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第17話 紅麗 其の六

 竜紅人(りゅこうと)は、法令を司り、契約の証人の管理等を司どる『大司冠(だいしこう)』という役職の補佐、『司冠(しこう)』だ。  大司冠の仕事の中には麗国内の商法、店舗の契約管理も含まれていて、大司冠の役職にあるものは月に一度、監査と称して、提出された商法内容に契約違反がないかどうかを調べるために、直接店舗に出向くのだ。  姐貴(ジエ)の宿を何度か訪れたことはある。  確かに連れ込みを売りにはしていないが、宿の一層目に食事処兼用の酒場があるため、そう思われてしまっても仕方のないことも事実だ。  竜紅人は、くるりと姐貴に背を向けて、彼の背後で苦笑いしていた香彩(かさい)の肩を抱き込む。 「……何そんなに警戒してるの?」  姐貴に聞こえない程度の声で香彩が言う。  香彩のその質問に竜紅人は、肩を抱いていた腕を上げて、香彩の頭を軽く小突く。  痛い、と恨めしそうな視線を、香彩は竜紅人に向けた。 「あのなぁ……さっき俺が言ってたの聞いてなかったのか?」 「聞いてたよ。仕事関係に頼りたくないってやつだろ? 姐貴はあまり関係じゃないか」  甘い、と竜紅人は姐貴の方を軽く見やってから、言う。 「曲がりなりにも、彼女はこの色街界隈を仕切る連中の頭だ。しかも現役を離れたとはいえ、あいつの父親は元は大宰(だいさい)の身分にあった者だ。用心に越したことはない」  大宰とは、麗城の役職の中でも城主の次に位が高く、そして『大』の位をもつ六の司官、六司(りくし)の統括だ。  現役を離れて数年は経つが、まだたったの数年だ。培った人脈で、人を動かされては何かと都合が悪い。  何か事が起こった時に、捕まれていた一見脈絡のない些細な情報が、国主を追い詰める材料にも成り兼ねないからだ。この国の性質上、退陣は許さず、手の中の傀儡に留めたい人間は一定数存在する。  この国は遙かな昔に、魔妖の王であった天妖を王に据えて魔妖から身を護っている。魔妖に苦しめられる国々が存在する中、この国は古の盟約により、魔妖はこちらから手を出さない限り、危害を加えることが出来ない。また、この国で生まれた魔妖は被害がない限り、むやみに払うことは許されない。だがすべての人がそのことに納得をしているのかといえば、決してそうではないのだ。  人はとても弱い生き物だから。  弱いからこそ、魔妖の王であった天妖を王に祀り上げたのだ。  肩を抱いて内緒話をする竜紅人と香彩を、少し離れた場所から見ていた(りょう)は、小さく嘆息し、姐貴を見る。内緒話といえども、療の聴力を持ってすれば、丸聞こえだ。  そして、それは。 「あの子達は、私が半妖だってこと、忘れてるみたいだねぇ」  そう、姐貴にも丸聞こえだった。  療は苦笑いだ。  守ることに重きを置いて、細かな流れを見切れないのは、竜紅人の悪い癖だ。 「しかし、どちらにしろ、早く決めた方が無難だねぇ」  姐貴の声色が変わる。  その空気の変わりように、竜紅人と香彩が姐貴の方に振り返る。 「もうすぐこの色街界隈は、夜の賑わいになる。そうなる前に宿を見つけて、夜は宿から出ない方がいい。『紅麗』を仕切る我々が、度々見回ってはいるが、やはり今からの時間は、特にこの子を連れているのなら、歩き回らない方がいいねぇ、竜紅人」  姐貴から名指しされた竜紅人は、くっと息をつめたが、無言のままだ。 「……それって」  姐貴の言う意味が分からず、香彩は問う。  姐貴は一瞬きょとんとした表情を見せたが、思い切り表情を崩して笑った。  戸惑う香彩に、療がため息をつきながら、香彩の肩に、とんと手を置いた。 そして香彩にそっと耳打ちする。 「糸口は春宵画」 「……?」  いまいち分からない香彩は、ふと会話に入って来ない竜紅人を見た。  竜紅人は姐貴を見据えたまま、無言だ。 「あの宿が体裁が悪いと言うのなら、私用の別宅を案内しよう。やつらは周到だ。有名な役職付きの子供が、夜に『外』に出たとなれば、どうなるかは明白だろう?」  竜紅人は手をぐっと握りしめ、詰めていた息を吐く。 「……案内を頼む、姐貴」  なんとも柄にもなく張り詰めた声を、香彩と療は聞いたのだ。
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