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第4話

 そうだ。  幾らか歩いて、ミケルは気づく。  帰ればいいのだ。来た道を。  一刻も早く。 「トウマ」  ミケルが足を止めると、手を引っ張られてトウマも立ち止まる。 「ん?」 「僕、間違えてたみたいだ。ここは、僕が行こうとしてたカーニバルと、違ってた。僕の知り合いたちは、別のところにいて、僕、僕は、そっちに行かなくちゃ。悪いけど僕、帰るよ」 「え」  トウマはつないでいた手を、強くにぎりしめた。 「待ってよ。なんで? 本当に?」 「う、うん。僕が行こうとしてたのは、子どものお祭りで、ここは、大人ばかりみたいだし。早く行かないと、みんな、心配してるだろうから」 「困るよ。あんたが帰ってしまったら、俺もここから出なくちゃいけない」 「どうして。別にトウマが帰る必要はないだろう」 「だって、ダンス大会は二人一組と決まってるんだ」 「……ダンス?」 「そうだよ。このカーニバルのメインイベントじゃないか。俺はずっとこの日を楽しみにしてたんだ。カイランが来れなくなって、でもあきらめきれなくて近くをうろうろしてたら、あんたに会った。あんたも同じように、パートナーを探してるんだとばかり思ってた。ねえ、帰らないでよ。せめて、ダンス大会が終わるまで」 「ちょ、ちょっと待って。ダンス? 僕、そんなの踊れないよ。それにだいたい、僕は男だし」 「男? なんで、男じゃダメなんだよ」 「だって、ダンスって男女で踊るものだろう?」 「そんなことないだろ。男か女かわかんないのだっていっぱいいるし」  それは、そうかもしれない。まわりを歩いている群衆を見ると納得できる。 「でも、僕なんかが相手じゃ、トウマが恥ずかしい思いをするかもしれないし……」 「なんで、自分のこと、なんかとか言うんだよ。あんたは十分、魅力的だよ」  何の嘘も迷いもなさそうな声で、そんなことを言う。 「ど、どうしてそんなこと、わかるんだよ。僕の顔なんて、ろくに見えてやしないだろうに」  ずっと、フードを目深(まぶか)にしている。メガネは顔の大半をしめているし、レンズはひどく厚い。どこをどう見れば、魅力的なんて言葉が出てくるのか。 「わかるよ。簡単に。なんていうのかな、あんたの全身から発する、光みたいなものがさ、俺たちの種族は見えるんだ。その光が、とても優しくて、キレイな色をしてる。俺の、好きな色なんだ。だから俺、あんたがパートナーになってくれて、すごく嬉しかったんだ」  ミケルは顔をちゃんと上げて、トウマを見た。屈託のない、まっすぐな目をしていた。  光、というのがなんだかわからないけれど、種族、というのがなんなのかさっぱり見当もつかないけれど、ミケルは胸の高鳴りを抑えきれなかった。本当はミケルも、トウマと離れがたかった。一刻も早くこの場を離れなくてはいけないことが、頭の中ではわかっているのだけれど、それでもとどまりたかった。 「……でも僕、ダンスなんて踊ったことない」 「俺がリードするから大丈夫。あんたはただ、俺にくっついてくれてたらいい」 「じゃあ……、ダンス大会が、終わるまで」  思わず、ミケルは口走っていた。ここがいったいどこだか、どんな場所だか、どんな危険がはらんでいるかもわからないというのに。 「じゃあ、さっさと会場に行こう。俺たちは後半組だから、出番はまだまだ先だけど」 「会場って?」 「じきに入り口が見える。ほら、あれだ」  幕で囲われた広場の真ん中を陣取る円錐形のテントは、入り口からして人でごった返していた。いや、今や彼らが人でないことは明白だった。そして残念ながら、その中に人と呼ばれる存在は、ミケル以外にいなさそうだった。  ミケルが人であると、最後までバレずにいられるだろうか。  いや、それよりも。  トウマに、それを隠したままで、いいのだろうか。  トウマを、騙したままで。 「ミケル?」  不安そうにうつむくミケルを、トウマが気遣うように覗きこむ。 「あ、いや、何でもないんだ」  そのとき、混雑に強引に割り入ってきた誰かがいたようで、風に倒された稲穂のように辺りが連鎖して体制を崩した。ミケルも押されてよろめき、その拍子にフードが外れそうになった。フードがとれると必然的に、人であるミケルが(あらわ)になってしまう。ミケルはあわてて両手で頭を押さえた。そのかわり、崩したバランスを戻せなかった。 「危ないッ」  転倒しそうになったところを、トウマに抱きとめられる。ほっとしたのも束の間、はずみでメガネが放り出された。その形状を追えたのは一瞬だけで、ぼんやりとかすむ視界の中で、メガネらしきものは瞬く間に群衆の中へ消えてしまった。声をあげるヒマもなかった。 「ミケル、ケガは?」  呆然とフードをにぎりしめたままだったミケルは、すぐ耳元に聞こえたその声で、トウマの腕の中にいることに気づいた。にわかに高鳴る鼓動と、鮮明な視界を失って茫然自失なのと、そのどちらの比重が高いのかわからなかった。 「……メガネが」 「え? あ、落ちた?」  そういえば、メガネは人ならぬものでもめずらしくはないのだろうか。ぼんやりとミケルは思った。見れば確かに服装も、装飾も小物も人のそれとさほど変わりはなかった。付近には見当たらないが、メガネをかけている人ならぬものも、あるいはいるのかもしれない。 「あったぜ。でも、割れてる」  いつのまにか、トウマがメガネを見つけて拾ってきてくれていた。ヒビが入っている程度なら使えなくもなかったが、レンズはほとんど砕けてフレームだけに等しい状態だった。 「どうしよう。僕、すごく目が悪いんだ。家に帰れば、予備のメガネがあるんだけど」 「そうか。困ったな。全然見えないのか?」 「ほとんど」  1メートル以上離れると、輪郭がぼやけてしまうありさまだ。人の目線はおろか、表情すらわからない。でも、すぐ近くならはっきりとわかる。 「これくらいなら、見える?」  目前にトウマの顔が近づいて、ミケルは息が止まりそうになる。口をつぐんだまま、小刻みにうなずいて返す。それを見たトウマが、ほどけるように笑う。 「やっぱり、顔も俺の好みだった」  至近距離でそんなことを言われて、顔が赤くならないほうがどうかしている。何も答えることができずにいるミケルを、トウマは抱きよせるようにして歩き出した。 「ほら、もう前半組が始まってる。行こう。俺がこうやって支えとくからさ」  視界の悪いこの状態で、トウマとはぐれてしまうことは何より危険なことだ。  ミケルはトウマのシャツをしっかりとつかみ、肩を抱かれたままでテントの中へと入っていった。  

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