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第9話

車窓に人が溢れる。 気晴らしにくりだすダウンタウンの労働者に物見遊山に訪れるアップタウンの家族連れなど、多種多様な人々が退廃的なネオン瞬くゲートの向こうへ吸い込まれていく。 ジャンクヤードが本格的に賑わいだすのは夜からだ。昼はただの怪しい市場だが、夜はそこかしこに天幕が張られ、いかがわしい見世物が人を集める。 結合双生児や四肢欠損の身体障害者をはじめ全身ピアスや刺青の身体改造者が登壇するフリークショー、全身毛に覆われた美女や鱗のある少女がムーディーな音楽に合わせてくねり踊るミュータント専用のストリップ小屋、派手に化粧した雑技団や詐欺まがいの手口で品物を叩き売るインチキ商人、辻演奏で場を盛り上げるヤクザなジャズシンガーなど、表通りでは営業しにくい連中がせっせと銭をかき集める欲望の吹き溜まり。 コヨーテアグリショーが興行する水曜夜は、柄のよろしくない連中も大勢出入りする。というか、大半がそうだ。 「人間ってなァ髪と目の色とっかえるだけでガラッと印象変わるんだ」 スワローが軽快にヘアカラースプレーを振り、髪全体にまんべんなく吹きかける。 軽薄な金髪から大人しめの茶髪に生まれ変わり、続いてミラーと向き合いカラーコンタクトを嵌める。瞼を上下に押し広げ、装着したコンタクトが馴染むよう瞬き。 再びミラーに映し出されたのはあちこちハネたおさまりの悪い茶髪と、ありふれた茶色い瞳のガキ。 顔の造りこそ前のまんまだが、マジョリティに溶け込むのを一番に考えた地味なダークトーンが肌の白さを引き立てる。 「どうだ」 スワローが得意げにふんぞり返る。 俺はハンドルにもたれて感心する。 「化けたな」 「顔バレしてっから念入れて」 「泥ツバメだ」 「瞳もフェイク」 「ちょっと珍しい瞳の色だもんな」 「あの記者殺す」 「雑誌に載った写真か」 「街歩ってたら勝手に撮られたんだよ、フィルム抜いてやりゃよかった」 「不意打ちは嫌いか?」 「いきなりフラッシュ焚かれんのはな。髪、むらになってねえ?」 「大丈夫っぽい。脳味噌が0.3g重くなったみてえ」 襟足から頭頂まで染め残しチェックをして余計な感想を付け足せば、スワローが心外そうに眉根を動かす。 「そんな馬鹿っぽかった?」 「頭からっぽのほうが夢と無謀詰めこめるらしいぜ」 実際スワローは上手く化けた。変装の出来は上々だ。 いくら顔と名前が売れてるといってもデビュー一年未満のルーキー、ダドリーが侍らす下っ端にまでネタは割れてないと都合よく信じる。 紐を耳にひっかけて黒いおしゃれマスクで口を隠し、仕上げにすっぽりフードを被る。 スワローが今着てるのはオフホワイトの白いパーカー、下はダメージジーンズ。背格好で十代の少年らしいとはわかるが、ぱっと見顔の造作はわかりにくい。 車窓から入場の様子をチェックする。コヨーテアグリーショーは盛況だ。客は二列に並んでだべり、手下どもが怒声を張り上げて人員整理にあたってる。危険物はゲートで没収され、帰りに返却される。 変装の仕上がりに満足し、鼻歌でも唄いかねない横顔に釘をさす。 「免許もおいてけよ」 「はなから持ち歩いてねーよ。あんなの携帯してたら賞金稼ぎがいるぞって宣伝するようなもんだろ」 「だよな……」 「アレ何か意味あんの?卒業証以外にさ」 「疑い深いヤツに見せるんだよ。身分証にもなる」 「戸籍の証明か」 「大昔は車の免許証を使ってたんだと」 無戸籍の人間でも、賞金稼ぎになりゃ戸籍ができる。他にも保安局での手続きがスムーズになるとか組合への登録時に必要だとか、いろいろご利益があるのだ。 「持ってろ」 スワローが手首を返して突き出すナイフを、腰が引けがちにおそるおそる頂戴する。 「びくつくなって。何もしねーよ」 「信用できねえ」 「こないだので気が済んだ」 スワローが肩を竦める。あれから溝ができた。俺はスワローを警戒し距離をとり、スワローは俺の反応を面白がって、わざとちょっかいをかけてくる。いきなり顔を近付けたり指を掠めてくるから心臓に悪い。 「すぐにドア開けて逃げ出さねーのは意外」 「……お前、組んだヤツ全員にあーゆーことしてんの」 「まっさか、俺にだって好みがある。ヤなヤツには相応の仕打ちすっけどな。アンタはいじめたくなる顔してっから遊びたくなる」 いけしゃあしゃあと言ってのける。殺したい。スワローは俺「と」遊ぶんじゃない、俺「で」遊ぶのが好きなだけだ。