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第8話

■混血のスカーレット  生まれてくる確率が十パーセント程度のスカーレット、一パーセント以下の混血種が重なった希少な存在で、世界的にも類を見ない。基本的に小柄であるスカーレットだが、混血種の場合は獣族の血が入っているためスカーレットながら人族よりも比較的大柄で、容姿ではスカーレットと判別できない。  本来ならばスカーレットは子孫繫栄のために発情をするが、混血種は子を作れない。そのスカーレットと混血種というそれぞれ性が持つ特質の矛盾によりフェロモンを溜め込むことができず発情が不安定になる。結果、その生殖能力のある相手を誘うはずのフェロモンは、発情期も関係なく雄を求めて垂れ流し状態になってしまう。  それとは別に純血のスカーレットと比較し頻度は少ないが発情期も存在する。しかし混血のスカーレットは出産ができないため、生涯発情期も止まらないものとされている。  その文面に目を通したアダマスに蘇るのは、昨晩の記憶。部屋に満ちた、スカーレットの蜜。テイルラはあれを「発情期だからではない」と言っていた。その発言とこの記述を組み合わせると浮かび上がってくることは。 「おい、リヒテルヴェニア。これは確かか?」 「さァな、最後の一枚は俺がたった一人の症例を元に付け足したモンだ。他に例がねェから証明しようもない憶測だ」  たった一人の症例。その言葉が指す相手は、あの混血のスカーレットに間違いない。アダマスの脳裏に過ったのは、ある一つの策だった。  混血のスカーレットである、テイルラ・ベルスーズ。テイルラがそこかしこで誰彼構わず誘っていたのは、無意識のもの。意識してフェロモンを止めることなど当然できるはずもない。つまり、あの香りは発情期など関係なくいつでも堪能できる。さらに、アダマスは不思議なことにテイルラのみに反応することができた。テイルラはいつでもアダマスを勃起させることができる上に、混血であるからいくら行為を重ねても孕むこともない。  ――あいつがいれば、俺は……。  テイルラと経験を重ねれば、悩みの種だった勃起不全も解消されるのではないか。テイルラの身体を、フェロモンを利用しこの身体が生殖を覚えてくれたなら、この町にアダマスがいる理由はなくなる。  本宅に、戻れる。 「…………」 「アダマス? 見終わったンなら返せよ」 「……あ、あぁ、恩に着る」  手を伸ばしてきたリヒテルヴェニアに資料を返すアダマスの動きは、固かった。  ――俺は今なにを考えた?  他者の望まない体質を私利私欲で利用するなど、許されることではない。アダマスは名のある貴族で、商売を営む者のみならず国家にも影響力のある有数の権力者の一族の御曹司である。そんなアダマスが一言「うちに寄越せ」と言ったなら、テイルラはその瞬間アダマスの「物」になるだろう。そうするのは簡単だ。後は寝室にでも監禁して、欲望のままに犯して自分の生殖能力向上の糧にするだけ。  恐らく、他の一族の人間ならば「そうすることの何が悪い」と言っただろう。それで一族の汚点を拭えるのならば、むしろテイルラを拉致なりなんなりしてアダマスの前に突き出し、二人まとめて監禁するようなこともするだろう。ヴェルデマキナ家とは、そういう一族だ。  ――違う。俺は、違う。  頭を過ったその発想を振り払うように、アダマスは頭を振るう。権力に酔い、商人としての誇りを捨て、煤け汚れた高貴を掲げるような、そんな貴族と自分は違う。血統ばかりに拘り、本当に大切なことを忘れた一族と、自分は違う。アダマスはそう何度も自分に言い聞かせる。 「もう行くのか?」 「仕事がある」 「そうかィ。……もしまたテイルラのとこに行くようなら、今度はちゃんと腹割って話してみろ。きっとテイルラはお前を待ってる」 「なぜそんなことが分かる」 「さァ、ソイツは企業秘密だ」  リヒテルヴェニアはクツクツと笑いながら、ひらひらとアダマスに手を振りさっさと帰るように促した。この医者はいつも大切なことは何も言わない。そこまで誘導するならみなまで言ってくれたらいいものを。まるですべて見透かされているようで、どうにも気に食わない。  昨日盗み見たテイルラのカルテの厚さからして、リヒテルヴェニアとテイルラが長い付き合いであることは察している。だからこそ、自分の知らないところで繋がっていることがアダマスには面白くなかった。新参者のアダマスが何も知らないことは当たり前ではあるが、自分よりもテイルラのことを理解しているリヒテルヴェニアが面白くない。  そんな理不尽な嫉妬心を抱え、アダマスは一人診療所を出る。テイルラと鉢合わせるのを避けるため、今日は午前のうちに診療所を訪れていた。これからまだ軽く店を見て回る必要がある。アダマスは町の中心部へと向かいつつ、またシャトンに行くべきか頭を悩ませていた。

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