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Wish U a Merry Xmas
本日はイブだ。
早く終了のおしらせをしてくれ。
「あーーーさみーーー……」
雑多に犇めくアパートの窓からはツリーを囲んで祝い興じる家庭の明かり、換気扇からは仄白い湯気に乗じて美味そうな料理の匂いが空気中に拡散し、ひもじさとわびしさに拍車がかかる。
ピンクのネオンが点滅するラブホに吸い込まれていくカップルを尻目に、さかんに足踏みして寒さをごまかす。
もうちょっと厚着してくりゃよかったと悔やんでも後の祭り、薄手の柄シャツにブルゾンを羽織っただけじゃ役に立たない。
二の腕をこすって申し訳に暖をとりブツクサぼやく。
「畜生さみぃ、ふざけてんじゃねえのコレこの寒さ。なんなの一体小便のキレが悪くなっちまうよあー帰りてェ、別に帰ってやることもねえけどさ……一人寂しく独り寝だけど……」
ゴミが散らばった不景気な街並みも、どことなく華やいで見えるのはただの感傷だろうか。
「汝、隣人を愛せよ」
後光さすような厳かな声音が深沈と広がる。
俺から数フィート離れた道端で、擦り切れたカソックに身を包んだ眼鏡の男が、募金箱を抱えて突っ立ってる。
一瞬目を疑い瞬き、自分自身に確認。
「掃き溜めに神父」
あざやかな赤毛が目を引く以外はこれといって特徴のない地味な風貌だが、粛と背筋を伸ばした立ち姿からは禁欲を是とする者特有の清貧な雰囲気が漂ってくる。
口元には温和な微笑……優しげな糸目のせいか、それ以外の表情が想像できない。
単純な人間はいいひとと評し、俺みてえに疑り深えヤツは胡散臭いと警戒する類の年齢不詳の容姿。
「恵まれない子どもたちに施しをおねがいします。そこのあなたもいかがですか、善行は心を豊かにしますよ。隣人愛こそ天国の扉を開く鍵です」
「るっせえ邪魔だ、とっとと消えろ」
「そういうわけにも参りません、私はこの身に至上の使命を帯びているのです。子どもたちが冬を越す資金を集めるという大事な務めを……穴の開いた靴下を繕って履かせるのも限界です、おかげで今年のクリスマスは二人一足サンタさん用の靴下を分かちあうことにあいなりました。ほんの少しでも身寄りのない子どもたちに同情する慈悲の心をお持ちならお金を恵んでいただけませんか。スラムの孤児院では今も可哀想な子どもたちが隙間風にふるえながら私の帰りを待っているのです」
切々と訴えかける神父の前で、がらの悪い二人組が歩調を落とす。
片方が紙バケツに入ったフライドチキンを齧って野次る。
「養えねーなら拾ってくんな」
「手に余んならデッドゾーンに捨てろ、いらなくなったヒトやモノがトン単位で廃棄されるそうじゃんか」
神父が嘆かわしげに眉をひそめる。
「なんてことを……子どもを捨てるなど人の道に背く行い、彼らは我々が希望を託す未来の裔にして礎なのですよ」
「あっちのミュータントは凶暴だ、頭からバリバリいかれちまうかもな」
「近親相姦も食人もなんでもありなんだろ?この世の地獄だ、終わってるね」
「偏見ですよ、デッドゾーンに住む人々だって私達と同じ痛みを知る兄弟です。よく知りもせず悪く言うのは感心しません」
「そういうアンタはなにか、デッドゾーン生まれのミュータントの『側』か?放射能が伝染っからよんな、しっしっ」
「コレやっから大人しく帰んな神父サン」
ひたむきに抗弁する神父が抱えた箱に、片割れが油っこいフライドチキンの骨を捨て、もう一人がくちゃくちゃ噛んでいたガムを捏ねて丸めて押し込む。完全にゴミ箱扱い。
さらに突き飛ばされ小突かれて、ピンボールの如くはねとんだ神父がトホホと肩を落とす。
「神よ、彼らは自分がしていることがわかってないのです……迷える子羊になにとぞお慈悲を、アーメン」
自分を馬鹿にした赤の他人の幸せを願い、気を取り直して募金の呼びかけを再開。凄まじいタフさだ。
この街―アンデッドエンドの、知られざる真実の名前の由来。
はぐれものが最後に流れ着くさいはての街というのがまことしやかに語られる定説だが、街の以東が|汚染区域《デッドゾーン》に指定されてるからってのも個人的にゃ支持したい。アンデッドエンドにゃ汚染区域から逃げてきたミュータントが沢山いる。ここは放射能汚染を食い止める最前線、生死を分ける|境界線《フロンティアライアン》でもあるのだ。
故に|終わりの手前の街《アン・デッドエンド》……地獄に行く前に通る煉獄にして辺獄、デッドエンドの一歩手前の街とひねくれ者はうそぶく。
ブラックユーモアが過ぎるんで、良識人はまず口にしない。
「よそじゃ見かけねー野菜やくだものだって、全部デッドゾーンの輸入品だもんな……」
アンデッドエンドの住人ならおのぼりさん以外だれでも知ってる暗黙の事実。
背に腹は変えられない。金にあかせて選り好みができる上流階級のお偉方はどうだか知らないが、下町の連中は放射能に汚染された土で育った林檎やオレンジをフツーに食ってる。
もちろん俺もだ。
何世代か後に影響が出るかもしれねえと言われてるが、ぶっちゃけいま生きるのに必死なヤツにゃそんなお為ごかしどうでもいい。何十年、何百年後かにできるかもわからねえ子孫の健康状態よか自分の腹がくちくなるのが一番の課題だ。
肩に担いだ看板がずっしり重い。なんだって年に一度のイブの晩に、寒い夜道で風俗の勧誘なんざしなきゃなんねーんだ?
