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第9話 旅の始まり 其の四

 香彩(かさい)は転んだ時に膝と手をついたらしく、そのままの状態でしばらくじっとしていた。  (りょう)は心配そうに香彩の顔をのぞき込み、竜紅人(りゅこうと)は半ば呆れ気味に嘆息する。  香彩が立ち上がり、衣服についた汚れを払う。  その手の、庇うような様子を竜紅人が見逃すはずもなく。 「ほら、手。見せてみろ」 「……本当に何で分かるんだろう?」  香彩が素直に両の手を開いて見せる。  石版の角で切ったのか、切傷や擦傷があり、僅かに血がにじみ出ていた。  竜紅人は自分の左手を軽くそえて、右の手の平を翳す。  きん、とした冬の澄み切った空気のような『気』の中に、感じられる癒しの暖かさが、まるで冬の日差しのようだと表現したのは香彩だっただろうか。  常人には見えない、ほのかな白い光がそっと香彩の両手を包み込む。  『神気』と呼ばれるものだ。  竜紅人にとってごくありふれたの癒しの『力』だ。  だが人々はこの『力』と『気配』を奇跡だと言い、神聖なものとして崇めて立てる。  竜紅人が手を下ろした時には、香彩の掌にあった傷はどこにも見当たらなかった。 「いつ見ても凄いって思うんだけど、竜紅人ってやっぱり真竜(しんりゅう)なんだね」  療に向かって香彩がそう言うと、療は再び笑い出す。 「やっぱりって! 香彩には竜ちゃんが何に見えてるの?」 「だって竜紅人、人形(ひとがた)になってから妙に人臭いんだもん。昔はさ、小さい蒼い竜の姿だったから、ああ竜なんだなぁって思ってたんだけど」 「竜ちゃん、まだ幼竜(おさなりゅう)だもんね」  仕方ないよ、と療は可笑しくて堪らないといった様子で、笑いながら言う。  幼竜、という言葉のあまりの似合わなさに、だがそういえばとばかりに、香彩はまじまじと竜紅人を見た。    竜紅人はげんなりとした様子で嘆息する。 「療……お前なぁ。その言い方されると俺が子供みたいだろうが」 「でも、『覚醒』までは幼竜。事実だろ?」  にっこりと笑う療の姿に、竜紅人は頭痛を覚えたのか額を手の平で覆う。  先程まで香彩を子供扱いしていた竜紅人だが、竜紅人自身の『肉体年齢』は確かにまだ、『子供』なのだ。  真竜は成長過程で、ある時を過ぎると人形しか取れなくなる。  『覚醒』が起き、再び竜形を取ることが出来て、初めて成竜として認められるのだ。 「療って真竜の『覚醒』って見たことある?」   香彩の言葉に療は、勢い良く首を横に振った。 「ないない! 滅多にお目にかかれないよ、そんなの」  どんなのなんだろう、どうだろうね、と話す香彩と療の姿に、竜紅人は何かを悟ったのだろう。すたすたと彼らの前を歩き始める。  竜紅人の心情はとても複雑だ。
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