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第43話
「ふ、はは……ンだよ、それ。そんな風に見えるとかお前の目は節穴かよ」
「……ならば、すでにそういう仲なのか」
「ちげェよ、阿保か。……仕方ねぇ、愚鈍な貴族サマにも分かるように教えてやるよ」
リヒテルヴェニアはまるで長年肺の奥に溜めこんでいた重いものを吐き出すように、深く息を吐き出す。そうして真っ直ぐにアダマスと視線を合わせた。その瞳に、アダマスは小さな既視感を覚える。どこかで、見たことがあるような。
「確かに、俺はテイルラのことをただの患者だとは思ってねェ。テイルラは、……家族だ」
「家族……? どういう意味だ」
「黙って聞いてろよ。……俺はな、養子なんだ。六人きょうだいの末っ子でな、五つの時に養子に、ってか、まァ、悪く言えば売られたんだよ。一番手のかかる末弟だったからな、最善の選択だ。そうして俺は、養子になった日に名前を変えたのさ」
窓から射し込む太陽の光が、リヒテルヴェニアの瞳を照らす。淡く光るスカイブルーの瞳。アダマスはそこに、星を見た。
「俺の本当の名前は、ルナリア・ベルスーズ。テイルラは俺の、甥だ」
「甥、だと? テイルラはそんなこと一言も……」
「そりゃそうだろ。テイルラは俺が叔父だなんて知らねェからな」
「は、ぁ?」
「この町でアストラと再会したのは本当に偶然だった。ある日突然開設したての診療所に飛び込んできて混血の子どもを何も言わずに診て欲しいと言った女を、俺は一目で実の姉だと気付いたさ。だけどな、実の弟と言えど、五才で別れ十数年経て別人のようになった男が自分の弟だなんて、アストラは気付かなかった。……ただ他人のように『先生』と呼ぶアストラを、俺は昔のようには呼べなかった。……でもまァ、それはいンだよ。アストラは俺を弟だと知らないまま死んでいった。だからこそ、アストラは自分の他に混血児の存在を知る唯一の『先生』に最期の願いを託した」
リヒテルヴェニアの強い瞳がアダマスの胸に突き刺さる。あぁ、確かに、テイルラの瞳によく似ている。固い意志を、覚悟を宿した瞳。そこには確固たる強さと同時に、僅かな寂しさを隠していた。そんなところまでテイルラと同じだ。逸らしたいのに、逃れたいのに、目を逸らせない。
「俺は、姉さんを救えなかった。だから俺が姉さんに代わってテイルラを守る。例えアイツに嫌われようが、アイツを庇って傷つこうが構わねェ。もし、お前が軽い気持ちでテイルラを噛もうというのなら、俺はどんな手段を使ってでも、お前からテイルラを守る。『先生』として守り抜く。それが、姉さんの最期の願いだ」
一切の曇りのない、凛とした力強い声はアダマスの中に深く沁み込んだ。リヒテルヴェニアの迷いない言葉に、アダマスは思わず歯を食いしばる。あの日の自分がどれだけ浅慮だったかまざまざと思い知らされる。アダマスにはこれほどの覚悟はなかった。今リヒテルヴェニアに何も言い返せないのがその証拠だ。一時の感情に、己の弱さに惑わされただけ。テイルラを本気でつがいにする覚悟があったなら、あんな手段を用いたりしなかった。今日まで後悔するようなことはなかった。忸怩たる思いを噛み締めつつ、アダマスはついに目を閉じ俯く。
「だったら、なぜお前は俺にテイルラを紹介するような真似をした。俺のようなものを近付けたくはないはずだろう。あの時適当言って俺とテイルラを引き離すこともできたはずだ」
「そうだな、俺も最初はそんなつもりなかったさ。そもそも、俺がお前の治療を引き受けたのはお前を利用するためだった。無尽蔵に作られるテイルラのフェロモンの抑制剤を作るために、スカーレットに無反応だとかいうお前は良い生体資料だったからな。検査つって採取した検体を用いてアーティと薬を作るだけのつもりだった。……だけどな、テイルラはお前がミラビリスに来てから変わった」
「……俺が?」
「よく覚えてるよ。あの花屋が開店した日のことだ。アイツは息切らして大慌てでうちに飛び込んできて、『胸がどきどきしてフェロモンが止まらない』、なんて言ったのさ。すぐに気付いたよ。テイルラは、……お前に惹かれたんだ」
——惹かれた?
リヒテルヴェニアの言葉の意味を瞬時に理解できず、アダマスは言葉を失う。それなら、まさかテイルラは。蓋をしていたはずの記憶が溢れ出す。時間してみれば一ヶ月にも満たない僅かな期間だったのかもしれない。それでも記憶の中のテイルラはアダマスに様々な表情を見せていた。好奇心に満ちた光る瞳を、花が綻ぶような柔らかい笑顔を、幼い少年のような寝顔を、熱を飲んだ赤い頬を。そんなテイルラが最後に見せた、あの涙の意味。
「テイルラは母親を亡くしてからずっと、死んだように呼吸をしていた。生きている理由を見いだせず、ただ死んでいないだけの人形のようだった。そんなアイツが、息をふきかえしたんだ。……なぁ、お前はテイルラをどう思ってる? このまま終わりにしていいって本気で思ってるのか? お前は、何から逃げてるんだ?」
「そんなこと、俺には、」
「分からない? 違うな。アダマス、検査の結果お前の体にはどこも異常はなかった。つまり、お前がテイルラに出会うまで生殖能力がなかったのは精神的なものだ。それだけの心の傷、忘れてはいないだろ。本当はお前自身で分かってるはずだ」
敵わないな、とアダマスは密やかに呟く。リヒテルヴェニアの言葉は、これまでアダマスが耳を塞いできた自分の声と同じ台詞だった。
ずっと、逃げ続けていた答え。何故自分は勃起不全だったのか。何故、他者に性的な魅力を見出だせなかったのか。その理由を、アダマスは知っている。
視線を伏せ、机に向けた指先は最上部の引き出しにかけられる。開かれたそこには未開封のままの血塗れの手紙が置かれていた。
「もう、二十年は前の話だ。幼い頃、俺には兎の獣族の教育係がいた。獣族ながら勉学に長けたその人は、読み書きのみならず芸術にまで精通していた。性格も貴族らしからぬ明るさで周りに慕われる、幼い俺の憧れの男だった。……だが、その人は俺のせいで、俺の目の前で、死んだ」
息をついて、椅子から立ち上がる。見上げた先の空を、名も知らぬ鳥が横切った。
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