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40 故郷へ

「スミマセン、ちょっと喉の調子が悪くて……。はい」  電話を切って、ホゥと息を吐く。仕事はサボってしまった。もう、なるようになるしかない。  良輔に会いに行くと言うことは、故郷の土地を踏むということだ。記憶を頼りに地図アプリで知った地名を探したが、様変わりしていてどこがどこだか解らなくなっていた。 「どこだよ……」  ハッキリ解るのは、通っていた中学校。だが、住んでいた家も、良輔の家があった場所も良く解らない。ビュー機能で街を眺めると、古い家々が並んでいた街のあちこちが空き地になり、真新しい家が建っていた。 (全然、解らん)  思えば、寮生活をしているのもあって、実家の住所なんて交換していない。総務に聞けば解るかもしれないが、個人情報を教えてくれるわけがない。 「くそ、どうする?」  とにかく、まずは行動するしかない。休みをとったのは今日だけだ。時間は限られている。 (ひとまず、電車に乗ろう)    ◆   ◆   ◆ 「ふぅー……」  長い時間、電車に揺られ、到着した駅は見知らぬ場所のようだった。数年前に新しくなったらしい駅舎は近代的な建物になっており、ロータリーは綺麗に整備されている。観光客はめったに降りないような寂れた空気だけは、以前と変わっていなかった。 「なんだあのマンション。すげーデカいじゃん」  見覚えのないものばかりだ。駅前には小さな商店があったはずだが、駐車場になっていた。古い民家があった場所にはビルが立ち、美容室と学習塾が入っている。  降り立つまでは不安で一杯だった故郷への拒否感は、実際に立ってみるとあっけないものだった。故郷は俺を、拒絶も受け入れもしない。ただ、そこにあった。 (他人みたいだ)  ここに俺の居場所がないのは相変わらずだったが、今まで考えていたものとは少しだけ違う。この場所に居場所がないのは、既に俺が他の土地の人間だからだ。  懐かしいような、見知らぬ街のような、不思議な気配を感じながら街を歩く。行くあてはなく、探す場所も思いつかない。 (学校……行ってみるか)  フラフラとさ迷いながら、俺は中学校へ続く坂を登っていった。    ◆   ◆   ◆  学校に人がいたことで、平日だったと思いだし、どうしたものかと辺りをうろうろする。と、不審者だと思われたのか、教員らしい男性から声を掛けられた。 「何かご用ですか?」 「あ、スミマセン。ここの卒業生で」 「ああ、そうでしたか。この辺に住んでるんですか?」 「いえ、昔引っ越してしまって。友人の家を訪ねようと思ったんですが、すっかり変わってしまって……」  苦笑すると、男は頷きながら「昔は何もなかったからね」と笑った。今も何もないが、昔はもっと何もなかった。そう言って笑う。細かった道は拡張され、その道沿いにチェーン店や大規模ストアが出店してきた。住むのには便利になったのだろうが、人口の減少は続いている。働き口がないため、若い人は外へ出るのだ。 「卒業生でしたら、名簿が見られるかもしれませんよ」 「本当ですか」  ありがたい言葉に、男のあとに着いていく。個人情報など、田舎の学校ではさほど厳しくないのだろう。今回ばかりは助かる。  街の変貌とは違って、校舎は変わりがなかった。だが、どことなく違和感ばかりがまとわりつく。 (ああ、俺が、でかくなったから……)  目線の差が違和感の原因と気づいて、感慨深くなる。あの頃、十分に大きくなったと思っていたのに、まだ小さな子供だったらしい。嫌いだったはずの故郷に郷愁を感じて、胸がざわついた。  男について職員室に入る。部屋には授業中のせいか、あまり人はいなかった。居るのは年配の白髪交じりの男とやはり年配の女性が二人だけだった。 「佐々木先生。卒業生だって言うんですが。えーと、何年だ? うちで一番の古株が、佐々木先生だよ」 「――佐々木……」  聞き覚えのある名前に、佐々木と呼ばれた男を見る。なんとなく、見覚えがあった。 「ん? お前――」 「――細田、です。佐々木先生」  眉を上げた顔に、覚えがあった。担任だった、佐々木だ。 「細田? 細田歩かっ!」  佐々木が破顔する。佐々木は案内してくれた男に、「教え子だよ」と自慢げに笑って見せた。 「卒業した生徒が訪ねて来るのが、一番嬉しいんだ。どれ、こっちに来い」 「失礼します」  再会に喜ぶ佐々木に、ドキドキと心臓が鳴る。俺が誘拐されたあの年、担任だった男だった。心のそこから嬉しそうに笑う姿に、ホッと胸の支えが取れる。あの話を、佐々木が忘れたとは思えない。複雑な気持ちだった。  職員室の隣にある応接室で、佐々木と向かい合う。佐々木は懐かしそうに目を細めた。 「俺は今年定年でな」 「そうだったんですね」 「お前は街を出ただろ? 