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第13話

有刺鉄線を絡ませた金網の向こうは未開の領域。 敷地は無駄にだだっ広く、所々にコンテナが点在する。 コヨーテアグリーショーの会場はまだしも体裁が整えられていたが、こちらは完全に関係者オンリーの舞台裏。 圧搾された廃車をはじめ、鉄パイプや板切れ、壊れたテレビや冷蔵庫などが無秩序に打ち捨てられた様は殺風景の一語に尽きる。 「裏」の仕事場とねぐらを兼ねているのだろうが、ゴミ処分場に間借りしていると表現したほうがより近い。 舎弟がポイ捨てしたとおぼしきビールの空き缶や煙草の吸殻、くりかえし踏み付けられて地面と同化したガム、極め付けは大量の毛玉と犬の糞があちこちに散らばる、まさしくジャンクヤードの中のジャンクヤード。 表の晴れやかさと華やかさが嘘のように、金網を隔てたこちら側は不気味な静寂に支配されている。 スラムにありふれた荒廃した景観に一片の感傷を払うでもなく、犬の糞を踏まないよう注意して歩きだす。 こうもあっさりいくとなんだか拍子抜けだ。 賭博でも儲けたし、今夜はやけにツイてやがる。 悪運の強さにかけては己の右に出るものはそういないと常日頃から豪語しているが、反動がきそうな疑念を拭い去れない。 「警備も妙に手薄だったな」」 原則は保安官と同じで、ギャングもなるべく複数で行動する習性がある。|二人一組《ツーマンセル》が連中の最小単位だ。 身内の裏切りを警戒して、というのもあるが、単独行動はリスクがはねあがる。 特に自分たちのボスが不特定多数から命を狙われてる状況下での孤立は、致命的な隙を生む。得体の知れない侵入者と一対一で立ち回るリスクを犯すより、二人で確実に袋叩きにするか、片方が引き付けてるあいだに応援を呼びに行かせたほうが利口だ。 あのデカブツは何故そうしなかった? 過信、慢心、怠慢……それ以外の何か? 「…………」 頭の片隅にひっかかる違和感。その正体がモヤモヤと掴めず苛立ちが募る。 天性の|賜りもの《ギフト》を経験で鍛え抜いた直感が、不吉な警報を鳴らし始めている。 確かに、狙った。 会場の盛り上がりが最高潮に達し、舎弟の殆どが集金に招集されたタイミングを見計らい、そっと抜け出た。 それで少しは警備がゆるんでりゃラッキーと軽く考えていたが、予想以上の手ごたえなさに戸惑っている。 「野郎、賞金首の自覚あんのかよ?もっとこーさァ、金網に高圧電流ながすとか創意工夫ほどこせよ、はりあいねえじゃんか。悪党は下品にかましてなんぼだろ?タッチした途端にビリビリ、黒焦げ一丁アガリ」 スワローでなくても文句をたれたくなるというものだ。否、スムーズに潜入できたのをぼやく賞金稼ぎの時点でおかしいのだが…… コヨーテ・ダドリーの警備にダメ出しし、呑気に歩いていたスワローが立ち止まる。 廃車を圧搾したキューブを積んだ小山の向こうに、無数の四角い輪郭が垣間見える。成人男性でも入れそうなサイズの檻……大型犬専用か。 無防備な接近は命取り。 番犬はヒステリックに吠えたてる。 今スワローがいるこの場所、この地点こそ、連中が敵の匂いを嗅ぎとれないギリギリの境界線だ。 スワローにはわかる。 廃車の小山に半ば遮蔽され、闇に慣れた目でも檻の中で蠢く影の細部はとらえきれず、のっそり動き回っているのが辛うじて判別できる程度だが、何匹かは既に虚空を見据え、耳をピンと立てているのが視覚情報に頼らない皮膚感覚としてピリピリ伝わってくる。 進むか?引き返すか? 頭の片隅にこごった違和感が、どす黒い猜疑心にまで膨らんで思考に巣を張る。 罠らしい罠もなくここまでこれたのはいくらなんでもおかしい、コヨーテ・ダドリーはそんなに馬鹿か?そんなヤツが世界中の賞金稼ぎが集うアンデッドエンドで、二週間以上生き延びられるか? 慎重を期して出直す? また劉と打ち合わせして、準備を整え。わざわざ髪と目の色を変えて。 うんざりするほど長い行列にお行儀よく並び、クソまどろっこしい身体検査を受けて、血みどろの闘犬ショーにかぶり付き、派手にスッてはぶんどり返し、その他大勢のアホどもに揉みくちゃにされて…… 「ゴジョーダン」 答えはきっぱりノーだ。 また一からやり直しなんてたりィことやってられっか、畜生め。 スワローの選択肢に「出直す」「引き返す」なんてダサい単語はない、何故ならそれは逃げるのと同義だからだ。 「すぐそこに親玉がふんぞりかえってんのに、お預けくらってすごすご逃げ帰れっか」 犬歯を獰猛に軋らせて啖呵を切る。 