答えはすぐに出た、俺が救いがたい馬鹿だからだ。
「はあ……」
事の発端は先日、麻雀でボロ負けした。
「どーーーしてノッちまうかな……」
『付き合い悪ィ』『たまにゃ来いよ』と執拗に言われ、どうしても誘いを断りきれなかった気の弱さを恨む。
日頃から呉哥哥のお気に入りだのオモチャだの迷惑千万な噂を立てられ浮きまくってるのだ、たまには社交辞令に付き合わねえと……あーークソ面倒くせえバックレてえ……なんて億劫がってりゃ、保身が先立ち裏目にでた。
『ほい役満、お前の負けな。宣伝頼んだぜ』
『は?聞いてねえ』
『コイツを持って立ってるだけの案山子でもできる簡単なお仕事だ、はりきって誘導してこい』
『ちょっと待て』
『イブの予定埋まってんの?』
『ねーけど……』
『なら問題ねーな!いやさ俺のオンナがイブはイケてるレストラン予約したから絶対あけとけってうるさくてよ、代打に出てくれて助かるわーホント。あ、看板壊したら弁償な』
『貧乳専門風俗バンビーナ……?』
『呉哥哥が出資した店だとよ。いい娘がそろってるみてえで巷じゃ結構な人気だとさ、一度行ってみたらどうだ?あー悪い悪いオンナはダメなんだっけ、ハハッ』
気付けばトントン拍子に上がられて、罰ゲームをやるはめになった。
本来違うヤツがやるはずだった看板持ちの呼び込みを押し付けられ、ただでさえないモチベーションはどん底。
いやいや仕方なく、殆ど人通りのない道にむかってとことんやる気なさげに呼びかける。
「あ~……よってらっしゃい見てらっしゃい、貧乳専門風俗バンビーナ。ウチの子は全員18歳以上、天然のド貧乳ですよ~。ランク付けならトリプルA級、第二次性徴期が過ぎてこれ以上膨らみしろは見込めない、コンパクトでミニマムなお胸のカワイイ女の子たちがジェントルメンのソフトタッチをお待ちしてますよ~」
間延びした声音が急速に萎み、諸行無常の念に満たされる。
「正気の沙汰じゃねえ、なんだよ貧乳専門風俗って。いや、性癖はすきずきだけど……貧乳に特化したプレイとかあんの?呉哥哥が経営してるって……節操ねえ人だとは思ってたけど、性癖の幅どんだけだよ……」
支離滅裂なキャッチコピーに脱力、マイクロビキニのミニスカサンタコスをした可愛い子鹿が描かれた看板をなげやりに振る。
当然だれも立ち止まらない。
どころか、あからさまに避けられてる。
「なにアレ罰ゲーム?かわいそー」
「イブに看板持ちとかヒサンすぎ」
「ねーはやくホテルいこー」
「貧乳専門風俗だって。雇ってもらえよ、売れっ子になれるぜ」
「はァ?殺すよ」
「ジョーダンだって、俺が毎回揉み揉みしてやってっから育ったもんなー」
「ちょ、もーっ道のど真ん中でやめてよ人が見てるでしょばかぁ!」
…………死にてえ。
馬鹿にされるだけならまだしも、これからお楽しみを控えたバカップルのおのろけのネタにされるのは我慢ならねえ。
こうなりゃやけだ。
かじかむ手を吐息で溶かし、羞恥心を振り捨て深呼吸。やけくそでふざけた店のふざけた宣伝をする。
「本日は出血大サービス、当店自慢のお転婆バンビーナがイブ限定のエロかわミニスカサンタコスでおでむかえ。大人のオモチャ限定のプレゼント交換会もありますよ~何がでるかなナニはでるかな?パイズリなんかできなくたって関係ない、貧乳だからこそできるプレイがある、ロッククライミングしようにも掴んで上るとっかかりがない、なら垂直に!平らに!空気抵抗の薄さを感じて!今流行りのローションカーリングやニップルピストンをご存知ない?平たいお腹と胸は想像力をかきたてる無限大のフィールドだ!カノジョの胸が小さいのは余計な脂肪を落としてアナタの手をハートに感じたいから。大人の階段上ってもシンデレラバストのバンビーナに、トナカイの角より固くて太いミラクルおちんぽステッキで魔法を一発……」
「ママーミラクルおちんぽステキってなあにー?」
「頭が悪いひとにしか見えない下半身から生えたステッキよ、振れば振るほど早漏になるの。いい子はまねしちゃいけません」
感情を殺した棒読みで丸暗記した文句を垂れ流してたら、すれ違い際いたいけな幼女に指さされ、その母親に汚物を見るような目で蔑まれる。
どん底の底が抜けた。
心がへし折れて膝から崩れ落ちる。
「やってられっか畜生、休憩」
看板を傍らに投げだ……すのは壊れると怖いからやめ、そっと伏せて置く。アスファルトが敷かれた路上には乾いて変色したガムの痘痕や、ふやけて固まった吸い殻が散らばっている。
荒廃の様相を呈す都会の景観。眺めてるだけで気が滅入る。雨漏りの跡で黒ずんだ壁面は室外機や錆びたダクトで幾何学的に埋め尽くされ、ダストボックスからはゴミがあふれている。
