3 / 66
第3話
呉哥哥がどんだけヤバいヤツか説明するにゃ、日々量産される武勇伝を引くのがてっとりばやい。
生憎その手のエピソードにゃ事欠かねえエキセントリックな男だ。
ある時、俺は呉哥哥のお供で倉庫に行った。
俺は何故か呉哥哥のお気に入りだ。まったく全然これっぽっちも有り難かねェ、どころか迷惑な話だが、一応そうだ。
その倉庫は組織の持ち物で、無数の檻があった。檻ン中にはボロを纏って痩せこけたガキどもが監禁されてる。捨てられたか売られたか、どっからかさらわれてきたガキどもだ。
巨大な檻ん中に多くて五人程度、ある者は身を寄せ合って、ある者はひとりぽっちで膝を抱えてる。檻ン中には用足しに使うおまるがあり、床には汚れた皿が放置されてる。
コンクリ打ち放しの殺風景な倉庫は、『蟲中天』が管理する商品の一時保管所だ。
この商品は生身だもんで、いろいろと手がかかる。メシも食べるしクソもする。見張りだって必要だ。
納品先はいろいろだ。小児性愛者ご用達の売春宿、実験台を欲しがる製薬会社、クライアントにケツを叩かれ臓器移植のドナーをさがす闇医者……従順なガキには使い道がある。
「遠路はるばるご苦労様です呉哥哥」
「さ、こちらへ」
入口シャッター前の舎弟が丁寧にこうべを垂れ、「|好好你好《ハオハオニーハオ》」と片手を挙げて流す呉哥哥を導く。俺はそのあとから気配を殺して付いていく。
シャッターの隙間から素早く入った倉庫内はだだっ広く薄暗い。垢と糞尿の饐えた匂いが漂って、おもわず顔を顰める。暗闇に慣れた目が巨大なコンテナと鉄の檻をとらえる。
太い鉄格子が嵌まった檻の戸は開け放たれ、キィキィと錆びた軋みをたてている。
その前に両膝付いた中年男。屈強な舎弟にふたりがかりで腕をとられて押さえこまれている。幹部のおでましに気付いた舎弟の一人がそそくさと寄ってきて、声をひそめてご注進する。
「アイツです」
「ガキどもの世話係だって話だが」
「一日二回、エサと水を取り換えてるうちに情が移ったんでしょうね……戸を開けて逃がそうとしました」
「で、何匹逃げた」
舎弟が努めて無表情に首を振る。
呉哥哥が「だろうな」と冷たく嘲り笑い、力なく蹲ったガキどもを何の感慨もなく見詰める。
これから何が行われるかは薄々察しが付いた。知りながら知らないふりをした。世の中知らない方がマシなことがやまほどある、呉哥哥のお付きなんて損な役回りを仰せ付かってるといやでも実感する。
呉哥哥が床に突っ伏した中年男のすぐ後ろに仁王立ち、伝法な濁声を張る。
「覚悟はできたか」
「なんでだよ、なんで逃げねェんだよ」
老け込んで皺だらけの横顔がわなわなと波打ってる。極限まで剥かれた目には、信じられないといった驚愕と絶望の相が浮かぶ。既に袋叩きにされたのか、全身キズだらけ血だらけだ。
中年男の視線の先、開け放たれた檻の中にはガキどもがいた。すっかり生気を失った表情……呼びかけに反応し、虚ろな目がボンヤリこっちを見る。
「せっかく開けてやったのに……逃げていんだぞ、さあ逃げろ。何も心配するな、もう怖くねェ、やっとうちに帰れんだぞ?親や家族が待ってる、さっさと行ってやれ。ここにいたら殺されちまう、変態どもに売られてオモチャにされるんだ、わかってんのか」
「あー……」
中年男が泣きながらかきくどき、呉哥哥がボリボリ頭をかく。シカトされてご立腹、って感じじゃない。面倒なことに関わっちまった徒労感が間延びしたため息に滲む。
