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第17話

「オレは、テイルラ・ベルスーズ。アストラ・ベルスーズは、オレの母なんです。母は以前、ヴェルデマキナ侯爵家で働いてたって、それで、」 「……ええ、アストラちゃんはここで働いてたわ。確かにあの娘から子どもがいるって話は聞いてた。でも、それなら……」  フブキはそっとテイルラの被っていたフードに手を添える。それを後ろに倒すと両側頭部から生えた人族では有り得ない、テイルラを混血種と示す象徴とも言える大きな耳が露になる。それは生命を宿したものとして、触れたフブキの指先にぴくと揺れた。  二人には、事前にテイルラが混血種であることは共有していた。だから、今さらその事実に驚くことはない。だが二人は、テイルラの赤褐色を複雑な感情を宿した目で見つめる。そこにあるのは、強い悲哀の色だ。 「……そうか、アストラさんの子は、混血の子どもだったのか……」 「アストラちゃんは今……」 「あ……、母は、あの、五年ほど前に……病で……」 「そう……ごめんなさいね、悲しいことを思い出させて」  重い沈黙が流れるものの、完全に蚊帳の外に追いやられたアダマスがかける言葉はない。テイルラも、モズもフブキも、アダマスにこのような悲痛な面持ちを見せたことはなかった。事情を聞きたいがそんな雰囲気でもない。  思えば、確かにテイルラの両親は何をしているのかという疑問はあった。混血種を育むことを悪とするこの世の中で、混血種を産み落とした。一夜の過ちで生まれたならば、恐らくテイルラはすでに命を落としているだろう。混血種は十年が寿命と言われている。聞くところによると、テイルラは今年で十八歳を迎えたらしい。混血種をその年齢まで育てることは、アダマスには想像もつかないが、きっと容易いことではない。ということは、テイルラの親はテイルラを守り、育てる覚悟があった。  だというのに、テイルラは今娼館の地下室でひっそりと生きている。そんな彼を率先して守護しているのは、リヒテルヴェニアやイオルバのように思える。テイルラはまだ若い。親元を離れるには幾分早いようにも見える。それに、混血種でさらにスカーレットであるという外部に晒すことに大きな危険を伴う存在を放置するとも思えない。母を亡くしているのならば、父親は今何をしているのだろう。 「あの、それで、もし可能だったら母さんの話を聞かせてくれませんか? オレ、家での母さんしか知らなくて……、」 「ええ、もちろん構わないわ。せっかくだから、テイルちゃんのお部屋まで案内しましょうか。あ、アダムちゃんそれテイルちゃんのお荷物?」 「あ、あぁ……」 「じゃあいっしょに持って行きましょう」  フブキは硬直したままのアダマスからテイルラの荷物を受け取り、「さぁおいで」とテイルラの手を引き屋敷の中へと並んで消えていく。残されたアダマスは、同じく二人の背を見送っていたモズと顔を見合わせた。モズはアダマスの視線から意図を読み取ると、二人の背中が完全に消えたことを確認してから静かに口を開く。 「アストラ・ベルスーズ、という方は数年前までこの屋敷で私とフブキと共に働いていた人族の女性です。私とフブキがこちらを任されて数日後に、ここで働かせて欲しいと。侯爵家の別宅であるので無断で人を雇うべきではないとは思っていましたが、体の弱い子どもがいて、その子の医療費のために金が必要だと言われたら放っておけず……、申し訳ありません」 「構わん、俺もそうした。それで?」 「はい、彼女はとても献身的に働く真面目な方でした。ですが、それまで無断で休むことなどなかったというのに、ある日突然仕事に来なくなったのです。それがちょうど、テイルラ様の言う五、六年ほど前のことでした」 「……お前、テイルラのことは知らなかったのか?」 「ええ、彼女にも体が弱いのなら家に残すのも心配だろうし、ここに連れて来ても構わないと言っていたのですが、彼女は結局一度も子どもを連れてくることはありませんでした。