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第4話

 背筋の伸びた、スカーレットにしては体格の良い、整ったシルエット。聞き覚えのある、心地の良いテノール。そして、部屋の中にある燭台の炎を揺らがせる暗い地下に似つかわしくない美しい星空の瞳。アダマスを見つけてその目を丸くし指を指してきた男は、確かに探していた男だった。  その男に対し、アダマスは思わず絶句する。もちろんここに彼がいたことに驚いたのではない。彼がいるであろうことはアダマスには分かっていたのだから。アダマスが目を見開いた理由。それは、ベッドから立ち上がった男がふわりと揺らしたものへの驚愕によるもの。 「混血……か?」  男のシルエットは、間違いなく人族のそれである。だが、本来ならば丸いこじんまりとした肌色の耳があるはずの側頭部から垂れているのは、獣の耳だった。  兎の獣族が持っているような長い耳。だがその耳は本来の兎のように天を突いてはおらず、地を指すように下向きに垂れていた。その耳は男が頭を動かすのに合わせて揺れ、先をフルフルと微かに動かす。耳は明らかに生きており、付け耳などではなかった。  人族の容姿に、獣族の特徴を併せ持つ。それは、混血種と呼ばれる存在である。アダマスは自分の目が信じられず、何度も瞬きを繰り返し男の耳を観察する。だが、分かるのは揺れる耳が間違いなく本物であることだけだった。 「あれ? なに? もしかして連れてきちゃダメだった感じ?」 「……いや、ヘーキだよ。イオルバ、案内ありがとな」 「あぁ、そっか。ならいいけど……、んじゃアダマスサン? 俺行くから、テイルラにはくれぐれも優しくしてね」  傍らにいたイオルバはひらひらと手を振りながら部屋を出ていく。が、それどころではないアダマスはイオルバに見向きもしない。目の前の混血に目を奪われたまま、扉の前で立ち尽くしていた。 「なんだ、先生から聞いてきたわけじゃないのか。混血を見るの初めて?」 「当たり前だろう。……この世に生存している個体がいるとも思っていなかった」 「えへへ、だろうなぁ」  混血種。それは極めて珍しい個体であり、ほとんど御伽噺のようなものだった。名前こそ知られているが、実在はしないはずのもの。アダマスも知識として混血種という名称があることは知っているが、混血種がどんな存在なのかまでは知らない。スカーレットも希少な存在であるが、混血種はそれ以上に希少である。そんな存在が今目の前にいることがどうにも信じられず、アダマスはついその耳をジロジロと観察してしまう。 「それで、どうしたんだ? えーっと、アダマスだっけ? わざわざ先生に紹介してもらってまで来るなんて。……もしかしてオレに惚れちゃった?」 「そんなわけがあるか」 「強がるなよ。溜まってんの? それともそんなにオレのフェロモン気に入った?」 「何の話……、っ?」  テイルラが混血であることの衝撃に気を取られていたアダマスは、その時初めてこの部屋にあの発情期のスカーレットのような強い匂いが充満していることに気づく。ハッと、息を呑むのも束の間、すでに体は無意識のうちに反応していた。昼間の時と同じだ。ただ軽く嗅いだだけだというのに、全身に熱が走り抜けていく。  目の前で余裕そうな表情で首を傾げるテイルラはすでにその屹立を見抜いていた。垂れた耳をゆらゆらと揺らしながら、誘うようにベッドの前に立ち無防備な仕草を見せるテイルラに、やはり発情の色は見られない。  その体をベッドに突き飛ばしたい衝動を抑え込みながら、アダマスはできる限り部屋の香りを意識しないように理性を保つ。ほんの少しでも箍が外れれば、なし崩しに暴いてしまう気配を察していた。乱暴するなと注意された矢先、己の野生は絶対に飲み込まなければならない。 「テイルラ・ベルスーズ。お前は、何者だ?」 「何者って、見たら分かるだろ? 混血種で、かつスカーレット。それだけだよ」 「この匂いは? スカーレットなのは分かるが、それだけでこうはならん」 「……野暮だなぁ。気になるんなら、食べてみればいいんじゃないか? ここはそういう店だ」  煽るテイルラの表情に対し、アダマスは苦虫を嚙み潰したような顔で目を逸らす。そんなこととっくの昔に気づいている。だからリヒテルヴェニアは性病の有無を確認してきたのだろう。だが、自分の身体であるからこそ分かる。この身は一度でもスイッチが入ってしまったら、歯止めがきかない。向こうは軽い気持ちで誘っているのかもしれないが、こちらとしては重い事態。  アダマスは今日この日まで性欲を自覚したことがなかった。そんな自分が、こんな強い衝動に身を任せてしまったら。ただでさえ相手は人族の容姿をしたスカーレットだ。多少丈夫な獣族のスカーレットならまだしも、こんな肌の白い、折れそうな細い腰のスカーレットなんて、壊してしまう。アダマスを抑えるのは、そんな恐怖心だった。  暖炉の火に照らされているテイルラの影が揺れている。ふわふわの毛を持つ耳は、毛先だけ色が違う。頭髪や耳の根元は一般的な野ウサギよりも多少色素の薄い赤褐色をしているが、耳の先は白く色が抜けている。人族でも、獣族でもないその姿。あまり日に触れていないのか、肌は白っぽい。  それでいながら骨格が良いのか、体つきは割としっかりしている。人族の男の平均身長には達しており、背筋も真っ直ぐ伸びている。肩幅もあり、アダマスがこれまで見てきた人族の中でも男性的な体格だと感じた。さほど運動はしていないのか、筋肉量は少ないため腰つきは細く、決して筋肉質ではない。  ただ、だからこそ。美しい形を描く輪郭線は、獣族にないものを持っていながらも細すぎず太すぎない、かつ弱すぎず、儚すぎず、アダマスの目には「良い身体をしている」と映った。人族の身体に不釣り合いなはずのロップイヤーは、そんなテイルラの身体に柔らかさと愛らしさを添えている。それはまるで獣族と人族、両方が好む形を併せ持ったような姿。  混血のスカーレットと呼ぶに、相応しい容姿だった。

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