「……なにやってんだろな、俺」
……ひとりぽっちでクリスマスを過ごすのは慣れっこだ。
家を飛び出してからはずっと独り、トイレの個室でイエス・キリストの誕生日を迎えたこともある。
思い出したくもねえ最悪の記憶……ウリをしてた頃の話。
「はあ」
ため息を吐くと幸せが逃げていくとだれかがほざいたが、俺にはもう逃げてくツキすら残ってねえ。
過去の汚点を煙で洗い流そうと煙草をさぐる。
ブルゾンのポケットから出したのは、白いパッケージに青い光沢帯びた蝶が印刷されたメンソール煙草……モルフォ・イン・ネストこと通称モルネス。
メンソールを喫ってると馬鹿にされるが、コイツは特別。なんたって初めて喫った煙草なもんで、思い入れが深い。ザーメンの苦味を洗い流して口ン中を整えるのにもってこいだ。
真新しい一本を咥え、ライターのスイッチを押し込むも空振り。
「……最悪。オイル切れかよ」
くそ、喫いたくても喫えねえとなると禁断症状がでる。
カチッカチッと癇性な音が連続、未練がましくスイッチを押し続けるも不発に苛立ち地面に投げ付ける。
ツキに見放されすぎていっそ笑えてくる。
「マッチ売りの少女よか詰んでねーか、この状況?」
大昔に読んだ童話と重ねて苦笑い、ブルゾンの襟を立て膝を抱え込む。
あの人がまだ壊れてなかった頃は、毎年ケーキを焼いてくれた。
俺もクリームを泡立てるのをちょっとだけ手伝って、オーブンで生地が膨らむのをわくわくと見守った。
この場にマッチがあれば、火の中にどんな幻が立ち現れるだろうか。
「よーしよし、おあがりなさい」
何気なく目線を滑らせば、さっきの神父が箱に突っこまれたチキンの骨を摘まみ上げ、痩せさらばえた野良犬に与えていた。
「おいしいですか?もう少し身が付いてればよかったのですが……貴方の飢えを満たし、哀れな鶏の魂も主の御許へ召されたことでしょうね」
うまそうに骨をしゃぶり尽くす犬の頭をなでようとして手を噛まれかけ、慌てて引っ込めてから今度はガムをこそぎとりにかかるが、箱の内側にへばり付いて手こずる。
「くっ……ガムは、ガムは勘弁してくださいとれません……!」
「なァあんた、火ィ持ってねえ?」
「え?ええと……マッチでもよろしいですか」
「貸してくれ」
無造作に片手を突きだす。
「どうぞ」
神父は快く肯い、俺の手に恭しくマッチ箱を渡す。
箱の側面でマッチを擦り、まるっこい先端に橙の火をともす。
久しぶりに使うが、マッチの火はぼんやり優しい。じっと目を凝らす。オレンジの炎の中に都合の良い幻が見えないか期待するが、何も浮かんでこず拍子抜け。
……幻覚を見るほど精神がまいっちゃなかったと、安心すべきかどうかは微妙なところ。
今の俺には、炎に見出す夢や希望すらないんだろうか。
仮初にも幸せだった過去の幻影に縋るほど落ちぶれてないってんならまだ救われる。いずれ落ちきるのは時間の問題だとしても、だ。
悲観に染まった自虐に呑まれる前に煙草の穂先に火を移し、深々と一服。
メンソールを含んだ細い煙を鼻から抜き、生き返った恍惚感に浸る。
「サンキュ、助かった」
「どういたしまして、少しでもお力になれれば幸いです」
「コイツをキメねえとイライラしちまって」
「僭越ながら煙草はタール・ニコチン他有害物質を多く含む嗜好品です、服用は自己責任ですが用法と用量を守って程ほどに嗜まねば健康を損なうおそれが」
「俺の肺は手遅れだよ。たぶん」
「なんと……若い身空でご不幸なことです」
神父が沈痛な表情で瞠目、片手で器用に十字を切る。冗談を真に受けちまったか。
人寂しさも相まって、なんとなく親近感を抱く。
俺もコイツも年に一度のイブに、ポツンと夜道に立ち尽くしてる点じゃ同類だ。
かたや募金めあてかたや風俗の宣伝と、目的は随分異なっているが。
なまじ善意の徒なだけに、コイツの方がより悲惨かもしれねえと同情する。
「神父サンも大変だな、イブの夜まで立ちんぼかよ」
借りを返す程度の義理で労えば、神父が得意げに胸を張る。
「お気遣い感謝します。いえね、ここだけの話本日はかきいれ時なのですよ。祝祭の空気にあてられるのか、ご家族へプレゼントを買った帰りは浮足立ってお財布の紐が緩くなりますからね……そこへすかさずお願いする。既婚者やご家庭持ちには孤児院のけなげな良い子たちの存在をアピール」
「家庭持ちを見分けるコツは?」
「奥方へのプレゼントは家電が人気、電子レンジやオーブントースターが入った大判の箱をさげた壮年以降の殿方が狙い目ですね。身なりのよさは言うに及ばず」
「なるほど」
「気前のいい紳士淑女の皆々様に大枚を弾んでいただけます」
「そこは『恵む』って言えよ」
