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第27話

「久しぶりに、あんなに楽しそうにしてるテイルラを見たよ」 「そうか? あいつは、リヒテルヴェニアといる時の方が楽しそうだろう」 「は? ……なに? 貴族サマって喜怒哀楽も分からないの?」 「なんだ、どういう意味だ」  イオルバの黒い眼が、糸のように細められる。多少の軽蔑を含んだ視線と、皮肉の籠った台詞の意図が分からないアダマスは眉間に皺を寄せつつテイルラをちらと見る。表情豊かなテイルラは、確かに「楽しそう」と表現されるものだった。しかし、アダマスには昨日のリヒテルヴェニアと話していた際のテイルラの方がよっぽど楽しそうに見えた。だがイオルバは呆れたように首を左右に振り、「そうじゃないよ」と溜息混じりに呟いた。  イオルバは不意に周囲を見渡し、人通りの邪魔にならない隅によるとアダマスを手招きした。アダマスは変わらずテイルラを視界に収めつつ、イオルバに近づく。 「アダマスサンは知らないだろうけどね? テイルラは、本当はあんまり笑わないやつなんだ。店にいる時はいつもどこか遠い目をして、光のない目でボーッと暖炉を見つめてた。笑うどころか、他の表情すらほとんど見せない、自分から口を開くこともほとんどない。そんなヤツなんだ」 「テイルラが、か?」 「まぁ信じられないだろうけどね。俺も最近のテイルラの様子には驚いたよ。テイルラは、ある日急に変わったんだ。真っ暗だった瞳に星が灯ったみたいに、生き生きとしだしてね。笑うようになったんだ」  アダマスは黙って遠くのテイルラを見やる。そこで幼い子どものようにあちこちに興味を移しては落ち着きなく動き回るテイルラは、イオルバが語る人物と同一とは到底思えなかった。無邪気で天真爛漫な男。アダマスが抱いているテイルラの印象と、正反対のテイルラの姿。想像することさえ叶わない。あんなに表情豊かなテイルラが、まだ僅かな回数ではあったがアダマスにも笑顔を見せるようにテイルラが、光を失う様など。 「ある日ということは、何かきっかけがあったのか?」 「……、さぁ、あるんじゃない?」 「なんだ、知っているわけではないのか」 「そりゃ……アイツは以前からほとんど毎日一人で外出してたからね。テイルラだって子どもじゃないし、アイツがいつどこで何してるかを俺がみんな知ってるわけないじゃん」 「それもそうか……」  イオルバの表情が、若干曇ったように見えたのは何故だろうか。実際、テイルラはアダマスが面倒を見ているあの花屋に開店して以来毎日のように通っていたと聞いている。テイルラが一人になっている時間は十二分に存在する。その中で何か起きたとしたら、誰も見ていないというのも当たり前か。 「で、何故それを俺に?」 「それくらい察しなよ。んじゃ、俺は行くね」 「は? テイルラに挨拶はしなくていいのか?」 「いいよ、せっかく水入らずを邪魔しちゃ悪いしね。テイルラも思っていたより大丈夫そうだし。あ、もちろん今の話テイルラに言っちゃダメだよ」  イオルバは言うだけ言うとアダマスの隣を離れていき、空いた手をひらひらと振りながら人混みの中に紛れていった。察しろ、と言われても。テイルラが感情豊かになったことを聞いてアダマスに何をしろと言うのか。まさか、そのきっかけとやらを聞き出せとでもいうのだろうか。いや、それではテイルラには言うなという最後の言葉と矛盾する。ならば、イオルバは一体何をアダマスに期待していたのか。 「あ、いたいた! アダム! お前の方が離れるなって言ったのに、勝手に離れるなよ!」 「あぁ、悪い。あそこは店の邪魔になるかと思ってな」  イオルバの背中が完全に見えなくなってから間もなく、テイルラが小走りでアダマスの元へと戻ってくる。視界に入る位置にはいたのだが、夢中になっていたテイルラにはアダマスが元居た場所から消えたように見えたのだろう。焦らせてしまったのか、テイルラは多少憤ったような声を上げていた。 「どうだ、何か気に入ったものでも見つけたか」 「ん? あぁ、まぁ一応……」 「見せてみろ」 「え、アダムの趣味と合うかな……」  テイルラがまた拗ねてしまう前に話を振ってみると、テイルラは先ほどまで自分が眺めていた一角の方に視線を向ける。「案内してから言え」とアダマスが告げると、テイルラはスッとアダマスへ手を伸ばし袖を握る。その袖を引きつつ、テイルラはとある装飾品店にアダマスを誘導した。アクセサリーのみではく髪飾りのようなものも取り扱う店の前で、テイルラはある商品を指差した。それは複数並ぶリボンのうちの一つ。 「あれ、素敵だなって」 「ふむ……、すまない、これをもらえるか」 「え? いや別に買ってくれなんて一言も……」 「なんだ、俺は買ってやるなんて一言も言っていないぞ」 「は?」  慌てて止めようとしてくるテイルラを尻目に、アダマスは店の主人に金を差し出す。手際よくリボンを購入したアダマスは、ポカンとしているテイルラの手を引いて露店の前を抜けていく。人の波を潜り抜け、そのまま繁華街の隅の路地に飛び込み、町の喧騒の届かない奥まった誰もいない場所まで向かう。そこでアダマスはテイルラの手を離し共に身を隠すようにしゃがみ込んだ。  まだ戸惑っているテイルラの正面で、アダマスはそっとテイルラのフードの中に手を差し入れる。その手には、たった今買ったリボンが握られていた。それは、穢れのない白を基調とされており、片側のみ端に近づくにつれ青みがかったシルバーにグラデーションを描いていた。  アダマスはテイルラの右耳に、そのリボンを優しく結びつける。 「アダム?」 「いいか、テイルラ。俺はお前にねだられたから買ったわけでも、お前が欲しがっていたから買ったわけでもない。俺が欲しかったから、これがお前に似合うと思ったから、買った。そして思った通り、お前にとても似合うからそのままお前に譲ることにした、いいな?」 「……うん、ありがとう、アダム」  アダマスがフードから手を抜くと、テイルラの赤褐色の上に白が添えられていた。耳が揺れると共に、リボンの両端が耳を撫でていく。フード越しにリボンに触れたテイルラは、花束を買ってきたあの時のように嬉しそうな柔らかな笑みを浮かべていた。そんなテイルラの姿は、アダマスの秘めた感情を強く揺さぶる。腹の奥底が、ぞくりと震える。思わずテイルラに手を伸ばそうとしていたアダマスは、鼻腔を撫でた香りにハッと我に返る。

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