「お取込み中悪いんだけど俺様ちゃんも暇じゃあないんだ。このあと愛人と一発予定が入ってンの、わかる?」
「何ボーッとしてんだ、立てってば、歩けんだろ?長いあいだ閉じ込められて足が萎えちまったか?だったらおんぶしてやる……俺にもガキがいたんだ、もう死んじまったが……ちょっと目ぇ離した隙に窓から落っこちて、可哀想なことした……ほっとけねえよ、こんな鬼畜の所業……ガキを売るなんて最低だ、ギャングにだって仁義はあんだろ?臓器を抜いてガワは捨て、売春宿で飼い殺し、新薬の実験台……こんなのぜってえ間違ってる!!」
激高した中年男が、両拳で力任せに檻を殴打。
無表情のガキどもが衝撃にビクリと身を竦ませる。
だが誰一人として檻から出ようとしない、膝を抱えて蹲ったままダンマリだ。連中は立てないわけじゃない。鎖で繋がれてるわけでもわけでもない。言葉がわからないわけでもない証拠に、男の泣訴に申し訳なさそうに目を伏せる。
「なんでコイツらが出ねえか知りてえか」
呉哥哥が煙草を咥えて顎をしゃくる。俺は即座にライターを出し、片手で囲って火を付ける。中年男が漸く振り向き、真後ろに控える呉哥哥を仰ぐ。眼差しには困惑と疑問の色……
「メシに混ぜ物したのか!?ヤク漬けにして言うこと聞かせてんのか!!」
「メシ用意したのはお前だろ」
「こっから出たら殺すって脅してんだろ?こっからでたらひでェ仕置きが待ってるからみんなびびって出てこねェんだ、やること汚ェぞくそったれ!」
「それも一理あるがよ……」
戸は開け放たれてる。逃げようと思えばすぐできる。なるほど、男の言い分は正論だ。
太い鉄骨が幾何学的に組み合わさった吹き抜けの天井を仰ぎ、盛大に紫煙を吐く。こっちまで流れてきた煙に咳きこむ俺にはまったく配慮せず、呉哥哥はあっさり言ってのける。
「檻の外が中よりマシだってだれが決めた?」
「な……」
中年男が絶句。
呉哥哥は檻ン中で途方に暮れるガキどもに無関心な一瞥を投げる。よく見りゃ無傷なヤツは一人もいない。閉じ込められた全員に傷痕がある。打撲に火傷に切り傷、痛々しいみみず腫れ……しかし、そのどれもが古い。ある程度日数を経た虐待の痕跡だ。
「連中のキズは娑婆でこさえたもんだ」
鉄格子を手の甲でコツコツ叩き、うっそりと呟く。
「コイツらは親に捨てられるか売られるかしたガキどもだ。逃げたあとは?行くあてなんかねえ、どのみち路地裏で野垂れ死ぬっきゃねえよ。だったらエサと水を毎日差し入れてもらえる檻ン中のほうがいくらか安全だ、少なくとも食いっぱぐれる心配はねェ」
「よっく言うぜ、あんな犬のエサにも劣る腐った残飯食わせといて……!」
「さっき言ったよなお前さん、おうちで家族が待ってる、親がむかえてくれる……ばーか、コイツらは売られたんだ。拉致ってきたのも何人かまぎれちゃいるがそれだって劣悪なスラムのガキだ、帰るうちなんてあるもんか。手を汚さず口減らしができて、親はせいせいしてるだろうさ」
「ンなわけあるか、てめぇのガキが戻ってきて喜ばねー親がどこにいる!」
「ここだよ」
呉哥哥が靴裏で床を叩き、おどけて両手を広げる。
「わかるか?逃げねェのはコイツらの意志、俺らはな~んも強制してねェ。オイタをしたらどうなるか吹きこんじゃいるが、本気で逃げたきゃとっくにそうしてる」