どんな危険にも正面切ってとびこんでいってこそ、賞金稼ぎになった甲斐があるというもの。 スワローは飽くなき刺激を求める性分だ。 スリルがなければ生きていけず、リスクがなければ挑む気がおきない。 そんなスリル中毒のスワローが、本命の目と鼻の先まで迫りながら、あるかどうかもわからない罠に怯んで逃げ帰るなど絶対にありえない。 今夜を逃がしたら次はない。 ちんたら出直して、夜逃げのあとですっからかんだったらお笑いぐさだ。チャンスは最大限利用する。一度掴んだ好機は離さない。 慢心、過信、あるいは自惚れ。 注目のルーキーとしてもてはやされ、若手の中でも上位に食い込む実力と見なされたスワローは、この時ほんの少しばかり、いや実をいうと結構、調子に乗っていた。 生来の強情な性格に加え、デビュー数か月で立て続けに大物を仕留めた自負が支える賞金稼ぎのプライドが、消極的な選択肢をばっさり切り捨て、無謀と紙一重の大胆な行動へ彼を駆り立てる。 そうしなければ 『結局強がりじゃない』 そうでないと 『ほら見ろ俺の方が強いぞって、砂山のてっぺんの旗をとってはしゃいでる子どもみたい。一人でもやってけるなんて虚勢でしょ?わかってるのよ……まだ十五、これからどうしたらいいか不安よね?なのに薄情なお兄さんはあなたに留守番をまかせて他の男のところへ行っちゃった。右も左もわからないのにひとりぽっちでほうりだして……ここの人間はみんなそうなの、家族だろうが友達だろうが平気で裏切って置き去るの。とことん突き詰めたら自分が一番かわいくて一番大事……一足先にこの街の悪徳に染まってしまった、あなたのおにいさん然りね』 ねっとりした女の囁きが内耳に響く。 『それがアンデッドエンドの住人になるってこと……ホンモノの賞金稼ぎになるってこと』 吐息の生ぬるさまで再現され、猛烈な怒りを孕む嫌悪感がこみ上げる。 『来て、スワロー。アナタならただで手ほどきしてあげる。冷たいお兄さんなんてほっといて、ふたりでおもいっきり楽しみましょうよ』 そんな人忘れて。 アナタとアタシ、ふたりで。 「引っ込め売女」 耳を押さえても幻聴が止まず、苛立たしげにかきむしる。 無意識に懐を探るも求めた感触が得られず舌打ち。ナイフは精神安定剤だ、もてあそぶと気分が落ち着く。 作戦上必要に迫られてとはいえ、たいして親しくもない相手に自分の一部を預けた事実がいまさらながら悔やまれる。 劉が見せた地図は頭に叩き込んでる。目印のマンホールはこの先だ。だが真っ直ぐ行くには檻が邪魔だ、前を横切れば犬どもが騒ぎだす。 方向転換、ぐるりと廃車置き場を迂回して反対側へ。 そちらにも檻があり、犬が十数匹閉じ込められている。 いや……隔離されている。 遠目にも様子がおかしいと察知、ところどころみすぼらしく毛が抜け、耳や足の先が欠けてたり、しっぽや目が潰れた犬たちを見て合点がいく。 「|噛ませ犬の檻《アンダードッグケージ》か」 五体満足の犬は一匹もいない。 ろくに掃除もされてないのか糞尿垂れ流しで悪臭が凄まじい。 そんな不潔な檻の中、覇気のない犬たちが、死んだような目で虚空を見詰めている。 あるものは片隅にお座りし、あるものは地べたに突っ伏し、あるものは重心の不安定な足取りで虚脱げに徘徊し。 もはや吠える気力と体力も尽き、視覚すら衰えはてた死にぞこないの群れ。 噛ませ犬は元闘犬用語。 闘犬を調教する際に必要な工程であり、闘犬に「自分は強い」と自信を付けさせるための犬が噛ませ犬だ。 若い闘犬に犬をあてがい、とにかく噛ませる。 これにより勝利の味をしめ、物怖じせずに相手を噛むようになる。 噛ませ犬は闘犬に対応できない弱い犬種や、現役を卒業した闘犬を反撃できない状態にした犬であり、ただ噛まれるだけの彼らは日々傷だらけになり、やがてそれが原因で命を落とす。 稼ぎ頭のスターでもある闘犬とは違って、愛情をかけて育てられるのは稀だ。 スワローは慎重に歩を踏み出し、やけに静かな檻へ歩み寄る。 ここの噛ませ犬は、年老いたり怪我で引退を余儀なくされた闘犬のなれのはてらしい。黄濁、白濁、充血……眼球にも症状が出ている。 嗅覚もイカレているのか、全てを諦めてしまっているのか、無気力に寝そべったまま億劫げに見上げてくる。 治療もされずほったらかされた傷口は酷く膿んで小蠅がたかっている。 トレーラーハウスで旅をしていた頃、田舎町で闘犬の仕込みを見たことがある。 本番前、噛ませ犬を使って練習させていた。 