32 / 52
第31話
「本当に、そんなことが可能なのか?」
同時刻、テイルラはリヒテルヴェニアから語られた内容に対し、複雑な感情の篭った表情を見せていた。
無事にフブキによって診療所に運び込まれたテイルラは、そのまま寝台に寝かされリヒテルヴェニアによって処置を受けた。現在はアーティが調合した解熱剤や制吐薬を服用したことにより、テイルラの容体は安定し、意識も回復していた。だが念のためその他の症状が現れたりしないか、診療所でしばらく経過を見守ることになっていた。
二人きりの部屋の中で、リヒテルヴェニアはテイルラに会合で発表された情報を共有していた。とある医者が発表した、『つがい』と呼ばれる目に見えない魂の繋がり。テイルラはそんな非現実的なことが信じられないのか、訝しむように目を細め思案する。
「正味、まだ確証はない。絶対だと言い切るには提示された事例の数が少ねェな。……だが、まぁ、この医者なら、恐らく虚偽はない。つがい、という繋がりは存在すると俺は受け止めた」
リヒテルヴェニアはテイルラの問いかけに応じつつ、己が書き留めた発表内容に関するメモを眺める。アダマスとは異なり、羊皮紙のような高価な品を容易には使えないリヒテルヴェニアが使っているのは荒いパピルスだった。端々が細切れているそれは、所狭しと文字や図式で埋め尽くされている。リヒテルヴェニアはその表面を指でなぞりつつ。改めて内容を噛み砕く。
今回発表した医者が研究対象としているのは、あくまでただのスカーレットのみである。混血のスカーレットであるテイルラにどこまでそれが通用するのかは、その発表では不明な点が多い。まず、テイルラは例えつがいを得たとしても、その相手の子を孕むことはないだろう。混血が子を産めないのはそのように体が作られていないからで、どれだけ相性が良かろうと子はできない。受精すべき卵子を持たないのだから当たり前で、それを覆すことはない。そもそも、そのつがいという繋がりは、異種族でも有効なのだろうか。あの発表の事例は同種族であることが前提とされており、その点も不明である。
「つがいを作ったら、オレのフェロモンはその人にしか効かなくなる……?」
「単純に考えればそうかもしれねェ。だが簡単に考えるなよ? そのつがいという関係に、もし望まぬ相手となってしまったらどうする? 解除する方法はあるのか? わからねェことばっかりだ」
「そう、か。嫌いな人に無理矢理奪われることもあるのか」
「そういうことだ。……だからな、テイルラ。抑制剤は欠かさず飲むようにしろ。軽い気持ちでつがいになろうなんて考えるな」
「発情期の抑制剤、な。分かった。アーティの抑制剤飲むようになって発情期ぜんぜん分からなくなったもんな」
いつもよりも固い態度のリヒテルヴェニアの様子から、テイルラはしっかり『つがい』の危険性を理解したらしく、真っ直ぐな目で頷いた。テイルラが普段から服用しているアーティが調合した複数の常備薬。その中には発情期を抑え込む薬が含まれていた。
テイルラが服用している薬の中には、期待される効果が発揮されておらず、まだアーティが改良を急いでいる薬も存在する。現にフェロモンの放出を抑え込む薬もテイルラは服用しているが、それはテイルラに効いていないことが一目瞭然であった。だが、その薬の開発が遅れた理由は優先順位のためであった。
テイルラの発情期は、目も当てられないほどの重いものである。他のスカーレットたちのように甘い香りを零して、単純に抱いて抱いてと鳴くことが可愛く思えるほどには。
スカーレットであると同時に混血であったテイルラは、その体の矛盾から発情期になると精神に強い負担がかかってしまう。込み上げる欲と共に、言いようのない不安感に襲われた。快楽を求めて他者をねだるのではなく、精神的な安定を求めてなりふり構わず、誰彼構わず誘ってしまう。心の奥から、永遠の孤独に巣食われる。暗闇に閉じ込められるような感覚。テイルラは発情期になると、「助けて」と泣き喚いた。
それを見ていられず、リヒテルヴェニアはアーティに発情期の抑制剤の完成を優先するように頼んだ。結果、アーティは半年で薬を完成させ、以来テイルラの発情期は完全に抑え込まれていた。ただ、抑制剤はあくまで発情期を抑制させるもので欲を消し去ることは叶わないため、どうしても定期的にその欲を発散させる機会を必要とはした。
「それとテイルラ。最近貴族連中が強制発情薬とかいうロクでもねェ薬を使っているという噂がある。俺も実物を知らねェから何とも言えんが、ソイツはアーティの薬をぶち抜く可能性もある。無警戒に何でも口つけねェようにしろ」
スカーレットの発情を強制的に引き出す薬。そんな薬が高値でやり取りされているという噂をリヒテルヴェニアはドゥエラの医者仲間から聞かされていた。アルルカンド国ではそのようなことはないが、他国ではスカーレットの地位が低かったり、スカーレットの発情を娯楽として見世物にするようなこともある。そのためそのような薬が存在するのだろうと、リヒテルヴェニアは察していた。問題はその薬がアルルカンド国にも流れていることである。
「……もしかして先生、アダムのこと疑ってる?」
「……ドゥエラでアイツの家の人間を見かけた。アイツ自身にも、すぐこの話は伝わるだろうよ。……いや、とっくに伝わってるだろうな。最悪、強制発情薬もその手に渡っている可能性も否定できない」
「それで、アダムがオレをつがいにしようとするだろうって? 薬を使って強制的に発情させて、断りもなくオレを襲うかもしれないって?」
「俺だってアイツのことを疑いたくはない。むしろ、信用したから今回のことも許可したんだ。だが、つがいってのが発表された通りなら、そんな簡単に考えていい話じゃねェ。もし、それが俺の憶測通り解けない結びつきだとしたら……」
「先生の言いたいことは分かるよ。つがいって言うのが、危険なものだっていうのも分かる。でも、オレは、アダムはそんなことしないと思うよ、……きっと」
「アイツは優しいからってか?」
「ううん、それもあるけど、そうじゃなくて……、アダムにはたぶん、」
テイルラは苦しそうに言葉を続ける。ようやく吐き出した一言を、リヒテルヴェニアは肯定も否定もしなかった。ただ、ベッドの上で身を丸めるテイルラの瞳には、暗い煢然とした色が窺えた。そんなテイルラの垂れた耳を、リヒテルヴェニアはただ黙って撫でていた。
ともだちにシェアしよう!