……子どもが混血種であるということも、聞いておりません」 「……そうか」  モズは微かに視線を伏せる。その瞳は、やはり悲哀で揺らいでいた。アストラは子どもを、テイルラを連れてこなかったのではなく、連れてこられなかったのだろう。アダマスにも、アストラがその選択をする理由が理解できた。  モズとフブキは、異種族のパートナーである。子を持つことを諦め、二人で生きていくことを決めた人族と獣族の夫婦だった。アストラが二人の関係にいつ気づいたのかは分からないが、そんな二人の前に混血種の子どもを連れてくることなどできない。子を持つことだけが幸福でないと分かっていても、自分が諦めた幸福の形を誰かが手に入れていたら。アストラが手にした幸福は、二人を傷つける。アストラはそう考え、テイルラの存在を二人に隠したのだろう。  モズもそのアストラの思いを汲んでいるのか、悲しげな視線はテイルラの去った後を見つめていた。 「テイルラの父親のことは?」 「それも、私は特に何も聞いておりません。そのことに関しては彼女も話したがらなかったので……」  アダマスは「そうか」と頷き、モズに正餐の支度をするように告げる。貴族とその他の農民や聖職者は食事の時間や回数が異なり、アダマスたち貴族は午前に正餐、午後に夕食を取るが今日はテイルラが来るということで正餐の時間を遅らせていた。いつもは朝の市場の様子を確認した後、午前十時ごろがその正餐の時刻だったが今日はすでに正午が近い。  食堂へと向かって行ったモズを見届け、アダマスはテイルラたちが向かったはずの二階へと足を向ける。話し込んでいたらそっとしておくべきかもしれないが、それ以上にアダマスは二人の様子が気になっていた。あのいついかなる時も冷静な姿勢を崩さなかったモズが、僅かではあるが心の乱れを見せた。二人は割り切っていると言うが、やはり「子ども」という存在に思うところはあるのだろう。目の前に現れたのが自らが諦めた混血種であれば、なおさら。動揺せずにはいられないだろう。その動揺を少なからず減らすため、テイルラが混血種であることは事前に伝えて覚悟はしていたはずだが、実際に目の前にするとどうしても心が揺れるのだろう。さらにその子どもは顔見知りの子。モズとフブキが何を思うのか、アダマスには想像もつかない。  二階の客室へと向かう途中、アダマスはふと考える。テイルラは、自分がヴェルデマキナ侯爵家の人間であると気付いたから、この誘いを受け入れたのだろうか。思えば、テイルラは一度「貴族は嫌いだ」という理由で誘いを蹴ったのである。その答えを僅か一晩で覆すというのは、どこか違和感がある。むしろ貴族嫌いならなおのこと、侯爵家なんて位の高い貴族は嫌がるはずだ。  テイルラが来たのは、アダマスがヴェルデマキナ家の貴族だったから。それが偶然、自らの母親が生前務めていた貴族だったから。それはアダマスに複雑な感情を抱かせた。デートだなんだと言ったが、所詮それは建前。本音はアダマスではなく、その背後にあるヴェルデマキナ侯爵家が目的だった。  アダマスのためではなく、母のため。母の話を聞くため。  期待していたわけではなかったというのに、何故か胸が詰まる。自分のためなんて、そんな都合の良い話があるわけがないというのに。 「…………だから、なんだ」  テイルラがここに足を運んだ理由がアダマスではなかったからといって、だから何だと言うのだ。そもそも何故自分はそんな当たり前のことを残念がっているのだ。  アダマスは廊下の途中で深々と溜息をつく。何故テイルラのためなんぞにこんなに一喜一憂しなければいけないのだ。誰のためだろうと関係ない。テイルラにはこれから一週間、こちらの生殖能力を正常のものにするために存分にその身を堪能させてもらうだけだ。それが終われば、アダマスに一般的な勃起能力が宿れば、テイルラは晴れてお役御免。シャトンに送り返し、二度と会うこともないだろう。そう、それっきりの関係だ。

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