「失言でした」
「詐欺の手口を聞いてる気分になっけど、本当に本職の神父なんだよな」
「神に誓って清廉潔白な聖職者ですとも。そういうアナタは」
「見りゃわかんだろ」
傍らの看板に顎をしゃくる。
神父が目をまるくする。
「寂しい男性諸氏に愛を分け与える謙虚が美徳の胸囲の伝道者ですか」
「……やりたくてやってんじゃねー、賭けに負けて仕方なくだ。あー早く家に帰って寝てえ……」
「お疲れの模様ですね」
「アンタはどうなんだ。人生いやにならねーか」
イブにこんな場所にいるヤツが人生に絶望してないわきゃねえ。
そう確信をもって問えば、「とんでもない」と強く否定される。
「私には一人でも多く迷える子羊を正しい教えに導く尊き使命があります。それを果たすまでは世間の荒波にさらされようと屈するわけにまいりません、これも神が与え給うた信仰を試す試練なのです。孤児院ではシスターと子どもたちが帰りを待ってくれていますしね……毎年先に寝ていいと行って出るのですが、どうしても一緒にクリスマスを祝いたいと、キャンドルをともして起きていてくれるのです」
「いい話だな」
「血の繋がりはなくとも大事な家族です」
はにかむように微笑み、カソックの胸元にたれる十字架を握り締める。
胸の内にどす黒い沼が広がる。
「家族ね……」
他人の幸せを素直に祝福できない、心の狭さに嫌気がさす。
とんだ勘違いだ、コイツは同類なんかじゃねえ。ちゃんと帰る場所があり、待っててくれる人がいる。そんな神父に対し、羨望と嫉妬がごっちゃになった黒い感情がさざめく。
よく見りゃ傷んでこそいるが、服は手をかけて洗濯され不潔さを感じない。袖口に継ぎを当てた僧衣は説教にとどまらず、雑巾がけや掃除など下々にまじって勤勉に立ち働いてる証拠。
寒空の下震えながら耐えているのも家族を思えばこそか。
……そういや知り合いも兄貴と過ごすって言ってたっけ。
アイツの性格なら女友達と乱痴気騒ぎをくり広げそうなもんだが、「すげーのくれてあっと言わせてやる」と浮かれる顔は、特別な人間と過ごす特別な日を心底待ちこがれるガキのそれだった。
のろけはよそでやってほしい。
韜晦した口調で苦い煙を吐けば、神父がささやかな自慢をする。
「今年はプレゼントをもらいました」
いそいそとカソックの懐から取り出したのは、一枚のクリスマスカード。水彩タッチの素朴な塗りで、雪だるまを転がす子どもたちを描いたイラストが愛らしい。
ひっくりかえした裏面には、『親愛なる先生へ メリークリスマス』と、あたたかみを感じる丁寧な直筆でしるされている。
「可愛い弟子からの贈り物です。クリスマスマーケットを見に行った帰りにわざわざ寄ってくれたのです……回り道なのに」
「弟子って神父見習い?」
「だったらよかったのですが」
俺の疑問は笑ってはぐらかし、達観と諦念を秘めた、静謐な表情で続ける。
「彼が歩まんとするのは強きが弱きを虐げる荊の道です。妬み嫉み裏切り、あらゆる邪智の罠が彼を陥れんとする。人の悪意に底はなく悪徳に限りはない。この世界は残酷です。善を為す前に悪を敷く理不尽がまかり通る信仰なき世界を生き抜くには、弟子はあまりに若く優しすぎる……」
「過保護だな」
口の端だけ持ち上げて笑い、吐き捨てる。
「この世界が地獄なら、地獄での処し方を覚えるまでさ」
そうやってみんな生きている。
俺だって生きている。
善良さが美徳にならずそしられる世の中で高潔に生きていけるのは、愚者に限りなく近い聖者だけだ。
「ドブにハマりゃ白鳩もカラスになる。そうだろ?」
昔馴染みにひっかけたたとえ話を持ち出す俺に、神父が痛ましげに口を開きかけたその時―
「「メリークリスマースっ!!」」
キレイにそろった声が飛び入り、クラッカーが破裂する甲高い音が響き渡る。何事だと振り返り唖然とする。
サンタとトナカイがいた。
正確にゃミニスカサンタのコスプレをして膨らんだ袋を背負ったイカレた女と、トナカイのきぐるみを着たそのツレだ。
「派手な強盗だな」
「強盗じゃないでーすサンタクロースです!そーゆーお兄さんは等身大の広告塔ですか、カラダが薄いからピューッと吹き飛ばされちゃいそうですよ」
「うるせえ」
「せっかくのイブにしんきくさい顔してたら幸せが逃げてっちゃいますよ~」
「スイートとサシャちゃんはイブもお仕事でかわいそーな人たちに、ハピハピハッピーをお裾分けしてまわってるの!ね、サシャちゃん」
「そうですよーべっ別にお店で無礼講したらパーティーグッズが大量にあまっちゃったんで引き取り手さがしてるんじゃありませんからねっ、勘違いしないでくださいねっ!?」
