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5日目①
5日目の朝は、煜瑾と小敏はゆっくりしていた。
もちろん、今朝と文維と一緒に朝食を摂ったが、9時からの研修最終日に向かった文維を見送って、ゆっくりと2人は出掛ける準備を始めた。
「ねえ、今日は茉莎実 さんの実家にお呼ばれするのでしょう?お土産はいらないのですか?」
今日は、上海で働く日本人で、小敏の友人で、煜瑾とは何度か一緒に仕事をしたことがある、百瀬 茉莎実の実家に行くことになっていた。
茉莎実の実家は、北山 で小さな、それでもかなり古い薫香店 をしており、そこで茉莎実の祖母が香道 の師範として教室を開いているということから、茉莎実の紹介で煜瑾たちは「聞香 」体験をさせてもらえることになったのだ。
「お土産は、茉莎実ちゃんから預かってるんだ。心配いらないってば」
小敏に言われてホッとした煜瑾だが、初めての体験を前に、期待に胸がドキドキしていた。
今日はホテルからタクシーで、茉莎実の実家である「松鶴堂 」という薫香店へと向かう。薫香店というのは、お線香や匂い袋など日本の古典的な「香り」を売る店で、今は茉莎実の祖母が切り盛りしているが、これがなかなかの老舗感がある。
「意外に、立派だった…」
小さくはあるが、きちんとした京商家の門構えをした整然とした店構えに、小敏も圧倒される。
歴史を刻んだ感じのある暖簾 をくぐると、そこはお香の匂いが立ち込めていた。
日本だけでなく、中国にもお線香などを使う文化はあるし、同じ種類の香木を用いることも多い。だが、もくもくと煙を立てることを良しとする中国とは違い、日本のお香はどこかからそこはかとなく匂いを感じることを好まれる。
「おこしやす。茉莎実お嬢さんのお友達どすな」
地味な大島の着物を着こなした上品な初老の女性が2人を出迎えた。張り付いたような笑顔を浮かべ、愛想は悪く無いのだが、どことなく冷ややかな感じがする。
茉莎実のことを「お嬢さん」と呼ぶからには、この女性は茉莎実の祖母ではない、と小敏は判断した。
「本日は、お世話になります」
丁寧な日本語で答え、小敏は深く頭を下げた。それを真似して、煜瑾も慌ててペコリとお辞儀をする。
そのお行儀の良さに、女性は満足そうに頷いた。
「奥でお待ちどすさかい…」
そう言うと、女性は先導して2人を案内した。京都らしい、奥座敷の手前にある坪庭を見せてもらい、女性の説明を小敏がひそひそと煜瑾に通訳し、静々と奥にある座敷に進んだ。
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