21 / 32

第21話 紅麗の夜 其の四

「……少し、いいか。香彩(かさい)」  引き戸がこつこつと音を立てて、部屋の外から声が聞こえた。  どうぞと声をかけて香彩は迎え入れる。 「どうしたの竜紅人(りゅこうと)。もう寝たのかと思ってた」  香彩は椅子を引いて竜紅人に座るように促す。  食事処(しょくじどころ)から一番初めに引き上げ、部屋に入ったのは竜紅人だった。  普段より物静かで食事の量も人並み、しかも早めに床についた竜紅人を、香彩は心配していた。  食事処で貸して貰った香茶(こうちゃ)の一式を卓子(つくえ)に置いて、香彩はお茶を煎れ始める。椅子に座った竜紅人の様子からすぐに話が始まらないと判断したからだ。  現に竜紅人の方へ香茶を置くと、竜紅人は小さくすまないと呟いて、一口啜って大きく息をついた。  今の竜紅人のような表情に、香彩は心当たりがあった。  そう、相談人だ。  『大司徒(だいしと)』の執務室で一日に数人、身の回りで起こる不思議な現象や、魔妖のことなど、相談に訪れる者達の相手をするのも縛魔師の仕事のひとつだ。相談人は消化出来ないものを腹に抱えたような、複雑な顔をしている。そして相談に来たにも関わらず、中々本題を話そうとしないのも特徴だった。 「ところで何でこんな所に香茶の一式があるんだ?」  竜紅人も例外に漏れずそうらしいと判断した香彩は、焦らずに敢えてしばらく聞き役に回ることにした。聞き方を工夫すれば、おのずと話してくれるだろうと、何となく経験で理解していたのだ。 「さっき食事処から借りてきたんだ。寝る前に少し温かいものが飲みたくて」 「確かに落ち着くな。だけどお前大丈夫なのか? これ香茶だろ? 眠れなくなるんじゃないのか」 「そこまで子供じゃないよ」 「知らないぞ、明日起きれなくなっても」 「竜紅人は? 香茶飲んでも大丈夫なの?」 「眠れなくなるって? それこそ子供じゃあるまいし」  竜紅人が無言で湯呑を差し出した。苦笑しながらも香彩は湯呑に香茶を注ぐ。そして自分の分も淹れて、竜紅人の横に椅子を置いて座る。竜紅人が怪訝そうな顔をしたが構うことなく、香彩は竜紅人に一番近い距離で、彼に向き直る。 「じゃあ、子供じゃない竜紅人が眠れない理由は何なのかな?」  やっぱり香茶?と竜紅人を覗き込むようにして香彩が言う。  はっと竜紅人が目を見張る様子を見て、香彩は湯呑を持つ竜紅人の手の前に、自分の手を翳した。 「触れて、『()』てもいい? 竜紅人」  何も言わない竜紅人に了解の解釈で、香彩は竜紅人の手をそっと湯呑から外し、握った。  香茶のぬくもりが、まだその手には残っていた。  自分を守ってくれる、優しくて大きな手だ。  視線は竜紅人を外さない。  竜紅人の伽羅色の瞳の、その奥に眠る光を見据えるかのように。 「……知っている声に、呼ばれた気がした」  まるで迷い子のように、ぼそっと呟く竜紅人に、香彩が頷いた。  彼の中にある、とても大きな光の流れ。  その根底に眠るのは。  見覚えのある、翼。 「竜翼……?」  香彩が竜紅人の手を放す。  これ以上は『視』ることが出来なかった。その光の奔流に飲まれると、引きずり込まれ、取り込まれそうなそんな強さの流れが、竜紅人の中にはあったのだ。 「大きく広げた、竜翼が『視』えたよ。だけどそれ以上は……」  ごめん、と香彩が竜紅人に頭を下げる。  しばらくぼぅと呆けていた竜紅人だったが、はっと我に返ったかのように椅子から立ち上がる。 「こちらこそ、すまん。気を遣わせた」  そして少し冷めてしまった香茶を飲み干すと、竜紅人は部屋を出て行った。  香彩は小さく溜息を付くと、淹れてあった香茶を一口飲む。  兆しは示された。  竜紅人ならばきっと自分の中で消化できるはずだ。  普段は見ることのない竜紅人の姿に、少し戸惑いを覚えながら、香彩は寝床についた。
ロード中
コメント

ともだちにシェアしよう!