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第35話

「花、踏むなよ」  短く一言だけ告げて、テイルラは器用に花を避けつつ、花畑を進んでいく。アダマスもテイルラの踏んだ位置を見つつ、その足跡を追うようにして先へと進む。それでもまるでどこを通れるか知っているように本能で進んでいくテイルラには追いつけず、アダマスは何度も花を踏みかけては足を浮かせてを繰り返してもたついていた。そうしている間にも先に進んでいったテイルラは、いつの間にか墓標の前までたどり着いていた。テイルラはそこで膝をつき、ここまで持ってきた花束をそっと置く。 「……ごめんなさい、最近毎日来れてなくて」  ようやっとテイルラの元までたどり着いたアダマスの耳に、そんな言葉の端切れが届く。近づいて改めて見てみると、墓標は手作りの粗末なものだった。寄せ集めの木材で作った不器用な十字架。その木板には、ぎこちなく名前が刻まれている。  きっと、その名を知らなかったら読めなかったであろう不安定な文字。アダマスはその名を読み解けた。墓標に刻まれた名前、埋葬されている人物の名、それは。  ——アストラ・ベルスーズ。  ログハウスを見つけた時から、心の隅で察していた。テイルラがあんな獣道を迷うことなく進むことができたのは、そういうことだろう。墓標の前には枯れた花が幾つも並んでいた。 「……そういうことなら、俺も花を用意したというのに」 「ふふ、そう言ってくれるだけで母さんは喜んでるよ」  柔らかい笑みを浮かべたテイルラは、墓標の前で腰を下ろすと肺いっぱいに空気を吸い込む。ここまでそれなりの距離があったというのに、テイルラの表情は晴れやかだった。 「ここにいると、とっても気分がいいんだ。昔から具合悪い時はよく母さんがここに連れてきてくれてさ、少しここでお昼寝しただけですっかり元気になれた。この花、薬草の一種らしくてさ、風邪拗らせた時にはこの花でお粥作ってくれたりしてた。……母さんも、この花が好きだったからさ。せめて死んだ後くらい、好きなものといっしょにいて欲しいなって思って、ここに埋葬したんだ」 「お前が、か」 「うん。オレと母さんだけの、秘密の場所。先生にもまだ教えてないんだ」 「そんな場所に、俺を連れて来てよかったのか?」 「……アダムなら、良いかなぁって。それに、オレここくらいしか誰にも話を聞かれない場所知らなくてさ」  テイルラは横目でアダマスを見上げると、くいくいと手招きをした。隣に座れということだろうと受け取り、アダマスはテイルラの隣に腰を下ろす。眼前に広がる花畑を見つめるテイルラの瞳の空が映る。元の夜空と混ざり、瞳の中で青色のグラデーションが描かれているようだった。その美しい瞳を穏やかに揺らしつつ、テイルラはゆっくりと語り出す。 「母さんは、貴族に捨てられたんだ。……オレのせいで」 「……、」 「オレの父さんは、貴族だった。それも良いトコの貴族サマ。丁稚奉公、って言うのかな。母さんは今のオレよりも若い頃からそこで働いてて、父さんとも、そのお屋敷で出会ったらしい。父さんは身分の違いなんて、気にしない人だったんだって。二人は異種族だったから、子は産めないけど、それでも一緒にいようって、誓いあってた。……それなのに、オレの命が宿ってしまった。父さんは、母さんにお屋敷を離れて、オレが生きやすい場所で三人で暮らそうって言って、密かに隠れ家を作った。そうして、その間に生まれたオレと、父さんに預かった多少のお金を持って、母さんは先にここに行くように言われて、こんな暗い森の中に来た。でも、でもな? いくら待っても、父さんは追いかけて来なかった」 「…………テイルラ、」 「オレが産まれてきたせいで、母さんは父さんに捨てられたんだ。家とお金をくれたのは情けのつもりだったのかな。でも母さんは、オレを寝かしつけた後によく泣いてたよ。きっと、オレのことが憎かった。オレさえ産まれてこなければ、正式に婚姻はできないかもしれないけど、それでも幸せに生きていたかもしれない。それなのに……、皮肉だよな。すぐ死ぬはずのオレが未だに生きてて、母さんはもういないんだ。それも、オレのせい。父さんからもらったお金は、病気しがちなオレと共に生きるには少なすぎた。母さんは遠いお屋敷まで働きに行って、たった一人でオレの世話をして、高い薬を買って、それで無理して病気になって……、死んだんだ」 「テイルラ、」 「母さんは最期まで父さんを信じてたよ。いつかここに来てくれる、だからここで待ってなさいってさ。……そんなはずないのに。貴族なんて、そんな生き物なのに。母さんも、父さんと同じようにオレなんかここに捨ててしまえば良かったのにな。そうすれば、小さい頃のオレだったら三日も経たずに死んでたよ」 「テイルラ!」  夜空の瞳から、音もなく滴が降る。無感情な瞳から落ちた滴は、頬を濡らし、地面へと落ちていく。見ていられなかった。聞いていられなかった。強く名を呼ぶと、テイルラは身を倒してアダマスに寄り掛かり、ついにその表情を歪めた。 「……ごめん、ごめんな。アダムには悪いけど、オレはやっぱり貴族が嫌いだ。アダムが嫌いだって言いたいわけじゃないよ。アダムは、オレが思ってた貴族とは、少し違ってた。でもお前もきっと父さんと同じだ。オレを屋敷に連れ込んだのって家のためなんだろう? オレに優しくしてくれるのも、家のためなんだろ? 貴族なんてみんなそうだ。目先の愛よりも、家の方が大事なんだ。邪魔になったら切り捨てるんだ。そうやってみんなオレのせいにして、逃げるんだ」 「……俺はそんなつもりは、」 「やめろよ、何も言わないでよ……! そんな風に思わせてよ、だって、そうじゃないなら、貴族のせいじゃないなら……、オレのせいになっちゃうじゃん……」  弱弱しく消え入りそうな声に嗚咽が混じっていく。涙はあとからあとから伝い、それを見られまいと顔を埋めるテイルラを、アダマスはそっと抱き締める。何も言えなかった。何を言えばいいか、分からなかった。  アダマスが言わずとも、テイルラは自分で理解している。貴族が全員そうではないと、分かっている。だがそれを認めてしまうと、それは同時に「混血種である自分が産まれてきてしまったせいで、切り捨てざるを得なかった」と、「混血種である自分がいたせいで母親を死なせた」と認めることになってしまう。テイルラにとって、それがどれほど苦しいことか。そうするくらいなら、間違っていると分かっていても、全てを貴族のせいにして自分を守るしかなかったのだ。 「……俺もお前と同じだ」 「へ?」 「俺も、貴族が嫌いだ。貴族である自分が嫌いだ」 「……アダム……?」  細く、冷たい風が吹き抜けていく。ただ、腕の中にいるテイルラだけが、アダマスに温もりを与えてくれた。キョトンとしているテイルラを、アダマスはただきつく抱きしめる。腕の中にいるテイルラに、黙り込んだアダマスの表情は見えない。  テイルラが自分を責める気持ちも、それに耐え切れず逃げてしまう気持ちも、分かるから。だからこそ、「分かる」なんて安易に同調する言葉を出せなかった。  不要な記憶から、忘れてしまえればいいのに。   そんな都合の良い願いは届かない。忘れたいことほどより根深く、記憶を巣食い続けるのだ。  瞼の裏に残る赤は、今日も消えない。

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