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第7話

 リヒテルヴェニア・アルモンドという男は医者である。そんな分かりきっていることを、アダマスは黙って自分に言い聞かせる。なぜそんなことをしているのかという理由は、アダマスの目の前にある。いつもの診察室で机に肘を突くリヒテルヴェニアの表情は、とても医者とは思えないようなものだった。まるでバーで踊り子を眺めるような、いやらしい表情。アダマスの姿を見るなりリヒテルヴェニアが浮かべたのは、そんなニヤニヤとした意地の悪い顔で、アダマスはつい「俺は今医者にかかっているんだよな」と思い返していた。 「よォ、テイルラには会えたか?」 「……娼館だと、なぜ昨日のうちに言わなかった?」 「はは、言ったら面白くねェだろ? で、どうだった?」 「どう、とは?」 「なンもなかったら昨日の今日で来ねェだろ。テイルラには構ってもらえたか?」  それが医者の言うことか、という言葉をアダマスはグッと飲み込む。リヒテルヴェニアはこういう男だ。他の患者に言うのならともかく、性的な問題を相談しているアダマスには実際必要なヒアリングではある。他に聞き方、態度はあると思うが。 「……勃ちは、した。だが抱いてはいない」 「んだよ、抱いてやらなかったのか。意外と奥手なのか?」 「仕方ないだろう! テイルラ・ベルスーズ……、あれは俺にはフェロモンが強すぎる。あんな人族、俺では耐え切れない」 「あァ、臆病なだけか」 「違う! 実際、あいつは怯えていた。……確かに、魅力的な容姿であるし、身体も反応するが、だが……」  獣族に恐怖している相手を、抱くことはできない。それがアダマスの考えだった。これまで自分のもとに送り込まれてきた相手は、もともと「獣族に抱かれるため」と理解し受け入れていたため、アダマスを前にしても怯えることはなかった。だが、テイルラは違った。  誘惑こそ同じだった。性欲を煽るような、本能を引きずり出そうとして纏った濡れた色香は、同じだった。これまでと違ったのは、その誘いにアダマスが惑わされたこと。だが、誘ったくせにテイルラはいざとなるとアダマスに怯えてみせた。 「テイルラが怖いって言ったのか?」 「いや、言ってはいないが、あの顔は……」 「言ってもねェこと勝手に妄想してンじゃねェよ。お前は表情だけで考えてること分かるほどテイルラのこと知ってンのか? 知らねェだろ? まずアイツは人族じゃなくて混血だ」  リヒテルヴェニアの言葉はアダマスにとってあまりにも的を射ており、アダマスは返す言葉もない。テイルラがあの怯えたような表情を見せた理由はアダマスの想像であり、決してテイルラがそう言ったわけではない。考えてみれば、確かに獣族で雪豹であるアダマスを恐れていたのなら、「待ってる」なんて言葉は出ない。 「ではあいつは何に怯えたんだ……」 「俺が知るかよ」  頭を抱えたアダマスをリヒテルヴェニアは軽くあしらいカルテの方へ視線を移す。その手にあったのはアダマスのカルテである。リヒテルヴェニアはそれを眺めながら、軽く目を細めカルテを机上に戻すと、別に紙を手に取りそれをアダマスに差し出した。 「なんだ」 「どうせ『混血とはなんだ』とか聞きに来たンだろ? 俺の研究資料から軽くまとめといてやった。感謝しろよ?」  訝しげにしていたアダマスは「混血」という言葉に反応し、態度を変えリヒテルヴェニアから素早く数枚の紙束を受け取る。丁寧な文字で記されたそれは、確かに混血種について記載された資料だった。資料に目を通しながら、アダマスは「助かる」と空に向けて放つ。リヒテルヴェニアが「礼は顔見て言えや」などとぶつぶつ言っているが、アダマスの思考はすでに手の資料に移っていた。  混血について丁寧にまとめられた手書きの書類、アダマスはその中で自分が知る情報は軽く斜め読みをして、自分が求める情報を探す。  この世の中には、獣族と人族の二つの種族がある。「混血種」というのは、文字通り獣族と人族の間に生まれた、二つの種族の血が混じった存在である。だが、世間的には「獣族は獣族と」「人族は人族と」の恋愛、婚姻が推奨されており、異種族との恋愛は禁じられてはいないが推奨されていない。と言っても、獣族も人族も等しく種族関わりなく惹かれてしまうもので、正式に婚姻こそはしていないが想い合っているパートナー同士は多数存在する。  では、なぜ異種族の恋愛は推奨されないのか。その理由は、異種族との間では子どもが生まれる確率が極めて低く、混血の子どもを授かることは絶望的な願いとなることからだった。その確率は、スカーレットが産まれる確率よりも低いものである。スカーレットが人口の一割程度であるとしたら、混血は一分にも満たない、一厘ほどの割合しか存在しないと言われている。  また、奇跡的に混血の子を授かることが出来たとしても、人族と獣族の遺伝子は大きく異なるものであるため、生まれてくる子の遺伝子の結びつきが極めて弱くなり、先天的な遺伝子疾患を持って生まれてしまうと報告されている。それにより混血の子はとても体が弱く、多くは幼くして亡くなってしまうものだった。十年生きれば混血種としては大往生と言われるほどだ。  異種族での恋愛は非推奨とされる世の中で低い着床率を乗り越え生まれてきたとしても、幼くして命を落としてしまう。それらの事情もあり、混血種の個体数はかなり限られている。アダマスも、混血種の存在こそは知っているが生存していることを見たのはテイルラが初めてだった。  混血の子の容姿は、一見すると人族に近く、片親となった獣族の特徴的な部分、多くは耳、尾のようなものを引き継いで生まれてくる。人族の高い知力と、獣族の身体力を合わせて持つため、とても優秀であると言われているが、長命でないため資料となる個体数が少なく能力については定かではない。また、混血種は人族でも獣族でもないという狭間の存在であるためか、生殖能力を持っておらず、子を儲けることは出来ない。  そこまで読み進めたアダマスは昨晩の混血の容姿を改めて想起する。彼、テイルラは若くはあったが幼いということはなかった。獣族であるアダマスでは人族の容姿に近いテイルラの年齢は察することが困難で曖昧ではあるが、だいたい十代後半から二十代前半には見えた。それは混血にしては長命な方である。  なるほど、だからリヒテルヴェニアは性病の有無を聞き、イオルバはしきりに乱暴にしないよう忠告してきたのかと改めて納得する。確かに、抵抗力の低い混血には性病など言語道断。小さな傷でもどんな細菌が入り込むか分からない。さぞかし大切にされて生きてきたのだろう。雪豹の獣族であるアダマスの足と張り合ったことも、大型の獣族を軽々投げ飛ばしたことも、テイルラが混血だったというのなら納得がいく。  だが、ならばそもそも娼館なんて不特定多数の相手と性交渉を強いられる場所にいるべきではないのではないか。裏メニュー、だとかテイルラは言っていたが、そこまで大事に守ろうとしているのならば風俗業など辞めさせればいいのではないか。そう思いながら、アダマスは資料の最後のページに目を通す。

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