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第22話 幕間 ―兆しの夢月狂―

「──っ!」  飛び起きたのは香彩(かさい)だった。  ひどく寒い感じがした。背筋に悪寒が走って、額から冷たい汗がつつつと流れてくる。もしこの場で彼の手を握る者がいれば、その冷たさに驚くはずだ。  視線をゆっくりと動かす。  見えたのは、香茶の一式と湯呑がふたつ。 (……ああ、そういえばさっきまで)  そう、さっきまで竜紅人(りゅこうと)が部屋にいた。  そのことを思い出すと、少しずつだが体に熱が戻ってくる。  香彩は、詰めていた息をようやく吐き出した。  無意識に震える息と身体に、自身で自身を抱き、それを止めようとした。だが寒さと恐れが混じったかのような肉体の震顫(しんせん)は、しばらく収まりそうになかった。  卓子(つくえ)に置かれていた『紅麗灯』はすっかり火が消えてしまっていたが、部屋の中は月の光が煌々と差し込み、ほのかな明るさがあった。  ああ、だからかと香彩は納得する。  この冴え冴えと照る盈月(えいげつ)の『力』に自分は夢床(ゆめどの)に引き込まれてしまったのだ。  夢床は意識の奥に存在する、潜在意識の眠る場所だ。ここは繊細で、自分以外の者が近づくと不快に感じだり、普段気の合う者でも触らせることはない、誰もが持っている『自分』が『自分』であるための矜持の場所なのだ。  そして自分の経験や傷が眠る場所でもあるのだ。  そう、夢床も、今晩と同じような月が出ていた。  月の光の中に、身動きが取れない自身が転がっていた。  多分知っている場所だったように思う。  だが夢床はすぐに暗転した。  起きた時の様子から、香彩は夢床で起きた事を本当は全て見ているのだと思った。だがどうしても思い出すことができすにいた。暗転のまま、何が起こったのか分からずに、ただ恐ろしさと悲しさと寒さで目が醒めてしまった。  震える手をぐっと握りしめて、香彩は寝台から起き上がる。  そしてすっかり冷めて冷たくなってしまった香茶を一気に飲み干した。  力が抜けるように椅子に座る。  同じ夢はここ数年で、この季節に幾度か見ていた。ただそれは『ただの夢』に過ぎず、目が醒めて体が起き出した頃には、気にも留めない程度の夢だった。 (だけど……これは……)  もう忘れることは出来ない。  昔何かあったのだ。 「何で、『今』なんだろう」  旅に出ている『今』に見なくてもいいじゃないか。  音に出した自分の声が、あまりにも掠れていてこれにも香彩は驚く。  香茶を淹れようとして、もう湯がないことに気が付いた。さすがにこんな時間に食事処の人に入れて貰うのは憚れる。  第一何でもう湯がないのだろう。多分自分はこの湯呑に入っていた分しか飲んでいないのに。 「ああ、そういえば竜紅人が」  何杯が飲んでたっけ。  そう思った刹那だった。  直感だった。  何の脈絡もない、理由もない。  ただ頭の中にすとんと入ってきた縛魔師の直感に、香彩は手で口を覆う。    今まで感じることのなかった大いなる力の奔流。  力強いその竜翼の羽ばたき。  竜紅人の『光』の力に触発されて、今まで『隠されて』きたものが『視えた』のだとしたら。  そしてこの夢は、竜紅人にも関わりのあることなのだとしたら。  何故か咄嗟に聞いてはいけない、と香彩は思った。  ああ、やはり自分は。 (……知っている)  あの暗転した夢床の続きを。  月が雲に隠れたのか、部屋の中が深夜の闇に覆われる。  夜明けまで、まだまだ遠い。  こんなに早く明けて欲しい夜を、香彩は初めて知ったのだ。
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