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第12話 地獄の釜茹で

   火曜日。この日、「女装メイドカフェ チェリービー」には異様な光景が広がっていた。と、俺を含む全従業員思っただろう。    制服であるメイド服を着た俺と、少しばかりいつもより脂ぎっている店長は、店が入ってるビルのベランダにいた。  ベランダには、たっぷり水の入った寸胴と、火の着いたカセットコンロ。  そして、大層不機嫌そうな顔をした陽彦だ。  その陽彦が、煮え立つ鍋の前に立ち、中をじっくり見ていた。   「おい、まだか?」 「ヒッ! にしっ、西尾様! ととと、とりあえず、水が茶色くなってきたので取り替えましょう」 「そうか」    怯えきった店長の指示に舌打ちをしながら陽彦は、軍手を着けた手で寸胴を持ち上げた。そして、ベランダの排水口に向かって汚いお湯を流す。  これは、麻縄から滲み出たゴミや毛羽立ち、強度を上げるために使われるタールなどの薬品をある程度取り除き、固い市販の麻縄を柔らかくするための作業だ。  何度も何度も綺麗になるまで、水を変えて煮るを繰り返す。    なんでこんなことを、店長と三人でしているのかというと、それは一時間前に遡る。   「え、お、俺が、西尾様に研修!? ちょ、え、ルナちゃん無理言わないでよ……! ただでさえ、今客席に居るのも怖いのに」    店のバックヤード。突然やってきた俺と陽彦から、本能で逃げていった店長を追って入っていく。そして、正直無理やり今回のをすると、その顔がわかり易く青ざめた。    しかし、数少ないDomである店長は、実はDomとSubに対してダイナミクスの研修をするために必要な民間資格「ダイナミクスインストラクター」1級を取得済み。    更にはなかなかの拝金主義であり、職業柄口は意外にも堅い。    まさに、今回のお願いをするのに一番最適な人だった。   「で、でも、西尾さん、あまりにもDomとしての知識がないんですよ。ここで、教えれば、恩を売れますよ! 店長!」 「ムリムリムリムリ! だってさあ、今どきDomなのに知識ないなんて、やべぇ地雷臭しかしないって!」    しかし、店長はこの前のこともあり、陽彦に対して萎縮しきっており、ずっと首を横に振り続ける。そもそも、店長はβではあるがDomでもあるため、自分よりも強いDomを本能で警戒してしまうのは仕方ないことだ。    そして、断り文句で言ってることは、まさにそうなんだよなとしか言えない。    俺も、地雷臭しかないと思ってるけど、Domとしての正しい知識がないと、其れはいずれ誤った方に行ってしまう。  何故こんな危ない船に乗ってしまったのか、と心の片隅で思いつつも、お人好しな自分を呪った。    仕方ない、最終手段だ。   「店長、麻縄の鞣し方を! 是非教えてあげてください! 店長の緊縛道をぜひ!!」    叫ぶように言った俺の言葉に、店長の目の色が変わる。拒絶していた店長の顔が少しずつ緩み、戸惑いつつも口角が上がっていく。    この店では禁句とされている言葉の一つを使ったが、効力は絶大なはずだ。   「俺の、緊縛道……鞣し方から、やっていいの? 緊縛、語っていいの?」 「もちろんです!」   「しょっ、しょうがないなぁ! まあ、俺ダイナミクスインストラクター1級だからね、迷える子羊(Dom)を救うのも俺の役目だよね」    明らかにウキウキになった店長。  まだ、足取りは少し重そうであるが、陽彦が待つ客席へと向かった。    そして、VIPルームにて店長によるDomの基本研修が開催された……が先に教材の麻縄を作るため、こうしてベランダに集まって縄を煮ていた。   「まだか?」 「も、もう大丈夫ですかね。お湯を捨てますか。新聞紙で水気拭き取りましょうか、まあ、洗濯機の脱水掛けてもいいんですけどね。このあとは乾かしのに時間がかかるので、別の縄で油馴らしの工程をします」    店長も流石に陽彦に慣れてきたのか、現在の煮鞣しという工程後のことを饒舌に語る。この店に入るとき、従業員は皆一度この麻縄を鞣す作業をさせられる。勿論、俺も経験済みだ。   「……意外と手間がかかるんだな。油も必要なのか」 「何なら摺りなめしその後に毛羽焼きっていって、毛羽を火で炙って滑らかにしますよ」    火で炙るのところで、びくりと陽彦は身体を跳ねさせた。たしかに、びっくりすると思う。俺も軍手とコンロを渡され、毛羽を火で炙れと言われたときは本当に怖かった。   「そこまで必要なのか」 「自分がこだわり、丹精込めて作った縄で、最愛の人(わたしのSub)を縛る、そして、吊るして、愛でる。それほどの幸福を私は知らないんでね」    陽彦の無粋な質問に、店長はドヤっとした顔で答える。店長の奥様は、元々この店の前身であるSubのホテルヘルスの従業員さんだったはずだ。よく、この店で店長がステージングするときに、たまに受け役として上がる奥様を見たことがあった。    ちなみに、俺も一度だけ店長の緊縛ショーに参加したことがあった。縛りは最高だけど、上手すぎて痛みがなかったのが正直残念だった。だから、もし鞣した縄であの荒々しい陽彦が縛ってきたら……。   「そうか、なら、月代。出来たら、お前を縛って、それが本当か確かよう」 「えっ?!」    つい妄想に囚われてしまった時に、不意をつかれてしまった。だから、思わず少し大きめな声で素っ頓狂な声を出した。   「嫌なのか?」 「いやいや、予想外だったので。けど、それは楽しみですね」    俺はなんとか取り繕いつつ、軽いリップサービスを吐き出す。職業病みたいなものだが、妄想するくらいには、どこか楽しみな自分がいた。   「それに、今の工程だけでも、俺は全くDomのことがわからない……無知な人間だ」    しかし、何故だが当初よりも少しばかり気落ちしてしまっている陽彦。俺はなぜだろうと思いつつも、決してフォローできないその言葉を聞こえないふりをした。        

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