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第11話

「なんだよ。別にこの部屋が暑いだけだからな」 「まだ何も言っていないだろう」  アダマスの視線が自分の顔に向かっていることを察したテイルラがプイッとそっぽを向く。何に照れているのかは全くもって分からないが、意図せずこんな表情を引き出せたことを純粋に喜ぼう。他の人族や獣族では見られない、兎の混血であったからこその仕草。自分の耳の先をキュッと握る姿はとても、  ——可愛らしい……?  色の白い、骨ばっていながらも繊細で細い指先を赤褐色の耳に埋め、柔らかそうな耳を子どものように握りしめる。その姿に、アダマスは間違いなく可愛げを見出していた。あんなに小憎らしいと思っていた、少し上目に睨み上げるその視線にすら、鼓動が早くなる。まだ部屋にすら入っていないというのに、テイルラのフェロモンを深く吸い込んだ時のような衝動がアダマスを呑んでいく。もう三度目なのだから、多少は慣れただろうと甘い考えは軽々覆される。むしろ、逢瀬を重ねる毎に、フェロモンの放出量が増えているような、耐性が弱くなっているような、そんな気さえする。 「……怪我をしたと聞いた。平気か?」 「怪我? あぁ、軽く、な? そんな大したもんじゃない」  そう言いながら、テイルラは包帯の巻かれた左手を持ち上げひらひらと振って見せた。人族の肌は、獣族と比較してとても脆いと聞く。あの時、拳で殴ったことで手の甲の関節部に傷を負ったのだろう。指の隙間を縫うようにして巻かれた白は痛々しく見えるが、テイルラ自身は特に気にかけていないようだ。彼は混血種であるから、周りが多少大げさに手当てをした、と、信じよう。 「ところで、今日はどうしたんだ? 昨日の続きしにきたとか?」 「違う。……ほら、忘れ物だ」 「花? あぁ、なんだ見てたのか。……でも、これ今日買ったヤツとは違うように見えるけど」 「同種同色までは用意できなかった。好みでないなら、すまない」 「へ、もしかしてわざわざ買い直して来たのか?」  アダマスが差し出した花束を素直に受け取り一輪一輪を見つめていたテイルラは、驚いたように目を開いてアダマスへと視線を移した。そこまで驚くほど意外なことをしただろうか。確かに自分は贈り物に花を贈るようなガラではないことはアダマスも自覚している。だがこれはただの贈り物でなくて、意図せず悪くしてしまったものをより良いものにして届けに来ただけだ。あの花も完全に駄目になったわけではなかったが、そのまま持っていくには忍びない有様だった。だからあれはあれで、アダマスの邸宅に持ち帰ることにして、テイルラには新しいものを持ってきた。アダマスにとっては何も特別なことではなかった。 「いいのか?」 「いらないなら持ち帰るが」 「だめだめ! もらう!」  困惑したような表情を見せたテイルラの姿から、好みではないものだったと取ったアダマスが花束をテイルラから奪おうとすると、テイルラは急に花束を抱き締めアダマスの手から逃れる。それから横目に華やかな花弁を見つめ、ふと、笑った。 「ありがとな、アダマス」  その穏やかで温かい笑顔に、アダマスは一瞬で目を奪われる。まだ頬に朱色を残したまま見せたその微笑みは、初めての表情。彼は、こんなにも優しい笑い方をするのだなと、アダマスの心を、言葉を奪い去る。テイルラは花束を抱えて部屋の隅へと駆け出した。耳を後ろに靡かせたテイルラは、地上の空気や光を取り入れるための天窓の真下に置かれた椅子の上に花束をそっと立てかける。  その背中を見つめながら、ふとアダマスは室内を見渡してみる。そういえば、この部屋には花瓶がない。花屋の店主によると、開店以来ほぼ毎日のように切り花を買いに来る客というのは、テイルラのことらしい。てっきりテイルラは花を好んでおり、この部屋に飾るために買っているものと思い込んでいたが、そういうわけではないのか。ではイオルバか、リヒテルヴェニアに送っているのだろうか。しかし花瓶や花の有無など普段は意識していないため、上の階や診療所に花を飾っていたかなど記憶していない。 「んで? このためだけにわざわざ来てくれたのか?」 「いや……、」  花束を置いたテイルラがこちらへと戻ってくる。今宵テイルラに会いに来た目的、それは花を渡すことともう一つあった。  テイルラと向き合って話をすること。  こちらの方がメインではあるのだが、いざ腹を割って話すとなると何を言うべきか迷ってしまう。急に歯切れが悪くなったアダマスに、テイルラは不思議そうに首を傾げる。きらきらと星の瞬く瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。  その瞳は、ああ言えばこう言う生意気な男という印象とはあまりにも異なっていた。煽るような言葉選びは変わらないが、今日はやけにしおらしい。イオルバの言うことが確かならば、元気がない、からだろうか。それとも、これがテイルラの素の表情だということなのだろうか。 「混血種のスカーレット。それがどのようなものなのかは、リヒテルヴェニアに聞いた。……すまなかった、この香りが抑制できないものとも知らず、お前を責めてしまった」 「律儀だなぁ、……気にすんな。それが混血のスカーレットって生きものだよ。オレは死ぬまでこのフェロモンに振り回される。別に今さら一人に誤解されたところで何も思わないよ」  テイルラの表情は、どこか諦観したような、星空の奥底の闇を垣間見せるものだった。アダマスに気を使っているわけではなく、テイルラは心からそう考えていることが肌に伝わる。それが自分の運命であり、生きる道であると諦めている。  あぁ、だから昨日、テイルラは自らの種族と性について語ることをしなかったのかと、アダマスは気づく。その特殊な性を知らず、同じように詰め寄ってきた相手などいくらでもいたのだろう。その度に己の性の特質を語るなど、終わりのない無駄な時間だ。

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