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第41話

 誰にも渡さない。誰かに渡すくらいなら、誰かに奪われるくらいなら、その前に。奪わなければ。  白に包まって眠るテイルラの瞼が閉じていることを視認し、アダマスはサイドテーブルを向く。そこにはテイルラが起き次第すぐに薬を服用できるよう、アーティが選別した薬と水が常備されており、食欲があれば食事もできるようにバスケットにいくつかパンを入れ麻布をかけて置いていた。アダマスは黙って小瓶のコルクを抜き、コップの縁で小瓶を傾ける。トン、と人差し指で軽く揺らすと、細かな粉末が雪のように舞う。水面に落ちた粉末は溶け、傍目には薬が盛られているとは分からない。後は、テイルラにこれを飲ませれば。 「アダム」 「ッ!?」  危うく小瓶を取り落としかけたアダマスは、咄嗟にそれを手のひらで包み込む。声が聞こえた方を咄嗟に見てみれば、暗闇の中に星空が映った。その目は、はっきりとこちらを見据えている。先ほどの声色からしても、テイルラが寝ぼけている様子はない。 「いつから、起きていた」 「雨が降り出したくらいかな」  やけに淡々とした声が冷たく刺さる。テイルラの瞳が宿した感情が読めない。どうにかして誤魔化さなければ。そしてこれを飲ませて、テイルラを奪わなければ。せっかく目を覚ましたのだから、今無理矢理にでも飲ませてしまえば。 「何入れたんだ?」 「……薬だ」 「なんの?」 「そこまでは知らん。お前今日はまだ何も飲んでいないだろう。だから纏めて服用できるよう溶かしただけだ。起きたのならさっさと飲め」 「やだよ。オレの薬苦いんだよ? そんなことしたら水まで全部苦くなっちゃうじゃん。もう一杯持って来て」 「贅沢言うな、……勝手に溶かしたことは謝る。これを飲みきったら注いで来てやるから」 「どうせ注いでくるなら先に持って来てくれてもいいだろ」 「いいから先にこっちを、」 「なぁアダム」  まるで見透かしているようにのらりくらりと言葉巧みに躱しなかなか頷かないテイルラに、アダマスは段々と早口になってしまう。早く体を起こせ。薬に手を伸ばせ。この水を口に含ませろ。そうやって捲くし立てそうになる切迫感を、ギリギリのところで抑え込む。  そんなアダマスと正反対に、妙に冷静なテイルラの声がアダマスの鼓膜を揺らす。 「何を入れた?」  あぁ、もう。テイルラは理解している。水に混ぜたものが、ただの薬ではないことを。まるで尋問でもされているようだ。  テイルラの瞳に宿る感情。それが不信だと、アダマスはようやく悟る。テイルラが自らこの水を飲むことはない。アダマスはテイルラの問いには答えず、手の中に隠していた小瓶をサイドテーブルに置く。テイルラの視線はその小瓶へと向かっていた。代わりにアダマスはコップを持ち上げる。アダマスはその水を、自らの口に含む。 「な、アダ……、え、——ッんん!」  アダマスは口内の水分を飲み込むことはせず、そのままベッドの上のテイルラに口付ける。顎に指をかけ強引に口を開かせ、その熱い口内へと薬の溶けた水を流し込む。暴れるテイルラを押さえ、その喉が上下するのを指先で確認する。それから口を離すと、テイルラは息苦しさからか噎せ返りながらギラリと鋭い視線をアダマスへと突き刺した。 「何を盛った!」 「睨むな。直に気分が良くなるはずだ。発情期のスカーレットは感じやすいと聞くしな」 「っ、強制発情薬……勝手なことしやがって……!」  テイルラはギリと強く歯を噛み締める。薬が効きだすまでどれほど時間がかかるのかは分からないが、その前から先に抱いておくのも悪くない。効果が出始めればすぐに分かるだろう。アダマスはスルリとテイルラの頬を撫でる。ベッドに散らばった柔らかい毛先を弄りつつ、テイルラへと笑みを向ける。 「ペルナに何を唆されたのか知らないが、なに、不安がることはない。テイルラ、お前は俺のものだ」 「…………る、な」 「うなじ、だったな。……なぁテイルラ、俺のつがいになれ」  指先でテイルラの首筋を優しく撫でる。ここを噛めばいいはずだ。たったそれだけで、この混血のスカーレットはアダマスのものになる。もうすぐ、この身体はただアダマスのためだけに甘い蜜を孕むようになる。アイツに、ペルナになど、絶対に渡さない。  アダマスはテイルラに乗り上げ、その白いうなじに舌を這わそうと口を寄せる。 「ふざけるなッ!」 「ぐッ!」  テイルラの怒声が響くのと同時に、アダマスは腹部に強い衝撃を感じ呻きながら身を引く。それはテイルラが両足で思い切り腹を蹴ったことによる痛みだった。胃の中身が込み上げるのを感じる。片方の足を鳩尾に受けてしまったようで、意識がぐらつく。 「誰がお前みたいな自分勝手なやつのつがいになんてなってやるか!」 「テイ、ル……ラ、」  啖呵を切ったテイルラはベッドから足を下ろしふらふらと立ち上がる。その表情は苦しげに歪んでおり、歩みもたどたどしかった。当然だ、あの足で歩けるはずがない。蹴ることにすら相当の痛みがあったはずだ。それでもテイルラは立ち止まらず、強引に足を引きずりつつ、寝室の扉に指をかける。 「もう、二度とオレに顔を見せるな」  最後僅かに振り返ったテイルラは、ただそれだけ残して去っていく。追いかけようにも吐き気が酷く、足元もおぼつかず勝手に膝が折れてしまう。 「テイルラ……」  もう、何度呼んでも返事が返ることはない。それならばいっそ、這いあがれないほどの深淵まで突き落としてくれればいいものを。  去り際のテイルラの瞳から零れ落ちたものが、頭から離れない。どこで間違えたのだろう。何が正しかったのだろう。アダマスは強く唇を噛む。  静寂に包まれた室内に響くのは、荒れ狂う豪雨が窓を叩く音。一人取り残されたアダマスに、答えを与える人物はなかった。

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