう、ひっそりと物陰に隠れながらも建物から出た。その場で正明は偶然を装い被害者と合流し送り届けるために一行からは離れた。 　植原が運転する車に乗り込み、恭隆たちはようやっと腰を落ち着かせることができた。三列目の一番後ろの席に、恭隆とユーヤが並んで座る。 　恭隆が改めてユーヤの体を見れば、裂かれた服の間から見える痣や先ほどの頬の傷以外には目立った外傷はなかったように見えた。だが、よく見れば手首には痛々しく擦れて付いた縄の跡がはっきりと見えた。 「……ユーヤ、もう大丈夫だからな」 　車に積んでおいた、ユーヤの祖父のコートを、肩からそっとかける。暖かさを覚え、ユーヤがコートを見れば、自分が落とした大切なものだと気づき、弱弱しく握った。恭隆はやさしく、手首をさすりあげ、手を握る。 「ヤスタカさん、ぼく……ヤスタカさんに、会いたいなって、思ったんです」 「うん……俺も、会いたいと思ったよ」 「いっぱい、触れてほしくて、いっぱい、血を、吸いたいなって」 「……うん、俺も、君に触れたいって思った」 「でも、今は、もっと違うことが、したいです」 「なんだい？」 　ユーヤの願い事を聞こうと、恭隆は顔を近づける。 「ちょっと、痛いかもしれません」 　ユーヤは小さく口を開き、恭隆の唇をはむ。恭隆は驚き声を上げようとしたが、そのまま瞳を閉じ、口を開く。ユーヤの口は開いたまま、恭隆の舌の侵入を許した。ユーヤはそのまま恭隆の舌に、少しだけ牙を立てる。ピリと染みる程度に痛みを覚え、恭隆の顔が少しだけゆがむ。 「っ……」 　痛みに声が漏れるが、ユーヤの舌がわずかに出る血を舐めるため、恭隆の舌に絡みついてくる。キスをしているのか、捕食されているのか、恭隆の中で境界線があいまいになっていく。ユーヤも、恭隆の血の味と、キスに近い行為に熱が上がり、舌を深く絡みつかせていく。 「はっ、んっ……」 　吐息すらも吸い付こうとするユーヤに、恭隆も次第に興奮していく。より深く舌を潜らせれば、口の中が切れているユーヤの血の味がした。甘く、熱を持った血は、唾液だったのかもしれないが、わずかに苦みを覚えた。ユーヤの柔らかな頬を撫で、ようやっと二人の口が離れるが、名残惜しそうに、血と混じり合った唾液が二人の間を伝い、落ちていく。 　恭隆の熱に安心したのか、にこりと弱く笑みを浮かべ、恭隆の胸に寄りかかり眠りについた。恭隆もユーヤがそばにいることを実感し、瞳を閉じようとしたが、前から覗いていた荒川と田崎の痛い視線に気づけば、乾いた笑いしかできなかった。