初対面なのにぐいぐいくる。聞いてもねえのに説明してくれるあたり親切なのかおばかなのか判断しがたい、うざくてうるせえ二人組。
真っ赤なサンタ服を着たのは金髪ボブカットで健康的な褐色肌の女、ふわもこブーツがあったかそうだ。
しかし何故か膝丈のミニスカで、胸刳りが深く切れ込んでるせいで豊満な乳房の上半球が丸見え。
トナカイのきぐるみに身を包んでるのはロリ顔ピンク髪の少女、カウベル付きの赤い首輪がやけに似合っている。赤く潤んだ瞳はかよわい小動物の愛くるしさで、勘違い野郎の庇護欲をくすぐりまくる。
普通の格好をしてたなら美少女と呼んで差し支えない容姿だが、時と場所が悪い。というか、無難に痴女だ。二人とも無駄に胸がでかいのがその、アレだ。
目のやり場に困ってきょどれば、ピンクのツインテールをぴょこぴょこ揺らしたきぐるみトナカイが、両手を水平に広げてくるくる回りだす。
「スイートたちのお店はねー、お客さんいーっぱい呼んで盛り上がったの!おいしいごちそうたっくさんでて、みんなで歌って踊ってビンゴしてとーーーってもたのしかった!」
「もー大っ変盛り上がりましたですよね、ビンゴ大会の優勝賞品はお乳の張ったホルスタインまるごと一頭のサプライズ!どこの牧場からかっぱらってきたのかワタシ気に入ります!訴訟でお店潰れないといいんですが」
「牧場やってるお客さんのケンジョーヒンだって言ってたよ」
「あ、じゃあケンジョーヒンをケンショーヒンにしたなら問題ないですハイ」
「牛さんモーモー言ってたね」
「どうやって連れ帰ったんでしょうか」
「お星さまのサングラスの人がドナドナ引っ張ってったよー」
「搾乳プレイにご精がでるといいですね」
「お友達も誘ったんだけどごめんされちゃってざんねん」
「仕方ないですよイブですもん、風俗で遊ぶより大切な人とぬぷぬぷしっぽりやりたいんです。お兄さんの方は騒がしいの苦手だし」
「人ごみ得意じゃないって言ってたもんね」
「弟さんの手綱とるのも大変ですもんねー酔い潰れたらおんぶして帰んなきゃなんないですし。それはそーとテンション上がりまくっちゃいましたね、今なら盗んだ橇で煙突に砲弾詰めて回れそうです!」
「砲弾は重いし危ないからマシュマロにしよーよ、下は暖炉だから天然自然の焼きマシュマロのできあがりだよ~おうちの人も喜ぶサンタさんからのプレゼントだよ」
「それだ!スイートちゃんかしこい、さすがマイトナカイです!」
「えへへー」
「息が酒臭えけど酔っ払ってんの?」
ハイテンションなマシンガントークに圧倒される。
女性恐怖症の常で腰が引けるが、目の前のサンタ女とトナカイ女のコンビはてんでかまわず、円を描いて走り回り俺の知らないパーティーの話で盛り上がる。
と、赤ら顔のサンタ女の目が剣呑に据わる。
「お待ちください、よく見たらその看板……バンビーナの回し者ですか?」
「え?」
大股に詰め寄られて困惑、両手を挙げて降参のポーズをとるも追及はゆるまず、俺の胸にぐりぐりと人さし指をねじこんでくる。
「忘れもしません、当店ミルクタンクヘブンのライバル店!なんですかイブも通常営業なんて偉いじゃないですか、打ち上げで大騒ぎしてたウチが馬鹿みたいじゃないですか!」
「サシャちゃんどーどー、おさえて」
「離してくださいスイートちゃん、胸しか取り柄がないホルスタインビッチとバンビッチにさんざん馬鹿にされた恨みを忘れたんですか!?貧乳恐るるに足らず、世間の男性は圧倒的に巨乳派ですからねっ!そこんとこしっかりご承知おきください!小さい方が感度がいいとか理想どおりに育てる楽しみがあるとか、そんなのぜーんぶ負け惜しみですから!アナタだってホントは巨乳のほうが好きですよね、ねっ、ねっ、Fカップにぱふぱふされて埋もれ死にたい願望ありますよね、FカップのFはフェザーのFですから天使の翼にファサッと包まれ昇天するなら本望ですよね!!」
「胸はどうでも……でかすぎんのは引くけど……」
俺の場合それ以前の問題。でかすぎると怖気付く。
酒臭い息をまきちらして怒り狂うサンタを、爪先立ったトナカイが羽交い絞めにしてなだめる。
なんだかよくわからんが面倒くせえ酔っ払いに絡まれてたじたじとなり、おもわず素で返せばサンタ女が凶暴化して涙目で掴みかかる。
「ドン引きなんてひどい、あんまりです!ワタシだって好きでおっきくなったんじゃないのに、ホントはコンプレックスなのにがんばってお仕事してるんですえーん!」
「落ち着いてくださいお嬢さん、大事なのは胸よりその中身です」
「心臓を捧げよと……?えっワタシカニバリズムはちょっと」
「心です」
