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第48話

「夢のなかで、母さんに会ったんだ」 「……そうか」 「それでさ、母さんは知らない獣族といっしょだった。そしてオレに『まだ来ないで』って、そう言ったんだ。……オレ、母さんが死んでからずっと、早く死にたいって、そう思ってた。ずっとここで生きてたオレには、母さんしかいなかったから。早く母さんに会いたかった。だけど、自分で死んだりしたら母さんと同じところには行けないって思ったから、自然に死ぬのを待ってた。だって、オレは混血だから。普通に生きてるだけで、勝手にすぐ死ねるって思ってた。お前、前に言ったよな。外に出ないで引き籠ってた方が安全なんじゃないのか、って。……オレはね、いつ死んでも良かった。死ぬことが怖くなかった。どうせいつか死ぬのに変わりないなら、どうかその時が早めに来ますようにって、そう願ってた。だけど、どうせ生まれてきたのなら、少しくらいただの人間として生きてみたかった。皮肉な話だよな、それなのに、オレはなかなか死ねなくて、オレよりも健康だった母さんが、先に病気になって死んだんだ。……でも、そっか、そうだよな。生きてる内も邪魔だったんだから、オレなんかがあっちに行ったら邪魔だよな、だから、母さんは」 「それは、違うな」  黙ってテイルラの話を聞いていたアダマスは、ついにそれを遮った。テイルラがこれまでどう感じて生きてきたか。それは変えられない。しかし、これからどう思って生きていくかは変えられるはずだ。  アダマスは懐から一枚の汚れた羊皮紙を取り出す。それは朝から持ち歩いていた、あの血塗れの手紙だった。星のない夜空を向けるテイルラにその手紙を差し出すとテイルラは首を傾げる。 「字は読めたな。半分は俺宛だが、もう半分はお前ら宛だ」 「お前、ら?」  テイルラは手に取った手紙に視線を向ける。今にして思えば、テイルラが字を読むことができたのは、つまりそういうことだったのだ。テイルラは恐らく、母親から文字を教わった。その母親に文字を教えたのは、きっと。  テイルラが開いた手紙を、アダマスも上から覗き見る。達筆な文字は、間違いなくあの人のものだ。 〈聡明な教え子、アダマス。どうかこの手紙がお前の手に渡らないことを願う。だが、もしお前がこの手紙を読むことになってしまっていたとしたら、どうか己を責めないで欲しい。そしてどうか己の家族を、周囲の人々を責めないで欲しい。おれを殺すのは、社会であり、世相だ。恨むのなら、世界を恨め、そして世界を変えろ。アダマス、お前はおれがこれまで見てきた中で最も聡明な子だった。きっと、お前には真実を見抜く目がある。己を信じろ、前を向け。そうすれば、お前の瞳は国すら動かす。そして、どうか。  こんなこと、お前に託すべきでないと分かっている。だが、もうお前しかいない。どうか、おれが愛した二人が、幸せに生きることができる世界を作ってくれ。そしていつか、この言葉を届けて欲しい。おれは最期の時まで二人を愛していたと、ただ幸せであってくれと、願っていたと、どうか伝えて欲しい。最愛の妻、アストラ・ベルスーズと、数えるほどしか抱いてやれなかったおれに似ていない愛らしい耳と尾を持った息子、テイルラに。おれはどんな姿になってでも、ずっと見守っているからと、そう伝えて欲しい。我が儘な教師で、すまない〉  頬を伝った滴が、テイルラの真下に咲くミラビリスの花弁を濡らす。滴は次から次へと伝い、テイルラの双肩はわなわなと震えていた。その肩に手を置くと、涙で顔を真っ赤にしたテイルラが振り返る。声をあげて泣けばいいものを、やはり下手な泣き方をするものだ。 「こんなに遅くなってしまって、すまなかった」 「っ、ぅ、うぅ……」 「なぁ、テイルラ。俺はきっとお前の母親も同じ気持ちだったのだと思う。最期の時までお前を愛し、幸せを願っていたと、そう思う。だからもう死にたかったなんて言うな、俺がいくらでもお前の生きる意味になってやる」 「……でも、おまえ、許嫁がいるって」 「……それで不安になったのなら、謝ろう。しっかり否定するべきだった。確かに俺にはクリスという許嫁がいた。だが、俺は何年かけてもアイツに惚れることはできなかった。俺が生涯で思いを寄せたのは、たった一人」  膝を折り、テイルラの高さを視線を合わせる。熱と涙で赤く熟れた頬を撫で、髪を梳き、耳を撫でる。そして、テイルラの額に口づける。 「お前だ、テイルラ」 「お、れ……」  瞬きの度に、大きな星屑が落ちていく。月の光を浴びて輝く涙は、酷く美しい。まるで宝石のようなそれを、アダマスは指先で受け止める。今にも壊れてしまいそうな儚さは、アダマスの心を惹きつけてやまない。今なら、すべて認められる。これが本当の恋で、愛なのだと。 「……オレも、さ、アダムのことが、好きだった。好きに、なっちゃった。死ぬために生きてたのに、いつの間にかお前に会うために生きるようになってた。でも、オレは混血種だから、好きになったって、そんなのどうせ叶わないって分かってたから、だから、七日だけって制限で、お前と恋人ごっこをしようって、それで終わりにしようって、そう思って」 「それは少し違うな」 「あ、え?」 「お前、自分で言ったろ。混血種を、スカーレットを言い訳にするなと。お前が俺を悉く茶化したりおちょくったり、デートだなんだと言って付き纏う割に、いざ恋人のように優しくすると怯えたのはお前が、愛されることを恐れたからだ。父と母にそうされたと思い込んでいるように、見捨てられることを恐れて逃げたからだ」  テイルラの瞳が見開かれる。それを指摘できるのは、ずっとアダマスも同じことをしてきたから。愛してしまうことを恐れ、失うことを恐れて逃げた。本当は誰よりも愛していたのに。 「少し、回り道をし過ぎたが……、俺は覚悟した。お前を愛する覚悟だ。だから、お前も逃げるな。愛されることから、生きることから逃げるな、テイルラ」  それは、ほとんど懇願に近かった。どれだけアダマスが愛したところで、テイルラがそれを受け止めてくれなければそれは届いていないも同然である。  テイルラは黙って一度目を閉ざし、静かに熱い息を吐き出す。そうして再び瞳を開いた時、テイルラはぐっとアダマスに思いきり身を寄せた。同時にテイルラはくっと目を細め、笑う。 「なら誠意を見せろよ」  そう囁いて月を背負うテイルラは、花の香を纏っていた。

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