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第23話

 テイルラを背中に隠し、アダマスは診療所を目指す。町の北側へと向かう途中、テイルラは人通りが少なくなると見るや背中から出てきて隣に並ぶ。目線の下にある灰色のローブを見下ろしつつ、アダマスはふと考える。  テイルラの望んだデートというのは、これで良いのだろうか。まだテイルラとの日々は始まったばかりであり、今後まだ何か要望が増える可能性はあるが、少なくとも今のところは多少拍子抜けするようだった。会う人会う人に説明しなければいけない面倒さはあれど、ただこうしてテイルラの盾になっていればいいのであれば、それくらいは安い。そもそも侯爵家の貴族が連れ歩いているスカーレットを襲おうなんてヤツがいるのだろうか。これではただただ単純に、テイルラを散歩させているだけに変わらない気がする。 「おはよ、アーティ」 「あら、テイルラくんとアダマス? どうしたの? 具合悪いの?」  診療所に着くと、テイルラはアダマスより先に中へと向かって行った。薬草の調合をしていたアーティはテイルラの声に手を止め調合室から出てくる。待合室には今日も他の患者の姿はなかった。相変わらずこのミラビリスの町の人々は健康な人間ばかりなのだろう。いつかアーティに聞いた、ミラビリスのどこかに自生しているという薬草のことが脳裏を過る。あの時はそんな夢物語があるのかと微かに思ったが、この様子を見る限りあながち実在していてもおかしくはないのかもしれない。 「違うよ、先生に用事があるんだって」 「リヒテル先生に? ちょっと待ってて、今部屋の方にいるから呼んでくるわ」  アーティはパタパタと診療所の奥、診察室とはまた違う部屋へと向かって行った。この診療所はリヒテルヴェニアの自宅にもなっており、奥は個人的な空間で当然患者の立ち入りは許可されていない。はずだが、テイルラはそんなことも気にもせず奥の部屋を遠目に覗いていた。恐らく、テイルラはリヒテルヴェニアの自宅の方にも入ったことがあるのだろうなと、アダマスは勝手な想像を膨らます。  ほどなくして、二人分の足音が奥の間から出てくる。リヒテルヴェニアの姿を認めた途端、微かにテイルラの表情が和らいだことが、何故かアダマスの胸に突っ掛かる。 「よォ、ちょうどよかった。俺からもテメェらに用があってな」 「用? なんだ?」  アーティと共に出てきたリヒテルヴェニアは、一枚の封書をアダマスに手渡してくる。触れた紙の材質から、その封書がそれなりに高級な紙が使われていることをアダマスは察する。紙の裏面には封蠟の跡が残っていることから、封書が公的な地位を持つ相手から送られてきたのであろうことがアダマスには理解できた。  首を傾げるテイルラの傍ら、アダマスは中にあった手紙を取りだす。それは、医師や研究者たちの定期研究発表会の招待状だった。リヒテルヴェニアに宛てられたそれに、アダマスは軽く目を通す。 「悪ィが今日から明日までそれに出席するために俺は出てくる。ここにはアーティがいるから、どうしても困ったときはアーティに言え」 「先生、どこか行くのか? 珍しいな」  招待状によると、開催場所はドゥエラという町だった。そこはヴェルデマキナ侯爵家の領地の一つであるため、アダマスも名前や場所は把握している。そういえば、確かにあの町では定期的に研究者たちを集めた会合が行われていた。アダマスも何度かそれに合わせた出張商売のために顔を出したことがある。生憎医学の素養は持ち合わせていないため、研究内容そのものは理解できずいつも聞き流していたが。 「いつもはつまんねェ話ばっかだから蹴ってたンだけどな。今回は気になる話があるからちょっくら顔を出してこようと思う」 「気になる話?」 「あァ、俺の研究分野に関わる重大な発表だとよ」 「……お前の研究分野?」  リヒテルヴェニアが研究している内容。それをはっきりと聞いたことはないが、アダマスは以前のリヒテルヴェニアの言葉を思い出す。いつか、テイルラのことを聞きに行った日。リヒテルヴェニアは混血のスカーレットに関する資料を「俺の研究資料」だとか言っていた。  リヒテルヴェニアとアダマスの視線が重なる。言葉はなくとも、その目から言いたいことが伝わってくる気がした。 「ま、期待しないで待ってろよ。重大つって関心高めといてなンもねェなんてことも十分あり得る。……んで? 俺には何の用だ?」 「テイルラの食事のことなのだが、テイルラは肉は食えるのか? 兎の獣族に則したものを用意した方が良いのか分からなくてな」 「あァ、メシの話か。別に肉は食える。内臓は人族よりだ。ただ、ガキの頃から長く偏った食生活を続けていたせいか、食いなれていないモンが多い。ついでに消化機能も弱い。肉食わせるなら鶏にしろ」  つまり、消化の良いものを食べさせろということか。テイルラは好みではなく、本能的に果実や野菜を選んでいた。盗み聞きした話が事実ならば、テイルラは幼少期は今よりも体が弱く体調を崩しがちだった。さらにテイルラの母は貴族の屋敷に働きに出るほど金に困っていたようでもあったことからすると、比較的安価な果実や野菜に食事が偏っていたのだろう。 「……テイルラ」 「うん?」 「平気か?」 「うん! モズさんもフブキさんも優しい人だったし、お屋敷は広くて楽しいし……、あ、お風呂もあったんだ!」 「そうか、それならいい」  テイルラはリヒテルヴェニアに対し屈託のない笑顔を見せた。まだアダマスには数えるほどしか向けたことのない表情。対し、リヒテルヴェニアは穏やかな、温かい瞳をテイルラに向けていた。  たったそれだけのことで、胸が震える。多少はアダマスにも笑顔を見せるようにはなったが、ここまで素直に感情を見せることは未だにない。 「おぁっ! なんだよ!」 「帰るぞ。ドゥエラに行くなら入り浸っていたら迷惑だろう」 「あ、そっか。じゃ、またな、先生」 「……ふふ、まァ精々ガンバレよ?」  気付いた時にテイルラの腕を強引に引っ張っていた。去り際にリヒテルヴェニアの笑う声がしたが、振り返る気にはなれなかった。  アダマスは今、自分がどんな顔をしているのか分からなかった。

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