殆ど無抵抗で噛まれる一方の犬と、行く先々で悪ガキ連中に袋叩きにされる情けない兄貴が被り、むしゃくしゃしたのを思い出す。 『痛くねえの』 『コイツらはコレが仕事だから』 トレーナーの男は何故だか誇らしげにそう言った。 自分の手柄を見せびらかすような、優越感に酔い痴れた響き。 あの時はおどおど卑屈な犬に嫌気がさして、本番を見もせず帰ってきた。 「お前らも災難だな。檻の中と外、どっちがマシかわかりゃしねえ」 声をかけたのは気まぐれだ。 死に体の噛ませ犬たちはいずれも大人しく、スワローが近付いてもわずかに顔を上げるだけで殆ど反応を示さない。あるいは、人間全般に絶望してるのか。腐るほど見飽きた、虐待されたガキと一緒だ。世界に対してもう何の期待もしていない目。 この前なら難なく通過できる。 なのに立ち止まってしまったのは、檻の一番奥、前脚をそろえてお座りしている毛玉のお化けのようなヤツが、昔飼ってた犬とだぶったから。 元は何色かもわからない、古いモップのように伸び放題でボサボサの毛が、毛に埋もれた哀しげな目元が、子供時代のほんの一時期を共に過ごした犬と重なり、アイツが生き返ったような錯覚に陥る。 その毛玉のかたまりが、途中でちぎれた尾をほんの少し動かす。 「……しっぽふってんの……?」 人がきてくれて? 会いに来てくれて? こんな酷い仕打ちを受けてもまだ、人間に愛情をかけられるのか。 昔飼ってた犬と似てたから。 ただそれだけの理由で鉄格子を掴んで動けなくなったスワローは、背後に忍び寄る影への反応が遅れる。 「!」 おもむろに肩を掴まれる。 「騒ぐな。ゆっくり振り返れ」 バレた。見付かった。 いくら呆けてたとはいえこの俺様が、接近の気配すら悟れずまんまと間合いに敵を入れるだと? 「!?ッあ゛いッ、」 大人しく従うか振り切って駆け出すか迷い、後者を選ぼうと靴裏を浮かせれば、肩が軋んで悲鳴を上げる。凄まじい剛力だ。 「もう一歩、いや半歩でも踏み出してみろ。自滅すんのはお前だ」 耳裏で低く囁かれ、噛ませ犬の檻へと向き直りぎょっとする。 内部の様子が豹変、鉄格子の隙間に鼻面を寄せた数匹が、先端から涎滴る鋭く尖った牙を剥き、爛々たる眼光を放ち始める。 死にぞこないと軽んじていた噛ませ犬らがゆっくり起き上がり、暗闇に底光りする目でこちらを睨み据える。 「ウ゛―ッ」 「ウ゛ウ゛ッ」 片足が欠けた犬も、しっぽがちぎれた犬も、喉奥で低く威嚇の唸りを醸し、今まさに見えない境界線を跨ぎかけたスワローを敵愾心を漲らせ牽制。 耳裏、無感動な太い声が続ける。 妙に聞き覚えのある声だ。さっきどこかで…… 「犬はとことん人間に忠実な生き物だ、それが連中の習性だ。どんだけ嬲りものにされたって根っこは変わらねェ、コイツらはご主人様が大好きで命令にゃ絶対服従。どうせ死にぞこないの噛ませだと侮ってたんだろお前」 肩を掴む握力が一段増し、骨を圧搾。濁声に威圧がこもる。 「Don't fuck with dogs.」 犬をなめるな。 半身をひねって見上げた先、影になった男が顎をしゃくる。 前方の地面に数滴黒い染みがある。暗闇に紛れて見落としていた、乾いた血痕。 「コイツらは生きた警報装置、見知らぬ誰かがこの檻より一歩先に出たら途端に狂ったように吠えだしてチクるのさ。犬は利口な生き物だ。コヨーテ・ダドリーが手ずから仕込んだ連中は特にそうだ。鞭、クスリ、暴力……そしてご褒美で、主人への恐怖と忠誠が骨髄まで叩きこまれてる。牙を抜かれた芝居でだまくらかすのもワケねえよ。信用できねェなら体を張って試してみるか?」 敵か?味方か? 口ぶりから推察するに、少なくともコヨーテの手下ではない。 「獰猛な闘犬と死にかけの噛ませの檻がありゃとーぜん後の方に行くよな。二者択一に見せかけた一択、そうやって誘導すんのさ。こっちのがタチ悪ぃとも知らないで……いやらしいトラップだ」 「偉そうに説教しやがって……随分犬の生態に詳しいみてェだが、誰だよお前」 両手を挙げてゆっくりと振り向く。 自分の肩を掴んだ男と向き合い、背後をとられた悔しさと不審に引き攣ったスワローの顔に衝撃が広がる。 「よう坊主。さっきはいいタマヒュンお見舞いしてくれたな、マゾっけはねェがちょびっと興奮したぜ」 あばただらけの醜男が、まんざらじゃない軽口を叩く。 飄々と嘯いて下卑た笑みを浮かべたのは、先刻スワローが股ぐら捻り上げた痴漢野郎だった。

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