神父の仲裁でさらに場がカオスになり、収拾が付かなくなる。ヒステリー起こしたサンタ女に激しく揺さぶられ目を回してたら、トナカイ女が勝手に白い袋をごそごそまさぐり、丸っこいなにかをとりだす。
「イブもお仕事がんばるいい子に、スイートナカイからプレゼントだよ!」
俺の顔の真ん中に、柔らかいクッションでできたピエロの赤鼻をくっ付ける。
「わあカワイイ!」
「よくお似合いです!」
神父から借りたハンカチでちーんと洟を噛んだサンタ女までにっこり笑顔になる。
「……どうも」
「神父さまもメリメリクリスマス!」
「コレちょっとだけど、サシャサンタとスイートナカイの気持ち。子どもたちにおいしいもの食べさせたげてね」
「ワタシもフンパツしちゃいますよ、もってけ賽銭泥棒!」
トナカイ女が募金箱にむぎゅりと札を突っ込み、サンタ女が胸の谷間で温めていたひと掴みの紙幣を同じく募金箱へ。
「おい待てどっからだした」
「ありがとうございます。たわわに実る麦が如し豊饒な胸囲に博愛と奉仕の精神を秘めた心優しいお嬢さんがたに、乳と蜜流れる天国の扉が開かれんことを」
「母乳はでませんが搾乳プレイは応相談です、来店時は万能メイドのサシャをご指名ください!」
神父がくどい言い回しで感謝を述べ、サンタ女が元気よく答える。
「いいことしましたねスイートちゃん!」
「そうだねサシャちゃん!」
「ワタシたちとーってもいい子にしてたからサンタさんからステキなプレゼントもらえますよね!」
「油田とかもらえるよね!」
「鉱山もいいですよねー」
トナカイとサンタはキャッキャッウフフ、仲良くじゃれあいながら去っていく。
賑やかな後ろ姿を呆然と見送り、一言。
「可哀想に。イブはあの手の連中が増えるな」
募金箱を揺すって嵩を確かめていた神父がご満悦でフォローする。
「まあまあ、少しばかり羽目を外したっていいじゃありませんか。おかげさまで募金箱も潤いましたし胸を張って帰還できます」
「後半が本音かよ」
いやに露出度が高く扇情的なトナカイとサンタコンビが去った路地裏は前にも増して静まり返り、寂寥が降り積もる。
家を出てからイブにいいことがあった試しがない。
クリスマスに奇跡なんざ起きないと、大人になった今じゃ知ってはいる。
イエス・キリストの誕生日は、ただ産み落とされ死んでいく他の大半にとっちゃ特別な日じゃない。
生まれただけで奇跡ともてはやされる聖人は、この世の地獄を知らない。
「…………あの頃に比べりゃマシだな」
自暴自棄にひとりごち、肩に凭せた看板を両手で支える。
ウリをしてた頃、ヤリ場になってる店のトイレでトラブルがおきた。代金を踏み倒そうとした客と喧嘩になり、殴る蹴るの暴行を受けた上、小便をぶっかけられた。
俺は一晩中くさい小便びたしのタイルの上に放置され、最悪のクリスマスをむかえたのだ。
「ご存知ですか?昔は雪が降ったんですよ」
懐があったまるのに比例して口の滑りもよくなった神父の唐突な世間話に、滅入る回想を断ち切る。
「話にゃ聞いた。空から白いのがぱらぱら降ってくるんだろ」
「若い頃に一回だけ見ましたが、それはそれは綺麗でしたよ」
「アンタ何歳だよ」
「少なくとも君より年上ですね」
謎が深まる。
雪なんて生まれてこのかた見た記憶がない。このさきも見る機会はないだろうと先行きが暗くなる。
俺の心中を推し量ったか、神父がしみじみと呟く。
「……いいひとですね」
「あん?」
「私に『邪魔だから消えろ』と言わない」
「それでいいひと認定はちょろすぎねーか」
「ここに来るまで違うところで募金をお願いしてましたが、神父がいるだけでしんきくさくなると追い払われました」
「どこにも縄張り争いはあっから。しんきくせーのはお互い様だし」
邪険に追い立てる気はねえ。俺の邪魔しなけりゃそれでいい。
めったに褒められることがないせいか、なんだか調子が狂って頭をかけば、神父が微笑ましそうに目を細め……
「!あっ、」
突如として走ってきた若い男が募金箱をひったくる。
「お待ちください!」
「!チッ、」
今度こそ間違いない、強盗だ。何もないところでコケた神父をとびこえ、看板を捨て走りだす。なにやってんだ俺?追いかけてどうすんだ。
トナカイ女が嬉々として札を入れる瞬間が過ぎり、孤児院のガキどもやシスターに愛される神父の顔が目に浮かぶ。
マッチ一本でも借りは借りだ。
弟子からもらったクリスマスカードを見せる横顔には、俺の知らない頼もしい父性が宿っていた。
アイツは俺なんかよかよっぽど世の中に貢献してる、アイツとアイツが持ち帰るカネを必要としてるヤツらがいる。
ツイてなさすぎていっそ笑えるイブの日に、なんか一個くらい他人にいいことしてやってもバチはあたらねーんじゃねえか?
