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第4話 地獄と哀れな羊と
「ルナちゃん、ちょっとヘルプ入ってくれない? あの奥のソファーテーブル」
「あ、はい」
店長に指をさされた方を見る。カーテンで隠されたガラス張りの個室が、奥のソファーテーブル席である。少しばかりカーテンの隙間から、黒髪がちらちらと見えており、誰かお客かキャストがいるのが見える。
店にはグレード別に、カウンター席、テーブル席、そして奥のソファーテーブル席が用意されている。ソファーテーブル席は基本ゴールド会員か、懇意にしてる会社の接待用に使われることが多い席だ。
ただし、一つ例外を除いてはだけれども。
俺は言われるがまま、作っていたお酒をお盆に乗せて席に向かう。
「御主人様、お飲み物お待たせいたしました〜! はい、ブラックメイドビールお2つです♡」
作ったような明るいぶりっ子キャラでビールをテーブルに置いていく。オーナーの趣味のせいで、黒ビールがサーバーで置いてあるこのメイドカフェ。似つかわしくないよなあほんと。
さて、それよりも、客は二人。二人共厳ついサングラスを掛けている。一人はよく来るこの辺りを統括してる煩い親父さん。そして、もう一人は見たことない人だ。その風貌や造形から、相当スタイルのいいイケメンだろうなというの俺でもわかる。
親父さんはいつもタバコを吸って上座に座るのに、今日は下座でなにも言葉を発してない。
そして、勿論その隣には既にメイドの先輩二人が付いていた。
(ヘルプって言われたけど、どっちの先輩が指名被ってんだ?)
ヘルプというのは基本指名被ってる場合、指名被った方と交代で入り、客を寂しくさせないようにするためにいるのだ。
だからこそ、どちらも俺が来てるのに動かないと不思議に思いつつ、交代するための言葉を吐く。
「御主人様、私ルナもお仕えしてもよろしいですか?」
にっこりと笑って、そう媚びを売るように言うと、先輩の一人が俺の方を見た。
(あ、あれ?)
「ベリー先輩?」
先輩の顔は赤く染まり、明らかに息が荒い。そして、よく見るともう一人の先輩であるみるく先輩は下を俯いたままブルブルと震えている。
「先輩二人共どうしちゃったんでしょうねぇ? ちょっと、お待ち下さいね」
俺は耳についた無線機から男性スタッフへのヘルプボタンを押す。そして、慌ててきたスタッフが先輩たちをバックヤードに引きずるように退場させていく。
「あららら? 先輩たち体調崩してしまったようですね? 申し訳ございません。代わりに謝罪いたします」
俺は何が起こってるのかわからないまま頭を下げる。しかし、誰一人俺の言葉に返すこともなく、頭下げたまま、沈黙の時を過ごす。
(えーこれ怒られてるのかな? どうするのが正解だよ……)
頭を下げ続けるのは人より得意な俺で良かった。
しかし、それにしてもベリー先輩もみるく先輩もベテランであり、表でも裏でも人気な人たちだ。決して、あんな新人のようなヘマする側ではない。
頭を下げてる間、暇なのでふと理由を考えてみる。
うーん。二人があんな風になってたのは、一体何故なのだろうか。
……思えば、二人共Ωであり、Subだったよな。
Ω、Sub。それはこの世界で最も自由に生きづらい性別の組み合わせ。ただ、この店だと庇護欲を唆るΩの可愛くて可憐な容姿は、相当なアドバンテージだけれども。
いや、今は関係ないかと、反れかけた思考を元に戻す。
思えば、ベリー先輩の様子は、まるでアレを彷彿させた。
発情期。
ある一定の年齢を超えたΩには、αを惹きつけるフェロモンを出しながら、発情してしまう期間が月一回ほどある。俺はβのため、そのフェロモンはよくわからないけど、たしかにこの部屋に僅かに熟れたフルーツのような匂いがする気がする。
(急に、発情期が来た? いや、でもおかしいなあ……)
けど、先輩は既に発情期は、この前済んだはず。シフトにそう書かれていた。
しかも、基本仕事中は弱めの抑制剤をΩの人達は服用して調整してるから、事故になることは少ない。
なのに、発情期が引き起こされた。
(となると、厄介な気がするぞ……)
考えられるのは、ホルモンバランスの崩れか、本能的に物凄く強いαを求めてしまった時。
Ωは時たま強いαと遭遇すると、本能が暴走して発情期になってしまうことがある稀にある。
だから、もしこの人がαならば、有り得なくはない。
では、逆にみるく先輩は、ブルブルとうちに籠もるように震えていた。
それは、俺もよく知ってる症状に近い。
Sub drop。
Subがキャパ超えのプレイや、恐喝等の犯罪行為、強いDomに睨まれたときになってしまう恐慌状態。
(でも、それは全て店の禁止事項だから、何かあったらスタッフが黙っていないはず)
特にこの表の店 ならば、少しでも恐喝紛いやセクハラ等あれば、すぐにスタッフが飛び出していくのに。
俺が呼ぶまでスタッフが来なかったというのは、そういうことではない何かがあるということだ。
もし、この人が、強すぎる加虐性を持つDomならば、αと同じように本能が危機を察してしまうことはあるかもしれない。
頭の中で一つずつ、繋がっていく。
そして、それはとても最悪な結論に達し掛けたときだった。
「なあ、君、名前は?」
俺が気づいた時には、もう遅かった。
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