その違いはとても大きい。 渡されたナイフを慎重な手付きで懐にしまい、ハンドルに顎をのっけてため息を吐く。 「……おちょくられんのは慣れてる。性的な意味でもな」 慣れたくはないが、慣らされた。 あの人は俺のカラダに長く傷を残すのを好まず、もっと陰湿なやりかたを好んだ。もっと最悪なのは呉哥哥で、自分は机にふんぞりかえったまんま、床でオナニーをさせるのだ。 最初の頃は恥ずかしさで泣きたくなったが、今じゃもう麻痺してる。 手首のスナップをきかせろ、ひとこすりごとに角度を変えろだのいちいち指導されるうざったさも、大人しい顔の割にやんちゃな反り方だなとか、毛が薄くて十歳の男の子みてえだとか微に入り細を穿ち品評される屈辱も、殴る蹴る痛くされるよかマシだと割り切ってる。 呉哥哥は俺の顔を歪めるのが好きだ。 怒りと恥ずかしさがごっちゃになって、泣く一歩手前で我慢している時がいちばんぞくぞくするらしい。 喧嘩も弱い。肉体も貧弱。初対面のヤツにはまずなめられる童顔。いざって時の弾避け以外使い道のねェ俺が、武闘派でノす呉哥哥のそば仕えなのは、好きな時に転がしてストレス解消できるからだ。 幸いにして……というか不幸にしてか、見かけによらずしぶとくタフにできてるもんで、ちょっと位ひどくしたって壊れない、長持ちするオモチャとして可愛がられている。俺のまわりにはクズとゲスしかいない。 ギシ、とシートが軋む。スワローがこっちに寄ってくる。 「目ェ見て言えよ」 「そのドブみてーに濁ったパチモンの目を?」 「死んだような目のヤツに言われたかねェ。近付くとびびるくせに」 「必要以上に馴れ合う気はねえ。ひとにオナニーさせて悦に入る鬼畜サドとは特にな」 「シートで気分出してシコってたろ、ド変態マゾ野郎。だれかに見られそうでドキドキした?いやだったんなら逃げろよ」 「ナイフ突き付けといてどの口で言うんだ?強姦魔の理屈だな」 逃げない理由は簡単だ。背に腹は代えられない。スワローはクズだが、別にレイプされたわけじゃない。あの程度我慢できなくはない。 それに俺は…… フードに覆われた茶髪の下、ブラウンの瞳が嗜虐の笑みを孕む。 「ペニスからぼたぼた汁たらして、感じまくったの否定できねえよな」 「…………」 「シート汚しちまって……悪い子だな。見ろよ、シミになってる。借りたんじゃねーのこの車、貸主は災難だな、どう言い訳するんだ?」 「ッ……」 大声で怒鳴られるよか、小声で囁かれるほうが怖い。 「悪い子」だの「いけない子」だの耳元で囁かれると、恐怖と羞恥で背骨が煮える。 誰のせいだと思ってやがる、全部お前が悪いんじゃねーか、お前が無理矢理させたんじゃねーか。言っても無駄だ、俺の立場は弱い。アレでハッキリ上下関係が決まっちまった。 スワローは呉哥哥と同じ種類の人間だ。 暴力を道具にし、力を見せ付けて性的な快感を得られる側の人間だ。コイツにとっちゃセックスはマウンティング、エモノの首を噛んでねじ伏せるのを心から楽しんでやがる。 ウェットティッシュで何度も拭いたが、濃い精液のシミはとれなかった。せめて匂いは残らないよう祈る。 「いじめられると気持ちよくなるんだよな」 完全に俯いちまった俺の顎先に、無個性な茶髪とブラウンの瞳をそなえた綺麗な顔がくる。 「ナイフ、ちゃんと返せよ」 優しく脅し付け、うなだれた頭をひとなで。 ひと回り近く離れたガキに言い聞かされ、屈辱に震える拳を握りこむ。いっそ殴り飛ばせたらスッとするのに、その度胸すらねえ。 耐えろ俺。これが終わるまでの我慢だ。今回限りの付き合いだ。 口惜しさに唇を噛み、意趣返しに話題をさがす。 「……あのさ。質問していい?」 「何」 「お前、いまだって稼いでんだろ。組合頼らなくてもやってけんじゃねーの?500万ヘル級の賞金首何人か挙げたって、雑誌で読んだぜ。そのカネどこやったの。全額あわせりゃ家建てられんだろ」 ずっと疑問だった、スワローはルーキーの割にゃそこそこ稼いでる。単純換算ならちょっとした経営者の年収に匹敵するレベルだ。 そもそも組合ってのは、自分でネタをとれなかったり儲けがカツカツだったり、いまいちぱっとしねえ賞金稼ぎに仕事を無茶振り……いや、斡旋する仕組みだ。元々は賞金稼ぎの|相互自助団体《ボランティア》だ。 一応言い直したが、経済的に困窮してる賞金稼ぎをいくらでも使い捨てられるから今回のコヨーテ・ダドリーよろしく厄ネタを押し付けられるのは日常茶飯事。