「……なんてな」
ホントはただ俺より幸せなヤツの上に立ちたいだけ、ケチな自尊心を取り戻したいだけ。惨めなイブの上塗りはごめんだ、このまま終わっちまうんじゃしょっぱすぎる。
息が切れて苦しい、煙草の吸い過ぎで傷んだ肺が早々に音を上げる。赤いスタジャンを羽織った強盗が角を曲がる。
神父の死角に入った、今だ。
右手指から糸を射出、前を走る強盗の足首を絡めとる。強盗がバランスを崩し転倒、募金箱が落下。中に入ってた札と硬貨が一面にぶち撒かれる。
「神父に追い剥ぎ働くなんて地獄に落ちるぜ」
「くそっ……妙な手品使いやがって、邪魔すんな!!」
極端に沸点が低い強盗が懐からナイフを出し、鋭利な刃で威嚇。
「聖夜に悪さすりゃ蜘蛛の糸にも見放される」
利口なヤツならとっくに逃げてる頃合いだが、その程度の知恵もないのかとあきれる。
「悪党なら切り捨てられても文句ねェよな」
わざとらしくため息吐き、両手からたらした不可視の糸を操って……
―「ンモオオォオオオオオオ゛ッ!!」―
猛烈な足音に続き、巨体が暴走してくる。
「んぶふッ!?」
轢き殺されて地面と同化したチンピラ。間一髪よけた俺の横すれすれを、トンガリ帽子を被った肥えた牝牛が駆け抜けていく。
「あーーー逃げちまった、赤い色見てコーフンしたのか?見た目は乳牛、中身は闘牛のロデオ魂だな。てめえのせいだぞ責任とれよ」
聞き覚えのある声にぎくしゃくと振り向けば、牝牛とおそろいの帽子と星型サングラスを身に付けた呉哥哥が、チンピラの鳩尾に正確無比な蹴りを入れていた。
俺の注視に気付いたか、二股の舌をシューシュー出し入れして顔を上げる。
「お、劉じゃん。看板持ち乙」
「今のなんすか」
「ビンゴ大会で優勝キメてゲットした牝牛ちゃん。名前はまだねえ」
「……えーとひょっとして、ミニスカサンタとトナカイ娘がいる風俗店のパーティーに参加してました?」
「よく知ってんじゃん、美味い酒とメシが出て超盛り上がったぜ。ビンゴで牛あてたときゃたまげたけど、下の料理屋で捌いてもらえばチンジャオロースやオイスター煮が食えっから引っ張ってきたんだ」
「……突っ込んでいいスか?なんで哥哥は俺に看板持ちやらせて、ライバル店のパーティーにちゃっかり紛れ込んだ挙句いけしゃあしゃあ優勝かまして景品ゲットしてるんスか。厨房送りにする牛の名前考える神経も不謹慎の極みだ」
しかも食用じゃねーし。
「敵情視察は経営戦略だろーが。大丈夫、たくさんいたからバレねえよ。ばっちり変装きめてったし」
「そのヘンテコな帽子と眼鏡が変装だと信じてんなら頭おかしいですよ」
「空気読んだ正装。テメエこそシケたナリしやがって、広告塔は目立ってなんぼだろーが。緑と赤のクリスマスカラーで統一するとか全身に豆電球のイルミネーション巻くとか、演出面から指導し直すか?ンな目のクマひでー寝不足顔で呼び込みしてたら客が逃げてくぜェ、べりーくるしませみす?」
「言えてねえじゃん……」
しこたまかっくらって呂律が回らねえ呉哥哥が真っ赤なピエロ鼻をぐいぐい指で押しケチを付けまくる。今この手に看板がありゃ舌を躍らせ高笑いするアホ上司の脳天をフルスイングしてやれるのに……。
背後から慌ただしい足音が駆けてくる。
まずい、神父だ。
チンピラが伸びたそばで立ち話してる現場を見られたらまたぞろややこしいことになる。
というか、呉哥哥が登場した時点で泥沼化確定だ。この人は天性のトラブルメイカ―、面白おかしく状況をひっかきまわす天才だ。
「話はあとっす、こっちへ」
咄嗟に哥哥の腕を掴んで細い路地に隠れる。
「どうしたんですか、すごい物音と鳴き声が……」
カソックの裾を翻し、遅ればせながらやってきた神父が、チンピラの顔をべろべろなめまわす乳牛に絶句。
「ええと君は……さっきのお嬢さんがたがおっしゃってた、ビンゴの景品の牛ですか?どうしてこんなところに……迷子?路上に放置するわけにも参りませんし、一旦教会で保護しますか。保安局には報告を入れて……お待ちください、これぞまさに天の施しでは?孤児院の子どもたちに毎朝搾りたてのミルクを飲ませ、チーズやヨーグルトで栄養を付けさせよと、聖なるプレゼントをお恵みくださったのですね?!」