「嘘吐け、てめェらが無理矢理脅して従わせてんだろ可哀想に!」
「平行線だな」
「スラムからかっさらわれて、狭ェ檻に閉じ込められて、挙句変態にもてあそばれておっ死ぬ。コイツらの生まれてきた意味はなんだ、何の為に生きてるんだ!!」
サングラスの奥の目が据わる。
「生まれてきた意味?ンなもんねーよ」
「なッ……、」
「生後何か月かで親に箱詰めにされて窒息した赤ん坊は?酷寒のトイレに監禁されて餓死したガキは?てめェの親に拷問に近ェ虐待されて、最後の最期まで苦しみ抜いて死んでったガキどもの生まれてきた意味って何よ。ストレス発散?臓器を抜かれる為だけに生まれた赤ん坊はどうなるよ。世間の同情の材料にされるために生まれてきやがったのか、お涙頂戴の悲劇の主役をほんの一瞬張る為に?しかも連中すぐ忘れちまうときた、ほんの束の間オナニーに酔って飽きたらポイ」
「それ、は」
「なあ、連中の生まれてきた意味って何よ?何の為に生きてんだよ?ねえよ、そんなもん。生き物は等しく無意味だ、生まれてくること生きることに意味なんざこれっぽっちもねェ。たまたまおキレイに生きることを許された一握りの幸運な馬鹿が、てめェを特別に仕立て上げてェから後付けでこじ付けたんだ。ケツからクソひるのと一緒、腹ン中でこなれたモンをひりだすんだ。意味ってなァ最初からひっ付いてくるんじゃねェ、人生を何かご大層なモンと勘違いして美化したアホの妄想だ。動物が生きる意味考えるか?生まれてきた理由いちいち悩むか?ヒトは何かするために生まれてきたんじゃねェ、たまたま生まれてきたから必死こいて生きてるんだ。死ぬ奴は死ぬ」
「う……生まれてきた意味はちゃんとある、コイツらだって……」
「なにさ」
「しあわせになるために生まれてきたんだ!!」
狂った哄笑が爆ぜる。
呉哥哥が身を仰け反らせて爆笑、甲高く手を打ち鳴らす。サングラスの奥、目尻に滲んだ涙を人さし指の背で拭い、過呼吸の発作と紛うほど笑いこける呉哥哥に男が食い下がる。
「何がおかしいんだイカレ野郎!!」
「それさ、よく言うよな。ガキはみんな幸せになるために生まれてくる、愛されるために生まれてくるんだぜって」
笑い声が虚空に吸い込まれるように消え、サングラスの奥、もとから低温の瞳が底冷えする。
「じゃあさ、幸せになれなきゃ生まれてきた意味ねェの?だれにも愛されねえなら生きてちゃいけねーか」
感情が漂白された言葉が、俺の胸の深くを抉る。
あげ足とられて追い詰められた男が、口惜しげに歯噛みして吠えたてる。
「親代わり、友達、恋人……幸せを掴むチャンスは無限にある、なんでハナっから切り捨てんだよ?!」
「恵まれたヤツは自分がいかに恵まれてるか気付かねェんだ、幸せってヤツぁとことんヒトを鈍感にすっからおっかねェ。ンな妄想の正当化こそ愛されねぇガキの存在全否定だって気付かねェ?」
子どもはみんな愛されるために、幸せになるために生まれてくる。
耳心地がいい言葉だ。それだけの言葉だ。言った本人だけ気持ちよくなる、だれも救わねえ詭弁だ。
親に愛されない子どもは実在する。
親に虐げられ、殺される子どもも大勢いる。
そんなヤツらが「君は愛されるために生まれてきたんだ」と聞かされて、素直にはいそうですかと納得するか?「君はしあわせになるために生まれてきたんだ」と諭されて、やった僕もしあわせになれるんだと舞い上がるか?
