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第32話

 日が傾き、焼けた色が町を覆う時刻。診療所から帰ってきたテイルラは、朝と比較すると顔色こそ良くなっていたものの、いつものような明るい笑顔は鳴りを潜め、俯きがちにフブキの隣に立っていた。フブキいわく、疲労による発熱だろうから心配することはないが、今日一日は安静にして落ち着ける空間で寝かせるように、とのことだったらしい。アダマスはひとまず大事にならなかったことに安堵しつつ、テイルラが不在の間に部屋を移したことを説明することにした。  テイルラに与えた一等客室は、ペルナが寝泊まりすることになり部屋に置いていた荷物は持ちだした。当初は代わりに別の客室を与えようかと考えたが、別室にテイルラを一人きりにしてもしペルナと鉢合わせでもしたら、何をされるか分かったものではない。客室の類は二階にまとまっており、そこにテイルラを置いた場合、アダマスの自室よりもペルナの部屋の方が距離的に近くなってしまう。そこでアダマスはテイルラを自室に泊めることに決めた。  テイルラが混血種であるとペルナに知られていたならいざ知らず、ただのスカーレットだと考えているペルナがわざわざアダマスの部屋まで会いに来ることは考えにくかった。さらに、アダマスの寝室に行くにはまず執務室を通る必要がある。アダマスは普段はそこで仕事をしているため、知らぬ間に立ち入られることはまずない。壁一枚隔てることにはなるが、すぐそばで守ることもできる。テイルラも、アダマスの部屋のベッドは気に入っている様子だったため、そこでなら大人しく眠っていてくれるだろうと、そう考えた末の決断だった。  何か文句の一つでも言われるかと思っていたが、アダマスの予想に反してテイルラは静かに「分かった」と素直に頷いた。そうしてテイルラは不安そうに眉根を下げたまま屋敷内を見渡した。 「あの、それで……」 「ペルナは今町を見て回っている」 「そうか……、あれ、さっきはよく見えなかったけど本当にお前の弟なんだよな」 「あぁ、同じ父母から産まれた正式な兄弟だ」 「なら、一緒にいたのは……」 「俺も初めて見る顔だったが、あれはペルナの従者だ。俺がこっちに来てから雇った新入りか何かだろう」  テイルラの瞳は僅かに怯えているようにも見えた。無理もないだろう。ペルナの心無い言葉を聞いてしまったのだから無理もないだろう。  テイルラはそれきり「まだ気分が悪いから部屋で寝とく」とだけ残し、フブキに付き添われながら三階へと消えていった。二人の足音が完全に消えてから、アダマスは幾度めかの嘆息をつく。  テイルラは、リヒテルヴェニアから同じ話を聞いたのだろうか。「つがい」というものを知ったのだろうか。考える必要もなかった。恐らくテイルラは、その情報を聞かされただろう。テイルラはスカーレットであり、当事者である。つがいというものを知らずにいることの不利益が余りにも大きすぎる。過保護と言えるくらいにテイルラを心配しているリヒテルヴェニアが話さないはずがなかった。  ——テイルラはどう感じたのだろう。何を思ったのだろう。  答えのない問いをアダマスは繰り返す。同時に過るのは、ペルナの言葉。「クリスをつがいにして子を産ませろ」。アダマスは頷くことができなかった。「つがい」という関係。それを理解した瞬間、アダマスの心に浮かんだ相手は、クリスではなかったから。  悶々とした煮え切らない感情を抱えたまま、アダマスは一日を過ごす。日が暮れる前に帰宅したペルナと共に夕食を取り、その後サロンで仕事の話をする最中も、ずっとアダマスの脳内をその感情は渦巻いていた。  答えが聞きたい。せめて話がしたい。  そんな状態で仕事の話に集中することなどできるはずもなく、ペルナとの打ち合わせを「眠い」と嘘を吐き早々に切り上げ、アダマスは自室へと急ぐ。三階まで上がると執務室を抜け寝室へと向かう。眠っているだろうかと、音を立てないように扉を開く。灯りのない寝室は薄暗く、ベッドの様子までは見えなかった。アダマスは足音を殺しつつ、ベッドへと向かう。だが、そのベッドの様子が見える位置まで近づいた瞬間、アダマスはすぐさま踵を返し、部屋を飛び出す。  月明りが差したベッドの上は、もぬけの殻となっていた。

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