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第33話 そして二人は
「先輩、僕もうとっくに元気です! 一人でトイレくらいいけます!」
王城にマコトの叫びが響き渡った。
あれから一週間。
マコトは王城の一室で手厚い看護を受けながら、療養していた。
マコトを看護してくれているのは、侍医やメイドさん、それから……フェリックスだ。
「トイレに行く途中で倒れるかもしれないし、それにトイレの中で倒れたらもっと大変だ」
フェリックスはマコトをお姫様抱っこしながら言った。
フェリックスはそんなことを言うが、この一週間でマコトの体調はすっかり万全になっていた。
解毒剤がよく効いてくれたのと、ペンダントのエメラルドの助けがあったおかげだ。
なのに、彼はマコトのことを心配しすぎるあまりいつまで経ってもマコトを病人扱いするのだった。
結局お姫様抱っこでトイレまで運ばれ、用を足すことになってしまった。
「もう、一人で大丈夫って言ったじゃないですか!」
トイレから寝室に戻るときも、もちろんお姫様抱っこだった。
途中でメイドさんに見られ、「まあ仲がよろしいのですね」とクスクス微笑まれて恥ずかしかった。
寝室に戻ったマコトは、ベッドに寝かせられ上体を起こした体勢で恥ずかしさの原因であるフェリックスを睨みつけた。
「そうは言っても、もし毒が抜けきっていなかったら……」
「抜けきってます! お医者さまもそう診断してくださったでしょう!」
「でも、体力が戻ってなかったら……」
「戻ってます! お医者さまのお墨付きもいただきました!」
マコトは腕を曲げ、力こぶを作ってみせる。
かすかに筋肉が盛り上がった。
「だから、そろそろ説明してください! 僕はなぜ殺されかけたのかとか、全部のことを」
「説明はマコトの体力が戻ってから」とお預けにされ続けて早一週間。
いろいろなことを知りたくて、もう我慢の限界だった。
「そうか……そうだよな。どこから説明したものかな」
彼も覚悟を決めてくれたのか、マコトの視線を正面から受け止めてくれた。
「まず、オレは王族として認められた。この城でオレはフェリックス殿下と呼ばれている。マコトのために騎士団を出動させるには、必要なことだった」
「はい、よかったです」
マコトが王城で世話してもらっていることからもそうだろうと思っていたが、やはり。彼のために喜びの感情が湧き出てくるのを感じた。
「それから、財務大臣についてだな。財務大臣はいつも遅効性の毒を盛り続けることで、邪魔者を始末してきた。兄さんによると、前々からそういう疑いがあったらしい。今回やっとその証拠を掴むことができて、奴を捕らえられた。だから解毒剤も用意できたんだ」
「邪魔……? 僕が?」
「オレを王族にさせて、かつ兄さんを暗殺しようとしていたんだ。そうすれば王になってオレを操れると思っていたらしい。愚かだよな、オレが大臣の案を邪魔し続けていた張本人とも知らずに」
想像よりもずっと大きな話に、目眩がしそうになる。
いつの間にかそんなに大きな暗躍に巻き込まれ、殺されかけていただなんて。
「オレが贈ったエメラルドが、マコトの命を繋ぎ続けてくれていたんだよ」
「このエメラルドが?」
マコトは、胸元のペンダントを見下ろした。
いまでは、エメラルドは光り輝いたりせず普通の宝石と同じように見える。
「カーバンクルの宝石にはいくつか不思議な力があって、エメラルドは解毒の力を有しているんだ。そのエメラルドが、マコトを守ってくれたんだよ」
「このエメラルドが……」
マコトが病床に臥せっている間光り輝いていたのは、解毒の効能を発揮していたくれていたからだったのだろう。
「傍にいない間も、先輩が僕を守ってくれていたんですね」
「守っていたのはそのエメラルドさ。いつぞやのカーバンクルが、こうなるってわかっていたのかもな」
「でも、これをプレゼントしてくれたのは先輩です。僕にとっては、先輩が守ってくれたんです」
胸元のペンダントを、大事に握り締めた。
「そうか。マコトに愛されてるって実感するな」
気恥ずかしそうな呟きに、マコトまで顔が赤くなる。
でも彼を愛しているのは純然たる事実だ。否定するようなことは、何もない。
いや。
けれども自分は、一度彼を捨ててしまった。
あの男にそそのかされてとはいえ、彼の元を離れることを一度選んでしまった人間だ。
そんな自分が、どうして彼を愛しているなんて言えようか。
「どうしたんだ、マコト?」
気の沈みが顔に出ていたのか、彼が尋ねる。
「僕は……アイツにそそのかされて、言われるがままに手紙を書いて、先輩の元を離れてしまいました。先輩のことを愛しているなんて言う資格、ないのかもしれません」
俯き、ベッドのシーツを握り締めた。
「それはマコトのせいじゃない」
「違います、僕の責任なんです……!」
なんと言われようと、奴の言葉に乗ってしまったのは自分だ。
従うと決めてしまったのは僕なのだ、とマコトは自分を責めた。
「そうじゃない。マコトが奴の言葉に従ってしまったのは、ワケがあるんだ」
「へ……?」
やけに確信に満ちた彼の声に、マコトは顔を上げた。
「これを見てくれ」
彼は懐から、一つの懐中時計を取り出した。
見覚えのある懐中時計だ。確か、財務大臣が持っていたものだ。
「この懐中時計の蓋に刻まれた紋様に見覚えがないか? 感情を増幅させる魔術がこの懐中時計に刻まれていたんだ」
「あ……」
はっきりと思い出した。