今は?」 「今は千葉に住んでます。就職もそっちで」  佐々木は「そうか、そうか」と頷く。茶を啜る手は歳を取って、皺が深くなっていた。若い先生だと思っていたのに。 「――よく、帰ってきたな」 「……はい」  深くは言わなかったが、この町を去ったことを言っているのだろう。なんとなく、沈黙する。 「ああ、同窓会がこの前だったんだ。残念だな」 「ああ……、まあ、行かなかったと思います」 「そうか? ……お前、押鴨って、覚えてるか? 押鴨良輔」 「え?」  良輔の名前が出ると思わず、驚いて顔を上げる。 「押鴨なあ、お前が居なくなってから、随分心配してたんだ」 「え……」  心配? 居なくなってからって――。 「同窓会の度に、お前から連絡はあったか? 見つかったか? ってな。だから、お前が見つかったって知ったら、喜ぶよ」  ハハ、と笑う佐々木に、俺はぎゅっと手を握った。 (探してた――何で?)  解らない。良輔と話をするためにやってきたのに、また解らなくなる。どうして。何で。 「っ、そんなに仲良くなかったはずなんですけどね……」  口ごもる俺に、佐々木は無言で目蓋を伏せた。 「アイツも色々、考えてしまったらしくてな」 「考えるって?」 「ああ。いや、止そう。この話は」 「先生」  佐々木は困ったように苦笑した。その慈愛に満ちた瞳に、胸がざわめく。  俺を探していた。心配していた。  口が重い佐々木の様子に、理由が過る。誘拐、されたこと。 「先生。教えて下さい。俺は、大丈夫ですから」 「だが……」 「お願いします」 「そうか……」  佐々木は少し間を置いて、口を開いた。 「押鴨には、ずっと言わないで欲しいって、言われてたんだ。もっとも、彼も未成年だったからね。それも考慮して、伏せられていたんだよ」 「なにが、ですか……?」 「あの事件の時、君を探し出したのは、押鴨なんだ」 「――え」  佐々木の言葉に、瞳が揺らいだ。  通報した人物。  その存在を、俺は知っている。  男なのか女なのか。正体は解らなかったが、その通報がなかったら、俺はどうなっていたのだろう。  親さえ居なくなった俺を心配せず、泊まり歩いていた友人の誰一人気にしない中、そいつだけが俺を心配した――。 「まさ、か……」 「失踪の直前、押鴨の家を訪ねたのが、最後だったな」  佐々木の言葉に、無言で頷く。  あの時、良輔は長いこと、俺のことを見ていた。 「あの時な、押鴨は途方に暮れてるお前を見て、ご両親に泊めていいかお願いしたそうだ」  そんなの、知らない。  両親から許可をもらった良輔は、俺を探しにコンビニまで来たそうだ。だが、その時にはすでに俺の姿はなく、良輔はその辺の人に聞いて歩いた。  だが、俺を覚えている人はおらず、良輔は家に帰ったのだと結論付けたらしい。 「翌日、学校に来てなかったのを見て、俺に相談してきたんだ。けど、当時の俺はな……軽く考えていた」  佐々木は目蓋を伏せた。あの当時、俺は不登校ぎみだったこともあり、佐々木はそれほど気にしなかったらしい。だが良輔が食い下がらず、佐々木はしぶしぶ両親に連絡した。家に帰っていないことは解ったが、そもそも泊まり歩いていたし、関心がなかった両親は取り合わなかったらしい。  俺はうつむき、冷めた緑茶を見つめる。 「押鴨は俺たち大人が放って置いたのを、一人で探し続けていたんだ。――あの日、君が見つかったあの日な。いつも通り、目撃者を探してコンビニで聞き込みをしてたんだ。そこに、その男が来たらしい」  良輔は「目撃していないか」と、その男に聞いた。男は明らかにおかしな挙動で、否定したらしい。その様子に、どこかおかしいと感じて――。  二人分の弁当。締め切ったカーテン。男のあとを着けた良輔は確信し、警察に訴えた。 「明確な証拠がないと、動けないらしい。両親が行方不明の届けを出していなかったこともあって、警察はすぐには動いてくれなかったんだ」 「――」  行方不明の届けは、第三者が簡単に出せるものではない。良輔は佐々木に頼み込み、佐々木が折れる形で、届けを出したそうだ。良輔と佐々木に頭を下げられ、警察が動いた。そこからは、早かったらしい。 (なんだよ、それ)  知らない。知らなかった。  だって俺は、良輔とろくに話したことがなくて。良輔にとっては、赤の他人で。 「自分があの時、泊めてればって、ずっと後悔してたんだよ」 「――だっ……」  佐々木がハンカチを差し出した。いつの間にか、俺の頬は涙に濡れていて、視界が酷く揺らいでいた。  何も知らなかった。  誰かの優しさに、助けられていたことを。  守られていたことを。  良輔だけが。  良輔だけが、諦めずに。ただ一人、俺のことを探していた。

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