思い込みの激しさから感激に打ち震え、その場に跪いて祈りだす。
「感謝します偉大な主よ……アーメン……」
それからきょろきょろと周囲を見回し、さらに妄想を飛躍させる。
「彼の姿が見えない……ひょっとしてあの青年は我々に恵みの牝牛を授けるために天より遣わされた使者なのでは……?そうだ、きっとそうに違いありません。でなければ突然消えるわけがありません、いかなるみわざか迷える子羊の過ちも防いでくれましたし……」
一面にちらばった硬貨や紙幣をかき集めて箱に戻し、失神した強盗にわざわざ肩を貸して立たせる。
「聖夜の奇跡は本当にあったのですね」
ねえよ。誤解だよ。
「いいんすか、なんかわかんねーけどこのままだとアイツのもんになっちまいますよ」
「あーーーーーーーー……いや、いいわ」
「は?」
「別に惜しかねーしくれてやる。引き取ってくれんなら助かるわ」
態度がいやによそよそしい。物陰に隠れて神父をチラ見する顔には、警戒心を帯びた複雑な表情が浮かんでいる。
「……知り合いっすか?」
「なんでだよ」
「なんとなく……勘?」
「鋭いな」
頬骨の高い横顔に過ぎる笑み……肯定も同然。
なにからなにまで正反対なふたりの接点の詮索はヤブヘビになるので控え、奇跡的に解体の運命を免れた牛を手懐け、引き返していく背中を見送る。
「はあ……」
ドッと疲れた。なんとか無事やり過ごしたが、結局見せ場は牛に奪われて何もしてない。
壁に背中をあずけてずり落ち、傍迷惑な上司を睨む。
「……護衛も連れずに独り歩きなんて物騒っスよ」
「イブくらい堅っ苦しいの忘れてはっちゃけてーんだよ、キレイどころ侍らしてハーレム気取りてえのにいかちいのがぞろぞろ付いてきたら興ざめだろ、わかれよ。俺様ちゃんてばなにかと縛りが多い中間管理職だからさ、パーッと息抜きが必要なの」
「巻いてきたんすか」
「逃げ足にゃ自信がある」
「幹部の自覚がねえ……」
「ンだよ、お前も来たかったの?だったらそう言え」
軽く笑って煙草を咥える、そのレザージャケットの懐から細長く角張った箱がとびでている。
「なんすか、それ」
赤いリボンが巻かれた箱の前面は透明なビニール張りで、中のスタイルのいい人形が透けて見える。小さい女の子が喜びそうな精巧なオモチャ。
「……性癖が手遅れだ」
「ちげーよ」
「穴付いてるんスか?」
「ラブドールでもねえよ」
「隠し子でもいるんすか?」
俺の問いに意味深な流し目をくれ、底の見えない凄味を含んだ笑みを浮かべる。
「―だったらどうする?」
「……どうもしませんけど」
呉哥哥のプライベートなんざ知らないしどうでもいい。精力絶倫なこの人のこった、隠し子の十人二十人いたっておかしかない。
だから、俺に言えるのはこれだけ。
俺の反応をじろじろ眺めて待ちこがれる呉哥哥から目をそらしがちに、綺麗な洋服を着せられた人形にむかって呟く。
「可愛がってあげてください」
その人形は、嘗ての俺自身にもよく似ていた。
だれかの都合で可愛がられ、飽きたらポイと捨てられる着せ替え人形。
呉哥哥がちょっと面食らって黙り、だしぬけにクツクツ笑いだす。
「やっぱおもしれーな、お前」
何がツボにはまったのか、すこぶる上機嫌になった呉哥哥がなれなれしく俺の肩を抱いてよっかかる。
「よっしゃ、口直しにラーメン食いに行くか」
「え?まだ仕事が……」
「経営者がいいって言ってんだ、ンなもんほっとけ。どーせろくに食ってねェんだろ、たんとおごってやる。それとも何か、かわいそーな劉ちゃんはマッチを擦ってしょぼい夢見るだけで満足?食えねー七面鳥よか屋台のラーメンだ、マッチ売りの処女は捨てちまおうぜ」
「処女は売ってねェよ……」
「あの話の教訓がわかるか?『寝落ち厳禁、夢を見るより放火しろ。地獄は常に炎上中』だ」
いけしゃあしゃあと適当ほざく上司に拉致られ、夜道をずるずるひきずられていきながら、俺は諦めて目を閉じた。
……やっぱ今年のイブもさんざんだ。
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