この紋様は中古宝飾店で、店の主人に勧められたペンダントに刻まれていた紋様と同じなのだ。
財務大臣がこの懐中時計を取り出して左右に振ったとき、自分の中で罪悪感が何倍にも膨れ上がっていったように感じた。
これが原因だったのだ。
「奴はこれを使って、マコトの思考を誘導したんだ。だから、マコトは悪くない」
「そんな……」
感情を操作されていただなんて。
恐ろしさに震え上がった。
「でも、一欠片でも僕の中に『先輩と離れた方がいいんじゃないか』という思いがあって、それを利用されてしまったのは事実です。それでも先輩は、僕を傍に置いてくれるんですか……?」
見捨てられてもおかしくないことをしたのだ。
罪を自覚しながらも、それでも彼に受け入れてほしいと願ってしまう。
「そのことなんだが、マコトに話がある」
「はい……?」
改まった調子の言葉に、不安が胸を劈く。
「やはり別れよう」と彼は口にするつもりなのだろうか。
「えーと、これは仮の物で後でサイズとかデザインは一緒に決めようと思うんだけど……」
と、彼は懐から小さな小箱を取り出した。
ペンダントが入っていたのと似たような小さな小さな箱だ。
彼は小箱をマコトの目の前で開けた。箱の中には、銀色の指輪が入っていた。
「これって……」
「婚約指輪だ」
別れを告げられると思っていたのに。
その逆だった。
あまりのことに、ワケも分からず涙がはらはらと零れ落ちる。
「正式に王族の伴侶になった方が、マコトを守りやすい。これからは絶対にマコトを危ない目に遭わせないと誓うから、婚約を受けてくれるか……?」
「でも、王族なら由緒正しい血筋の女性を娶る必要があるんじゃないですか……? その、後継ぎとか……」
「いや、そんなことをしたら玉座を狙っているつもりがあるように思われるだろう。王族として認められはしたけれど、オレは絶対に兄さんの居場所を奪うつもりはない。だから後継ぎなんてどうでもいいんだ」
マコトの心配を一蹴して、彼はマコトだけを見つめてくれる。
「オレもマコトに話さなきゃならないことがある。マコトからの置手紙を見たとき、オレは本気でマコトに見捨てられたんだと思ってしまった。考えを改めることができたのは、カインのおかげなんだ。それでも……この指輪を受け取ってくれるか?」
彼の口にしたことを、よくよく考えてみる。
彼はマコトの愛を信じ続けてくれたわけではない。疑った瞬間がある――それでも、マコトの王子様として助けにきてくれたのは彼だ。
離れたけれど、それでも一緒にいたいとお互いに思った。それが答えではないだろうか。
「はい」
マコトは涙を流したまま、左手を差し出した。
彼がそっと左手の薬指に指輪をはめた。
仮の婚約指輪は、マコトの指よりも少し大きかった。
「先輩……いえ、フェリックス。愛しています」
マコトの言葉に彼は目を見開くと、顔をくしゃくしゃにして笑った。
「オレも。心から、愛してる」
感極まったように、彼はマコトの身体を抱き締めた。
彼の体温が温かい。マコトも腕を伸ばし、抱き締め返した。
互いに唯一の存在だということを、抱擁の強さで確かめ合った。
身体を少し離すと、今度は自然に唇と唇を寄せ合う。
柔らかい唇が触れた。
角度を幾度も変え、唇を食まれる。
マコトは震えながら、唇の間から舌をわずかに突き出した。
舌に気がつくと彼は動きをピクリと止めたが、一瞬の間の後にマコトの舌を受け入れてくれた。
おずおずと口内に差し入れた舌に、彼の舌が絡む。
初めての大人のキスは、脳内がじんと甘く痺れるようだった。
絡まった舌が、優しくマコトの舌を撫でる。その感触が甘く感じられた。
気持ちいいと伝えるために、マコトも舌を動かして絡ませ合った。
心地よくて、いつまでも続けていたいと思った。
舌を交わらせるごとに、身体の奥がじんわりと熱くなっていく。
もっと、もっと。先まで進みたい。
彼の熱を体内に受け入れたい。
欲が、灯る。
不意に、彼の唇が離れていった。
「ふぇ……?」
どうして、と潤んだ瞳で彼を見上げる。
彼は恥ずかしげに顔を赤らめていた。
「これ以上キスしてると、最後までしちまいそうだから……初夜までお預けな」
恥ずかしげに囁かれた言葉に、マコトは愕然とした。
「え、初夜っていつですか……?」
「そうだなあ、王族の結婚式だからな。どんなに早くても半年はかかるだろうな」
「どんなに早くとも半年!」
しかも早くて半年だから、下手すれば一年以上かかるかもしれない。
「ひ、酷いです先輩! 僕にだって、性欲ぐらいあるんですよ! それなのに初夜までお預けだなんて、あんまりです!」
ものすごく恥ずかしいことを言ってしまっている自覚はある。
けれども、言わずにはいられなかった。
だってこちらは次のデートのときには、次のデートのときにはと楽しみにし続けてきたのだ。それを半年以上お預けだなんて!
「マコトに性欲が……ある……?」
爆弾発言を聞いた彼は、しぱしぱと目を瞬かせている。
「あ、ありますよそのくらい……! 僕だって成人男性なんですから! こんな恥ずかしいこと言わせないでください!」
顔から火が出そうなくらい熱い。
先輩の朴念仁、と内心で罵る。
「へえ、そっか……それって、オレとしたいってこと?」
「もちろんです!」
怒りのままに肯定した。
そして、気がつくと目の前に彼の顔があった。
「すごく嬉しいな」
マコトの身体はベッドに優しく押し倒された――――
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