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第20話 紅麗の夜 其の三

   (りょう)は案内された部屋に入ると、すぐに寝台に寝転がった。  お腹が満たされた後に、ごろりと出来るささやかな幸せを噛みしめるかのように、うんと背伸びをする。  療にとって今日のここまでの旅路は、旅と言えるほどの距離ではなかった。その気になれば二刻、三刻ほどの時間でたどり着いてしまう距離だ。ましてやここ紅麗は使いでよく来る場所であり、いわばまだ『日常の一部』に過ぎなかった。  だが少し気怠く疲れてしまったのは、竜紅人(りゅこうと)香彩(かさい)と共に歩いたからだろう。普段はあまり意識しないが、やはり共にいる時間が長いと、どうしてもその神気と術力に疲弊してしまう。   (……オイラは疲れるだけだけど)  彼らは身を宿る『力』によって自身を防護している。療もまた極力抑えてはいるが、やはり完全ではない。  魔妖の持つ妖気は、当たり続けると体調を崩し、人を徐々に死に至らしめるのだ。  防護の『力』は療を疲れさせるが、ただそれだけだ。  部屋の中に、少し冷たい風が入り込む。  格子窓の向こうに月が見えて、療の転がる寝台を照らしていた。  それの何と心地良いことだろう。  月の光は療を含めた魔妖にとって栄養源だ。光を全身で取り込み、喰らう。人と同じ物を食べることも好きな療だったが、月が出ない間の非常食のようなものだ。  そしてもうひとつ、月の光によく似た光を持つ『力』も療にとって栄養源だった。  それは縛魔師が持つ命の源、『術力』だ。最大の栄養源でもあり、疲弊対象でもあり、また攻撃されると深手を負う諸刃の剣だった。  そして術者の血肉もまた、療にとって馳走だ。 (──すごく美味しそうなんだよねぇ、香彩(かさい))  香彩が着ている縛魔服は、肌の露出が殆どない。見えるのは手と顔と、そして首筋だけだ。  細くて白い、それ。  ほんの少し力を入れるだけで、簡単に折れてしまいそうな、それ。  食らい付いて流れ出る紅が、白い肌に描かれる様子を想像してしまって、療の牙が甘く疼く。  ああ、駄目だと、療は頭を振った。  しばらくの間、共にあるというのに。  今日の宿泊は個室だが、明日以降、状況によっては三人が一緒の部屋になる可能性だってあるのだ。  療は少しずつ、牙の疼きを落ち着かせる。 (こんなところ、竜ちゃんに見つかったら)  自分が食べられてしまう。  竜紅人にとって香彩が、特別な存在であることはよく知っている。  真竜と鬼もまた、捕食関係だ。  真竜の持つ神気は、術力と違って取り込むことも出来ず、体を内側から瓦解させる毒の様なものだ。ただ魔妖は元々身体の作りが人のそれよりも遥かに丈夫に出来ているので、すぐに症状が現れることはないが、長い時間をかけて蝕んでいく。  そうして弱らせた鬼を、真竜は食らうのだという。  鬼の『力』を取り込んで、人を護る『力』に変換するのだ。    療は目を閉じて深く息を取り込み、吐き出す。  月の光の影響か、療の額に文字が浮かび、淡く光り出した。  近々、自分達は鬼族(きぞく)の縄張り範囲の近くを歩くことになる。出来ることなら遭遇したくない。  香彩と竜紅人が一緒ならば、鬼族はふたりが持つその『力』に触発されて、必ず襲い掛かってくるだろう。  仲間と同胞の死闘なんて、見たくない。  見たくないのに、心が沸き立って仕方がない。  心の中で複雑な思いを抱えながら、療はただひたすら月を見ていた。  
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