賞金稼ぎの職安ってのは建前で、足元見られまくるから割がいいとはお世辞にも言えねェ。 頭の後ろで手を組んで助手席に寝そべったスワローが、あくびまじりに白状する。 「スロットでスッた」 「はァ?スロットってアレか、カジノにある……絵柄や数字を合わせて遊ぶ?」 「それ以外にあんの?」 「馬鹿なの?え、マジ?冗談じゃなく?」 さすがにぶったまげる。コイツは今、懸賞金を全額スロットに使い込んだって言いやがったのか?スワローが面倒くさそうに続ける。 「俺が稼いだカネ好きに使って文句ある?」 「全部あわせりゃ3000万ヘル以上だろ?貯金や倹約の概念辞書にねーの?生活どうすんだよ。てかスロットで使いきれるもんなのかよ……」 あきれて言葉もない俺をよそに、片手を右に左にひねってレバーを回すまねをする。 「やってみたら面白くてハマっちまって。運試しってぞくぞくするよな。ラッキーセブン出たぜ、コインの大洪水でうはうは」 「で、そのカネはどこに」 「スロットに突っこむ」 「馬鹿かお前は。スロットで稼いだカネをスロットに注ぎこむって、完璧ギャンブル中毒の悪循環じゃねーか。無限ループのドツボで自滅だ」 「それと仕送り」 「仕送り?」 指折り数えるスワローの口からある意味スロットよか意外な言葉がとびだし、思わず聞き返す。 「……親孝行だな」 どう反応したらいいか迷ってそれだけ言えば、スワローがきょとんとする。 「信じるのかよ」 「デマかよ」 「今の返し新鮮だなって」 大抵のヤツはデマだと決め付けるのにと言葉にしない続きをあきれ気味の表情が物語る。なんだかバツが悪くなり、ダークブラウンの髪をかきあげてそっぽをむく。 「否定する根拠もねーだろ、だれだって家族は大事だ。まあ……中には大事にしたくねーのもいるけど」 後半は余計だろ。どうも感情に言葉が追い付かない。俺自身のわだかまりのせいで、いらねーことまで口を滑らせた愚かさを呪うも、スワローは「ふーん」と流す。 やっぱり担がれたのか?疑いだすときりがねェ。まあ、本人の言う通りスワローが稼いだカネをどうしようが関係ねえこった。ギャンブルでも仕送りでも好きにしやがれ。 好奇心が先行した質問を悔やんでフロントガラスに視線を放れば、「ほい」と膝に何かが投げ出される。 スワローが放り投げたブツを手に取り、首を傾げる。 「何これ」 「下水にもぐるんだろ?」 「ガスマスク……か?」 「兄貴が使ってた。うるせーからあとで返せよ」 それは量産品の無骨なガスマスクだ。随分年季が入った代物で、埋め込まれたゴーグルは手垢で曇ってる。 レンズの汚れに息を吹きかけ袖口で拭い、頭上に翳してみる。 「兄貴いたの」 「一応な」 「放射能除染員かなんか?」 有り難く借りるとして、スワローが兄貴に言及するのは初めてだ。 野良ツバメの家族構成は知ったこっちゃねえが、仕送りの件といい案外仲はいいのだろうか。俺とは大違いだ。 スワローはどうでもよさそうに肩をすくめ、パーカーのポケットに手を突っ込む。フロントガラスに放った視線には韜晦の色。 「今はいねェよ」 その言い方がやけになげやりだったもんで、おっ死んだのか蒸発したのか、地雷を踏んじまったんじゃねえか妄想を逞しくて気を揉む。 手の中のガスマスクをいじくりまわし、それとなく尋ねる。 「……似てんの?」 「いんや。半分しか血ィ繋がってねーし」 「そっちと組んでやりゃいいのに」 何の気なく、そう言っちまった。誓って他意はねえ。兄貴のことを語る素振りと口振りから、本人さえ無自覚な信頼めいた感情、愛情までいかない愛着が覗いたからそう勧めたのだ。 俺に兄弟はいねえが、もしいたら何か変わってたのだろうか。 たとえば姉や妹がいたら。あの人はちゃんと俺を、俺自身を見てくれたのだろうか。 「……俺とは組みたくねーんだとさ」 益体もない思考に流れ、ボロいガスマスクを抱いて暫く呆けていたら、隣席からブスッと不機嫌な声がする。 スワローが足癖悪くダッシュボードを蹴り付け、大層苛立って凄む。 「おしゃべりは打ち止め。とっとと行け」 ……どうやら地雷を踏んじまったらしい、野良ツバメと兄貴の仲は複雑なようだ。同時にドアを開けて外に出る。 「打ち合わせ通りにいくぞ」 「わかってるよ。カネは山分けな」 「ンなの全部終わってからだ、うまくいく保証もねえ」 「幸先暗いな、ポジティブに考えろよ」 いよいよ決行だ。

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