13 / 52
第12話
この様子では、テイルラは自身の性を好んでいないのかもしれない。だが、だからといってアダマスも引き下がるわけにはいかなかった。
「テイルラ・ベルスーズ。その稀有な体、俺のために使ってくれる気はないか?」
「……どういうことだ?」
「俺は、勃起不全、というやつでな。勃たない」
恥を忍んで正直に打ち明けると、テイルラはキョトンと目を丸くする。それからスッと視線を下げ、不思議そうに首を傾げた。
「……それで?」
「そう、だな。正確には、お前以外には勃たない」
テイルラの視線の先には今すぐにでもお前を貫きたいと訴えるものが存在を主張している。意識して気を逸らしていても、呼吸するたびに鼻腔を擽る甘い花の香は勝手に体を持ち上げる。こんな無様な体たらくを晒し続けておきながら「勃たない」などと言われても首を傾げたくなる気持ちはよく分かる。
「そんなことあるのか?」
「ある。俺はこれまで種族問わず何十何百の老若男女数多のスカーレットを見てきた。だがこの身は微かな昂りも見せなかった。にもかかわらず、ほんの数分お前のフェロモンを嗅いだだけでこれだ。これを繰り返せば、この感覚を覚えることさえできれば、俺は本宅に戻れるかもしれない。……お前はそのフェロモンによって真っ当に生きることを許されなかったのは分かる。それでも、俺にはお前のその体が必要だ。求めるものがあるのなら何でも与えよう。俺が生殖を覚えるまででいい。俺に、その身を預けてはくれないか?」
星空の瞳が困ったように虚空を揺蕩う。それは「お前のフェロモンを利用させてくれ」という自らの利益しか考えていない申し出であることは重々承知している。自己中心的な奴だと思われても仕方ない。
正直、この町に居心地の良さを感じていたアダマスにとっては、本宅に帰るなどというのは目下の目標ではなくなっていた。確かにここは発展の遅れた郊外の辺鄙な町かもしれない。だが、息苦しい本宅にいるよりも、別宅は何倍も呼吸がしやすかった。貴族である以上、跡継ぎ問題は切っても切れないもので、生殖能力の乏しいアダマスはそれだけで煙たがられてきた。そんな本宅に戻りたいとも思わない。それに、こんな息苦しい貴族社会を継がせるためだけの子など、作りたくもない。
そう、生殖能力の向上だとか、本宅への帰還だとか、そんなものは建前でしかなく、アダマスにとってどうでもいいことだった。
アダマスがテイルラにそれを提案した本当の理由。それは。
ただ純粋に、テイルラに触れてみたかったから。
テイルラ・ベルスーズ。彼の全てに惹かれてやまない。身体に纏った淡い焔のようなフェロモンに限った話ではなく、人族と獣族の狭間の存在であることを示す形の良い肢体が、顔の左右で揺れる柔らかくぴょこぴょこと揺れる耳が、あの星空を宿した瞳が、感情に合わせてコロコロと変わる表情が、全てがアダマスの目を奪っていく。発せられる心地の良いテノール、素直でない物言い、繊細な指先から放たれる力強い仕草、テイルラの魅せる全てがアダマスを虜にした。
これまで感じたことのない胸の高鳴り。それは、テイルラが「混血のスカーレット」という特異な存在だからだとアダマスは信じていた。
「んー……んん、それって、お前の慰み者として買われろってこと?」
「悪く言うとそうかもしれないが、そういうつもりではない。形式上は『買う』ことになるが、お前の自由は約束しよう。いつまで、とは言えないが俺がお前以外にも勃つようになれるまでで構わない。その後は好きにしていい、ここに戻りたいならそうするといい」
「……、だけど、一時的な話だとしてもオレを買うなんてそんな安い話じゃないと思うぞ?」
「金の心配? この俺の? お前、リヒテルヴェニアに聞いてないのか」
「先生? イオルバとはいろいろ話してたみたいだけど、オレはアダマスって名前の雪豹の獣族にオレを紹介したってくらいにしか聞いてない。もともとオレは素行の悪い客を取らないように高くしてもらってるから、客として来る以上お前が金持ちなのは分かるけど……」
テイルラの声色からは偽りを感じない。思い返せば、確かにリヒテルヴェニアはアダマスにもテイルラについて重要なことは何も言わずにただ「シャトンという店に行け」と告げた。シャトンが娼館であることはもちろん、テイルラが混血種であることもスカーレットであることも、こちらが尋ねるまで語ろうとしていなかった。アダマスは胸の内で「あの医者は……」と呆れつつ、テイルラにどこまで話すべきか言葉を探す。
「え、もしかして、お前って結構な貴族、さま?」
「世間的にはそうだろうな」
「ならもうちょっと行動慎めよ。町の中で淫行しちゃダメだぞ?」
「あれはお前が……! というか話も聞かずに投げ飛ばしたお前が〈慎め〉など言えた口か!」
「襲われかけたんだから正当防衛だろ」
「過剰防衛だ! 全く……他の貴族だったらどうなっていたと思っているんだ」
アダマスの出自を知らないならまだしも、知ってもなお物怖じしない態度に半ば感心に似た感情を抱きつつ、アダマスはため息をつく。アダマスとしては相手がヴェルデマキナ家の商人と分かった瞬間あからさまに態度を変えるような小心者は好まないためそれはそれで構わないのだが、大層肝が据わっている。単純に、アダマスが侮られているだけかもしれないが。
「でも、そうか。それなら悩むこともないや」
「は?」
「ごめん、その誘いには頷けない。オレ、貴族は好きじゃないんだ」
放たれた言葉に、アダマスは言葉を失う。アダマスとしては相当譲歩したつもりだった。それだけテイルラという存在を求めていた。断られることなどないだろうと、勝手に慢心していた。
一般的な庶民のスカーレットは発情期というものによって社会的に弱い立場を強いられている。そんなスカーレットにとって、名のある貴族の慰み者として飼われるのは、たとえ自身の好まない相手だったとしてもそれで安定した生活を得るための一つの手段でもあった。好奇の目から逃れ、不特定多数に身を売り生計を立てなければならないというしがらみから解放されるための方法。
テイルラもそれを望むだろうと思っていた。混血種というただのスカーレット以上に弱い存在であるなら尚更、どこかに身を落ち着かせた方が良いはずだ。それなのにテイルラは、アダマスの誘いを容易く蹴ってみせた。
ともだちにシェアしよう!