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第15話

 微睡みがこんなにも心地が良いのはいつぶりだろう。深い眠りの底から覚醒へと意識が浮上していくアダマスにあったのは、心も体も十分に満たされたような感覚。どこにも負荷のない、すっきりとした目覚めはアダマスにとっては初めての新鮮なものだった。  柔らかいベッドに身を沈めたまま、アダマスは徐々に寝ぼけた頭に意識を宿していく。そんなアダマスに、声が届く。丸い耳を無意識にそちらへ傾ける。聞こえたのは、微かに枯れた声。 「……それじゃ、アイツは」 「そういうことだ。悪ィな、てっきり気づいてるモンだとばかり」 「……そう、だったのか。おかしいと思ったんだ、先生がそんなことするなんて」  よく聞けば、声は二種類ある。片方の枯れた声はテイルラで、もう一つ。この独特な口調、『先生』という呼び名。まさか、と思いつつアダマスはベッドの上で目を開く。きょろきょろと視線を回し、声の源を探してみると、ベッドから少し離れた椅子の方に二人の姿を見つけた。テイルラの傍にいるのは、間違いなく。 「リヒテルヴェニア! お前なぜここに!」 「あーうるせェ。よく起きて即行ンなデカい声でんなァ」  飛び起きたアダマスが張り上げた声に耳を塞ぐような仕草を見せたのはリヒテルヴェニアだった。リヒテルヴェニアの前には机に広げられた救急箱。それと、手当てがなされたテイルラの片手が乗っていた。 「ごめんなアダマス。オレ客取った翌日は外出できないからさ、先生呼んだんだ」 「そうなのか……、いや、それは構わないが普通客が帰ってから呼ぶものだろう」 「お前は別にいいだろ」 「は?」 「テメェは別にいいだろ」 「あ?」  確かにリヒテルヴェニアは共通の知り合いで、アダマスとテイルラを引き合わせたのもリヒテルヴェニアではあるが。情事の後の朝、というのに多少の憧れを抱いていたアダマスにはリヒテルヴェニアの存在は申し訳ないが余計である。  手の治療はすでに済んだのか、救急箱を片すリヒテルヴェニアの傍らでテイルラはボーッとその手を見つめていた。そういえば、昨晩はそのことを気づかってやる余裕もなかった。痛むのだろうか、とテイルラを眺めていると、視線に気づいたのか不意にこちらを見たテイルラと視線が重なる。 「どうした?」 「いや、お前、体は平気なのか?」 「平気なわけないだろ。だから言ってるじゃん、客取った翌日は外出できないって。筋肉痛と倦怠感、昨日はちょっとトびそうだったから頭も重いし」 「へェ」 「……余計なことを言うな」  会話に割り込まない程度の相槌を打ったリヒテルヴェニアがどんな表情をしているか容易に想像が付く。アダマスの訴えている症状の内容からするとリヒテルヴェニアに聞かれて困るものではないのかもしれないが、まだアダマスの中で行為の記憶が鮮明に残っているうちは羞恥が勝ってしまう。 「あァ……、おい、アダマス」 「なんだ」 「テイルラは混血でデキねェから、ナカ出す分には、まァ、……可能な限り控えた方がいいが、構わねェ。だが出すなら出すで寝る前に責任持ってかき出せ。精液ってのは乾くと面倒くせェんだよ」  愚痴るリヒテルヴェニアの足元には、水桶と清潔な白の布が置かれていた。まだ微かに湯気の出ているそれは、多少白く濁っている。思い返せば、昨晩は事後処理など何もせずに眠りに落ちてしまった。初めての行為に舞い上がっていたと、昨日の己を恥じる。リヒテルヴェニアには返す言葉もない。  ベッドから立ち上がるアダマスと入れ替わりで椅子から立ち上がったテイルラがベッドへと戻ってくる。ぺたぺたと歩く足取りは微かにふらついていて、腰に痛みがあるのか軽く前かがみで歩いて倒れるようにテイルラはベッドへと体を落とした。  もう少し、自制できるようにならなければとアダマスは深く胸に刻む。今回は初めてであるからとテイルラも大目に見てくれたのだろうが、毎回これではテイルラがもたない。それこそ、恐れていたようにこの身を壊してしまう。混血種であるテイルラは、恐らく一般的な人族よりもよっぽど弱い存在である。基礎的な体格は人族の中でも優れているから分かりづらいが、獣族であるアダマスが一歩間違えれば……、想像したくもない。  自分のせいで行動制限を余儀なくされているテイルラを置いていくのも申し訳ないが、いつまでもここにいるわけにいかない。日はすでに昇っている。仕事に行かなければならない。アダマスは身なりを正し、この部屋を出る支度を整えていく。そんなアダマスがベッドの上の上着を取ろうとした時、それを反対側から引かれていることに気づく。 「どうした、テイルラ」 「あのさ、昨日の話、なんだけど」 「……なんだ?」  歯切れの悪い口調から、テイルラの言う昨日の話というのが、「お前を買いたい」という話のことだとアダマスは察し、続きを待つ。  貴族嫌いの人間が、一定数存在することはアダマスも認識している。何がテイルラをそういう思考にしたのかは分からないが、嫌いというのなら、アダマスにはどうにもできない。せめて「抱かれるのも嫌だ」と言わないことに感謝しようとしている矢先だった。 「一週間、それが、多分限界。それ以上は、オレは町の中では息できない。……それと、オレのお願い聞いてくれるなら、それなら、いいよ」 「ッ、本当か!」  アダマスは思わずテイルラの両肩を鷲掴んでいた。一週間、正直それだけの期間で勃起不全を治すというのは難しいだろう。だが、アダマスにとって治療はテイルラを傍に置くための言い訳に過ぎなかった。治らずとも、その間テイルラに触れていられるなら、それで良かった。  一週間、たった七日間。だが、混血種であるテイルラにはそれが限界。様々な傷病の欠片が漂う町の中、一般人には何ともないが抵抗力の低いテイルラには空気そのものが毒になり得るということだろう。それなら、それを飲むしかない。 「なら、オレのお願い聞いてよ」 「あぁ、何でも言うといい」  テイルラの表情が僅かに綻ぶ。アダマスを見上げるテイルラは、意地悪く笑っていた。 「オレとデートしてよ」

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