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10 外出の日
そう言えば、俺を心配した人間は、良輔以外にも、もう一人だけ存在する。人生で初めて、俺を心配した人間のことを、俺は知らない。
その人物は、中学二年の時に、俺が誘拐された件と関係がある。何故、五日間で俺が助けれたのか――。
その人の、通報があったからだ。
親さえ居なくなった俺を心配せず、泊まり歩いていた友人の誰一人気にしない中、その人物だけが俺を心配したようだ。
その人が何者なのか、俺は知らない。警察に聞けば教えてくれたかも知れなかったが、大事になっているのをイラついていた両親を気にすることに必死で、気にする余裕はなくなった。
男なのか女なのか。正体は解らなかったが、その通報がなかったら、俺はどうなっていたのだろうか。
(まあ、何れにしても、今は良輔しか居ないな)
鏡に向かって、顔を覗き込む。少しつり上がった目、スッキリした鼻。嫌いじゃない。唇は少し嫌いだ。もう少し厚みがあればセクシーなのに。
良輔の言う通り、星嶋や榎井は多少の心配をしてくれるかもしれない。けど、俺がバカやっても見捨てないで居てくれるのは、良輔だけな気がする。
星嶋なんか、もしかしたら「相手にするな」と良輔をたしなめるかもしれない。星嶋は少し、兄貴風を吹かせるから。
(肌ガサガサ。ヒアルロン酸注射とかどうなんだろ)
先日、食堂で見た上遠野は、肌がツルツルだった。髭もなかったけど、脱毛とかしてるんだろうか。
(あれ、痛いんだよなー)
最近は痛くないと言うが、本当だろうか。痛くないならアンダーヘアも脱毛するんだが。
「やっぱ脱毛かなー」
鏡の前に立ち、全身をチェックする。SNSをやるなと言われたので、今日は街に出る予定だ。俺はゲイに好かれる見た目ではないが、ノンケだと言うだけでちょっとモテたりする。
(適当に遊んで、ストレス発散しないと)
いい加減、一人遊びも飽きてしまった。肌の調子が悪いのもストレスかもしれない。
髪をセットして、シャツを羽織る。あまりキメ過ぎず、少し油断している風を装う。気合いを入れすぎるとネコばっかり寄ってくる。俺はタチはやらんのだ。
「うん、顔よし、髪よし、服よし。口臭オッケー。じゃ、行きますか」
良い相手と出会えると良いな。最悪、好みじゃなくても良いや。ヤバそうなヤツじゃなきゃ、誰でも良い。
◆ ◆ ◆
回廊を出て、玄関に向かう。遅くなることは事前に台帳に書いたので、問題ない。今日は遊ぶぞーっ。
玄関先に着くと、見知った顔ぶれが揃っていた。良輔に榎井、それに副寮長の雛森だ。榎井は黒ぶちメガネを少し上げて、雛森は手にしていたファイルから顔を上げてこちらを見た。良輔は怪訝そうに眉を寄せる。
「ああ、外出か。渡瀬。遅くなるなよ」
届け出を出しているのを知っている雛森が、釘を刺す。届け出を出しているので門限は大丈夫なはずだが、普段の行いのせいだろう。我が夕暮れ寮では門限破りを三回やると退寮処分となる。二回目までは共有場所の掃除だ。なお俺は二回やらかしているので問題児扱いである。
「あはは。まあ、大目に見てくださいよ。三人揃ってどうしたんですか?」
「今度のバーベキューの件で、手伝い頼んだんだ。お前も手伝え」
「まあ、良いっすけど」
寮内の懇親でたまに行う行事だ。大抵は寮の裏庭でバーベキューが定番である。隣の敷地は高校のグラウンドなので、少し恥ずかしい。学校は休みのはずだが、部活動の高校生がのぞき見に来るのだ。寮生の方は高校生に興味津々で、女子高生が近くに来ると大喜びである。犯罪はしないで貰いたい。
安請け合いしていると、隣から榎井が話題を変える。
「渡瀬、お前ちゃんとマリナちゃんのチャンネル観てるか? コメントしても良いんだぞ」
「観た観た。ホラーゲーム実況のヤツ」
榎井は俺がちゃんと推しのバーチャルアイドルを観たのか気になるようだ。天海マリナというバーチャルストリーマーで、チャンネル登録数も6800人ほど。一部に人気はあるが飯は食えていないといった程度の知名度だ。可愛いし発言も面白いが、身バレが怖いのか声を加工していて聞き取りにくいのが難点だ。榎井への義理で何本か動画を観たが、ハマることはなさそうである。
「良いだろ? マリナちゃん。押鴨は観てないって言うんだよ」
「いや、観たよ。観たけど……。他人がやってるゲーム観ても……」
「あー、合わなかったか。仕方がないよ榎井」
良輔は何が面白いのか、どう楽しむのか解らなかったようだ。榎井は不満そうだったが、次の瞬間には雛森にスマートフォンを見せてお勧めしている。ファンの鑑のような男だ。
「じゃ、俺は行くわ」
「どこ行くの?」
良輔が近づいてきて、俺を足先からてっぺんまで眺め観た。ジロジロと、疑り深い眼差しで見られ、居心地が悪くなる。
「どこって、別に」
「渡瀬はデートだろ? オシャレして、遅くなるんだし」
雛森が余計なことを言う。曖昧に笑う俺に、良輔は呆れたように溜め息を吐いた。
「コイツがデートなはハズないですよ」
「おい、良輔」
「どうせナンパだろ」
「う」
まあ、そうだけど。
雛森と榎井は「ああ、なるほど」って顔をしている。良輔は溜め息を吐いて腕を組んだ。
「じゃあ、そう言うことで……」
早く逃げ出してしまおうと、背を向けた俺に、良輔の声が引き留める。
「待て。俺も行く」
「は」
良輔の反応に、雛森が珍しいものを見るような顔をした。榎井は興味がないようで、「じゃあね」と立ち去ってしまう。雛森もそれに続いた。
「おい、行くって……解るだろ?」
「解ってるけど。だから?」
「いや、解ってない。俺が行くのは――」
良輔の腕を引き、耳元に唇を寄せる。
「ハプニングバーだぞ。解ってんのか」
「――解って、る」
いや、解ってない顔をしている。
「バーだろ」
「そうだけど」
絶対に解ってないくせに、どうして一緒に来ようとするのか。俺が行こうとしているハプニングバーは、いわゆる発展バーだ。女性は居ない。ナンパ目的はそうだが、相手は男だ。
(解ってんだろうな)
良輔が解っているのか、解っていないのか、正直なところ俺も解らない。過去には女性を紹介したこともあるので、誤解しているのかも知れない。
「お前の面倒は見ないぞ?」
「良いよ。普段、どんなところで遊んでるのか、気になるだけだから」
「ああ……」
そう言うことね。単なる好奇心なら止めないが、自分のことは自分で何とかして貰わないと困る。貞操を奪っておいてなんだが、処女を守ってやらなきゃとは思っていないし。
「――はぁ、解ったよ。但し、ドレスコードあるから、そんな格好じゃなくてもっとマシな服着てこい。チェックで弾かれたら知らないからな」
「――解った。ちょっと待ってて」
そう言うと、良輔は自分の部屋へと向かい、俺は手持ち無沙汰に玄関口の椅子に腰かけた。
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