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第26話

 そして、三日目の朝が訪れる。  お互い一糸纏わぬ姿でベッドの上で目覚めたというのに、一人昨晩の情事を思い出し赤面するアダマスを尻目に、テイルラは事後の名残を微塵も見せず、起床した瞬間には昨晩の甘い子猫のような色は嘘のように消え失せていた。あれだけ淫らによがっていたのに数時間後には何事もなかったかのように振舞えるのは相当な胆力だ。経験の差をまざまざと見せつけられているようだが、どれほど経験を積んでもアダマスには己の獣を晒して何でもない顔ができる日が来るとは思えなかった。  そういえば、前回の事後にもっと自制しなければならないと分かっていたはずなのに、結局またしてもテイルラの身に負担をかけてしまった。相当泣いていたように見えたが、体は平気だっただろうか。前回以上に酷く責め立ててしまった気もする。しかし、それもこれもテイルラがあんな誘い方をしたせいだ。妙な意地がアダマスの中で芽生えてしまい、抑え切れなかった。 「アダムこれからまた仕事行くのか?」 「そうだな」 「んじゃオレも……」 「ダメだ、お前性行為の翌日は外出できないと自分で言っていただろう」  ベッドの隅で喉の調子が悪いのか、何度か咳ばらいを繰り返していたテイルラが、ベッドから立ち上がったアダマスを追いかけるように声をかけてきた。テイルラが「連れてって」と続けることを察したアダマスは言い切る前に言葉を遮る。アダマスが自分でやりすぎたと自覚があるのだ。前回の時点で不調があったらしいテイルラを連れ出すなんてことをするわけがない。だが、テイルラはひたひたと裸足でアダマスに近づくと両手をアダマスの右手に添え、身を寄せた。 「今日は平気だよ。な、邪魔はしないからさ」  そういう問題ではないと、アダマスは甘えるように縋ってくるテイルラに思う。邪魔だからという理由でテイルラを置いて行こうとしているつもりは毛頭ない。アダマスがテイルラを置いていきたい理由は、その身体を心配しているからだった。頼むから大人しく養生していて欲しい。アダマスにはテイルラが何をきっかけに体調を崩すのかほとんど分かっていない。もし性行為がそのきっかけになり得るというのならば、無理だけはさせたくない。  そんなアダマスの心配を他所に、テイルラは迷うアダマスの背中にトンと額を乗せる。 「お願い」  かろうじてアダマスの耳に届いたのは、テイルラらしからぬ弱弱しい囁き声だった。自分の不調は、テイルラ自身が最も把握しているはずだ。それでもなおここまで譲らないのには、何か理由があるのだろうか。アダマスには、その理由は分からない。だが、その願いを断ることができなかった。 「気分が悪かったら、すぐに言え。分かったな」 「うん、分かってる」  アダマスが頷くと礼の代わりにキュッと袖を握ったテイルラが何を考えているのか、分からない。ただ、なんとなくそこに、「デートがしたい」などと言い出した理由が眠っているような気がした。  今日は繁華街の露店の様子見だけにして、早く帰ろう。アダマスはそう決めて、カーテンを開く。  窓の向こうは今日も、雲一つない快晴だった。  二人が訪れた市場は、いつも以上の賑わいを見せていた。立ち並ぶ露店のあちこちに人だかりが出来ており、行き交う人波も激しくテイルラはアダマスにぴったり張り付いていた。  繁華街を見渡してみると、常設の露店以外に見たこともない商品を並べる変わった露店が出ていることにアダマスは気づく。そして、それらの露店は自らが誘致したことも同時に思い出す。テイルラが来るということにばかり気を取られ、今日はアルルカンド国のありこちを飛び回る流れの露天商を呼んだ日だとすっかり忘れていた。幸い、アダマスの仕事は彼ら露天商を呼ぶことであったため、特にこの日にアダマスがすることはなかった。  だが、この人の量はテイルラの負担になってしまうかもしれない。繁華街についてから背中から出てこないテイルラを、アダマスはちらと見やる。 「……テイルラ」 「わっ、あ、な、なんだ?」  アダマスの目に映ったテイルラの瞳は、これ以上ないというほどきらきらと輝いていた。目の前にあるのは宝石やアクセサリーを取り扱う、これまでミラビリスにはなかった種類の品を扱う店。そこに並ぶ美しい鉱石と同じくらい、いや、それ以上に目を輝かせるテイルラの姿がそこにあった。心配して損した気分になるほどに、テイルラの表情は晴れている。 「興味があるのなら好きに見て来ても構わないぞ」 「え、いいのか?」 「ただし、あまり離れすぎるなよ」  ぱぁっ、と分かりやすく表情を明るくしたテイルラがアダマスの背中を飛び出し露店へと跳ねていく。物珍しそうに露店を見て回るテイルラを決して視界から外すことがないように見守りつつ、同時に誘致した露店の様子をアダマスは眺める。ミラビリスは良くも悪くも平和な町である。何事もない、平坦な「日常」というものがある、どこにでもある穏やかな町。そのため、売れるものも大概が固定的であり、売り上げも波がない。アダマスが馴染みの露天商たちを呼んだ目的は、そんなミラビリスに住む人々のうちに潜む「贅沢心」を揺さぶり、市場を賑わせることだった。  実際、今日はアダマスがミラビリスに来て以来、最も市場が賑わっているように見える。これならば、今後も定期的にこのような日を作ってみるのも良いかもしれない。たまには「非日常」があれば、ミラビリスの活性化にも繋がるだろう。  アダマスの言いつけ通り、遠くには行きすぎず、目の届く範囲を見て回っているテイルラを視界に収めつつ、アダマスは今後の誘致の計画を脳内で組み立てる。そんなアダマスの耳に、ふと聞き覚えのある声が届く。 「あれ、アダマスサン?」 「お前は、イオルバ」  そこにいたのは、シャトンのカウンターを務めている猫の獣人、イオルバだった。露店で買い物をしていたらしいイオルバは様々な食品を片手に抱えていた。イオルバはアダマスの周りを見渡すと、つと首を傾げる。 「テイルラは?」 「あれだ」  アダマスが人混みの中を指差すと、イオルバはくるりと振り返り指差した先を見やる。その先には、茶葉の店の前で立ち止まり、露天商に差し出された一つまみの茶葉の香りをくんくんと嗅いでいる様子のテイルラの姿があった。よく違いが分からないのか、テイルラの頭が微妙に傾いている。それを笑われて何か言い返しているテイルラを遠目に眺めながら、イオルバは穏やかな笑みを浮かべた。それは、昨日リヒテルヴェニアがテイルラに向けていた表情に近いような、そんな気がした。

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