ましてや、手遅れになったガキどもが。
生まれてきたのに愛されず、生きていたのに幸せになれず、そんな世の中に腐るほどいるガキどもの終わっちまった価値は一体だれが担保してくれるんだ?
コイツらは|犠牲者《ヴィクテム》だ。
なのに重すぎる|対価《ヴィクテム》を払わされ続けている。
「だからさ。無意味なんだよ」
ヒトが生まれてくるのに理由なんざまったくねえ。ただの偶然、ただの避妊の失敗、それだけだ。男と女が愛し合った結果であろうが|経緯《ゆくたて》は変わらねェ。
呉哥哥が煙草を片手に預け、場違いに美味そうに紫煙を燻らせる。
俺も煙草が恋しい。
「天国も地獄もねェ、在るのは俺とお前が愉快に踊るこの世だけ。大体さぁ、おっ死んだあとに人間がいく世界があるなら他の生き物にだってなきゃおかしいじゃん。犬オンリーの天国、猫オンリーの地獄、ありんこオンリーの蟻地獄……聞いたことあるか?ねえよな?なんで人間だけ特別扱いなんだ?思い上がりも大概にしろよ、天国も地獄も死ぬのにびびった連中が拵えた妄想だ。人間は愛されるために生まれてくるんじゃねェし、しあわせになるために生きるんでもねェ。ましてや天国の片道切符ゲットが目的であるもんか」
人生は死ぬまでの暇潰しだと結論付け、異様に尖った犬歯を剥く。
「ヒトの生き死にに特別な意味はねェ、ただの運試しだ。いもしねェくそったれた神様が等しくお与えくだすったモンの中で、意味のなさだけに意味がある」
「ボサッとしてんなさっさと立て、いいかこれが最初で最後のチャンスだ、今逃がしたら後ねーぞ!死にたくねェなら自分の足で走れ、おい聞いてんのかなんとか言えよ、ヒトがせっかく開けてやったのに!!」
狂おしい焦燥に駆り立てられ檻をめちゃくちゃに殴り付ける、皮が剥け血塗れの両拳で殴打して必死に声を張る。
檻に縋り付いて急き立てる中年男を、ボンヤリ見返すガキどもの目はどれも死んでる。
檻の中も外もたいして変わらねェと知ってるのだ。
いや、飯が出るだけ中のがちょっとはマシだ。
売り飛ばされた先で健康な臓器を抜かれても、性病を伝染されて死ぬまで変態の相手をさせられても、ヤバいクスリを呑まされて全身斑で衰弱しても。
コイツらは、檻の外こそ本当の地獄だとよく知ってる。
「ガキが死ぬのは見たくねェ、たくさんだ……」
「独りよがりの正義感だな。そんで誰か救えたか」
偽善の代償は高く付く。
本気でガキどもを助けたいなら戸を開けるだけじゃだめだ、全員まとめて養う位の覚悟がねーとかえって酷だ。
鉄格子を掴んでずり落ちる男を見下ろし、その後頭部に銃口をめりこませる。
中年男は完全に意気阻喪して顔を上げない。善意が幻滅で報われて、生きる気力が失せきった。
そもそも商品に情を移すのが間違いだ。
雇い入れた上の見る目のなさが元凶だ。
「意味だ理由だ、眠てェ戯言ぬかすから後腐れる」
乾いた銃声が天井高く轟き、残響が大気に波紋を広げる。硝煙立ち上る銃口をひと吹き、呉哥哥がたった今屠った世話係の脇腹に蹴りを入れる。
「生きてェから生きる、それだけだ。余計な意味で汚すなよ」
最後にもう一発蹴りを見舞い、舎弟に後始末を命じて立ち去る呉哥哥が、ふと思い出したように振り返って俺を見る。
「……ちらっと思ったんだけど」
「なんスか」
「蟻オンリーの蟻地獄って大アリクイいんの?」
知るか。
ともだちにシェアしよう!