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第29話
あくる朝、僅かに開いたカーテンの隙間から指す光で、アダマスは目を覚ます。重い瞼を開き、伸びをしようとした腕が、別の体温に触れる。まるでアダマスに寄り添うかのように、肩口に額を寄せていた熱の籠った柔肌の持ち主。そこで眠っているのは間違いなくテイルラで、幼い子どものようなあどけない寝顔を見せていた。だが、昨晩の行為を象徴するかのようにテイルラの目尻には涙の跡を残っており、あどけなさと共に性の残り火を灯していた。その炎は、アダマスの瞼の裏にある昨晩のテイルラの姿を炙り出す。
妖しく乱れ、熟れた唇を開き、透明な線で頬を撫でていたテイルラの痴態。ぞくりと心臓が震える感覚に、アダマスは咄嗟に焼きついた記憶を振り払うように頭を振るう。昨夜、泣くほどテイルラを犯したのは間違いなくアダマスだった。嗜虐心を煽るテイルラが悪い、と言いたいところだがそんなものはアダマスに言い訳にすぎない。頬を濡らすテイルラを、もっとよがらせたくて、もっと深くまで落としたくて、つい止まらなくなってしまった。
ひとまず、起きたら一言謝罪しよう。テイルラが繰り返した「だめ」という言葉が、まだ頭の奥で残響し続けているような錯覚すらある。昨晩のアダマスにはただの照れ隠しで、「もっと」の裏返しにしか聞こえていなかった言葉。今にして思い返してみれば、途中からテイルラは本気で「だめ」と言っていたような気がしないでもない。
アダマスが身を起こすために身体を動かすと、傍らのテイルラが微かに唸るような声をあげた。テイルラはまだ眠いのだろうか。さすがに今日は朝市に連れていく気にはなれない。仕事の行くと一言だけ告げようと、アダマスは身を転がしテイルラと向き合う。髪と耳で隠れたテイルラの顔に手を伸ばし、さらさらと細い毛をかきあげる。すると、微かにテイルラの頬に朱が差していることに気づいた。
何か、変な夢でも見ているのだろうか。そう軽く考えていたアダマスは、何の気なしに額に手の甲を触れさせた。触れた額は、まるでテイルラの中の炎に触れたかと錯覚するかのように、熱が宿っていた。
「……テイルラ?」
サーッと血の気が引いていく感覚があった。アダマスは慌ててベッドから起き上がり、テイルラの様子を確認する。よく見ればいつもより呼吸が深い。寒いのだろうか、テイルラはベッドの上で己を庇うように身を丸めていた。
「くそ……だから止めろと言ったんだ。テイルラ、分かるか? すぐにリヒテルヴェニアのところに連れて行ってやる」
確か、先日のリヒテルヴェニアの話では昨日の夜には診療所に戻るという話だったはずだ。先にベッドから降りようとしたアダマスの手を、テイルラの細い指が掴む。どうやら意識はあるらしい。アダマスが振り返ってみると、薄っすらと瞼を開いたテイルラの瞳は熱のせいか星が揺れていた。
「へーき、だよ。少し疲れただけだから」
「悪いが本当にそうだとしてもこの状態のお前を放置することは俺が落ち着かん」
実際、不調の理由はまだ慣れていない空間で連夜行為を重ねたことによる疲労も関わっているだろう。だが、アダマスはこんな弱弱しい「平気」に対して「はいそうですか」と引き下がれるような性格ではなかった。テイルラの手を剥がし、アダマスはベッドを出て着替え始める。その間も、テイルラはベッドから起き上がる様子はなかった。アダマスは次いでテイルラの服を用意し、ベッドに戻る。気怠そうにふらつくテイルラを何とか起こし服に袖を通させ、体を冷やさないように上から一枚コートを着させる。体格の良い混血種といえど、さすがにアダマスのコートは袖も丈も余っていたが仕方ない。最後にフードを被せ耳を隠させると、アダマスは横抱きでテイルラを抱え上げた。
息つく間もなく部屋を飛び出したアダマスは、ちょうど三階に登ってきたモズと鉢合わせる。起こしに来たものと取ったアダマスに、モズは急いていたのか息を切らしながら声をあげた。
「アダマス様! お客様が、」
「すまんがテイルラが体調を崩してそれどころではない。お前らで相手していてくれ」
「え、しかし……あぁお待ちください! 今降りられては!」
アダマスは素早く階段を三段飛ばしに飛び降りていく。とても追いつけるはずもないモズを置き去りにしてしまうことになるが、余裕のないアダマスにそんなことを気にしている暇はなかった。
「っ! アダムちゃん!」
一気に一階まで駆け下りた先には、フブキの姿があった。広いエントランスホールで客人の相手をしていたフブキはアダマスの足音に振り返る。その瞳には困惑が滲んでいた。フブキはアダマスが腕の中にテイルラを抱えていることに気づくと慌ててこちらに駆け寄り、テイルラを隠すように客人に背中を向けた。
客といえど屋敷内に立ち入るには一度主人への面通しが必要なものだ。だからこそ、まだ屋敷内にはいないだろうと踏んでいたアダマスは気にせず降りてきたのである。
しかし、すでに屋敷の扉は開いていた。主人の断りなしに扉を開けさせ、勝手に足を踏み入れた。そんなことができるのは。
「やぁ、兄さん。思っていたより元気そうで残念だ」
聞こえてきた声に、アダマスは反射的にテイルラを守るように腕に力を込めていた。気のせいだと願いたいが、血縁者の声を忘れるはずがなかった。アダマスは苦虫を嚙み潰したような表情で玄関へと視線を送る。その先に立っていたのは、アダマスと同じ黒の斑模様を持つ、白い獣族。ヴェルデマキナ侯爵家の正統後継者の一人。己の実の弟である、ペルナ・ヴェルデマキナだった。
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