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第5話

 テントの中は、軽やかな音楽が流れて騒々しいほどに賑やかだった。観客からとおぼしき歓声が、あちこちから上がっている。と思うと、音楽が途切れて拍手が沸き起こった。 「前半組が終わったんだ」  トウマが耳元まで口を寄せて、教えてくれた。付近の形状はぼんやりと見えてはいるが、少し離れてしまうとぼうっとかすんで何にもわからない。  でも、案外見えなくて良かったかもしれない、とミケルは思う。周りを取り囲む、人ならざるものたちを見なくてすむ。こうして気配だけを感じていると、そこにいるのが人であるかのように思える。  でもそれなら、彼らと人とはいったい、どこが違うのだろう。  仮装しているのだと思っていたとき、ミケルの中では彼らは人だった。トウマのことも、人であると疑いもしなかった。そこにある違いは外見だけだった。  ミケルのすぐわきを、子どもたちが列を成して通ってゆく。 「前半と後半の間に、子どもの組があるんだよ」  トウマの言うように、着飾ったドレス姿と普段着とが織り交ざっている大人と違って、子どもたちはみな愛らしい衣装に身を包んでいる。ミケルはそれぞれの人ではない姿かたちをした子どもたちの、高揚して瞳を輝かせた表情を眩しく眺めた。子どもはやはり、どんな見た目でも同じだ。 「あ」  声がして、見ると列の一番最後を駆け足で追ってきていた女の子が、つんのめるようにして転ぶところだった。考えるより先に、ミケルは駆け寄って膝をつき、女の子を助け起こした。 「大丈夫かい?」  小学校の、二年生くらいだろうか。ミケルの受け持ちは複式学級の低学年クラスで、にわかに自分の生徒たちを思い出した。彼らもこんなイベントがあったら、喜んで着飾り参加しただろう。それを思い浮かべると、目の前の女の子もいとおしく感じる。  赤い布地に白いレースが幾重にもついたワンピースは、彼女のとっておきに違いない。見れば、スカートの裾から覗いた膝がすりむいて、血が滲んでいる。白目のない黒水晶のような美しい瞳に、じわりと涙を浮かぶ。 「ああ、泣かないで。大丈夫だから」  ミケルはポケットからハンカチを取り出し、手早く女の子の細い膝に巻きつけて結んだ。本当ならすぐに水で洗い流したほうがいいのだけれど、今は時間がない。 「さ、これでいい。痛くはない? 踊れるかい?」  そう問いかけると、女の子は涙をぬぐいながらうなずいた。 「ほら、行っておいで」  ミケルに背を押されて、女の子はレースを(ひるがえ)しながら真ん中のフロアへと駆けてゆく。それを待っていたように、音楽が鳴り始める。  あいにく、フロアの中で踊る子どもたちの様子までは、ミケルは見ることができない。ぼやぼやとして、何かが動いているのがわかるくらいだ。  肩にそっと手が乗せられて、トウマが顔を寄せてきた。 「優しいな、ミケルは」 「え?」 「やっぱりあんたは、なんか、なんかじゃない。そういうとこ俺、すごいと思う」 「そう、かな」 「あんたは自分で気づいてないだけで、きっといいところがもっといっぱいあるんだよ」 「……ありがとう」  そんなふうに、真正面から褒められることはそうそうない。  頬が熱くなって、ミケルは目を伏せた。  トウマが、好きだ。  ミケルは思った。知らずごまかしていたけれど、出会ったばかりで、しかもトウマは人ではなくて、そんなはずない、好きになっちゃいけない、と打ち消してばかりいたけれど、もう認めるしかなかった。  トウマのこと、好きになってしまった。  人だとか、人じゃないとか、そういうことはどうでも良かった。トウマはトウマだ。  でも、とミケルはひるむ。  トウマのほうこそ、ミケルにはとても優しい。  でも、ミケルが人だと知ってしまったら?  それでもトウマは優しくしてくれるだろうか。  すぐそばの、額から鼻筋にかけてのかたちのよい横顔を見つめていると、不意にトウマが振り返った。ん? と表情で訊かれて、ミケルはためらいながらささやく。 「あの、トウマは、人、に会ったこと、ある?」 「人? いや、ないなあ」 「じゃ、人について、どう思ってる?」  先刻の、屋台に並べられていた頭部や胸像の、動かない表情が脳裏に浮かぶ。あれをトウマは、好まないと言っていた。でもそれが、率直に人に対しての好意につながるとは限らない。  トウマは何かを思い返すような顔をして、言葉を選ぶように言った。 「ずいぶん昔の話だけど、俺の種族の一人が、人間に捕まったことがあったんだ。鎖でつながれて、言うことを聞かないとひどい目にあわされたらしい。何かのきっかけで逃げ出せたそいつは、その国をまるごと滅ぼして帰ってきたんだって。だから人間って、獰猛(どうもう)で卑怯で性悪で、恐ろしい存在なんだって、伝えられてる。絶対近寄っちゃいけないって」 「……そう、なんだ」   首筋から背中にかけて、寒気が走った。  なんてことだ。  そんなこと、されていたら、許せるはずがない。好感など持つはずがない。  やっぱり、バレちゃいけない。けして、人だと(さと)られちゃいけない。 「でも、違う話も聞いたことがあって……」  トウマの言葉を遮るように、テント内に放送が響きわたった。ダンス大会後半が始まるため、出場者はフロアに入るように報せている。 「あ、始まる。ミケル、行こう」 「え? あ、もう? 待って」  腰を抱かれるようにして、歩き出す。群衆がうねるように動き出し、子どもたちが出払ったフロアになだれ込む。トウマはミケルを伴って、真ん中に陣取った。 「待って、トウマ。やっぱり僕、ムリだよ。ダンスなんて、どうすればいいかわからない」 「どうだっていいんだよ。決まった形なんてない。好き勝手に踊ればいいのさ。楽しいのが一番大事。ほら、離れると危ないから俺にしっかりつかまってて」  トウマがミケルの腰を抱き、ミケルは両腕をトウマの首に回した。すぐそばのペアを見渡すと、それぞれ手をとりあったり片方がおぶさったりと、確かに様々だった。 「行くぞ」  音楽が始まったと同時に、トウマは勢いよく回転を始めた。 「トウマ、待って」 「待たない」  くるくると、ステップを踏みながら回転し、出場者たちの間を抜けてゆく。狭いその隙間を、トウマはミケルを誘導しながら誰にもぶつからずにするすると滑り抜ける。 「トウマ、すごい」 「あんただってすごいよ」  ミケルは見よう見まねで、トウマと同じステップを踏んでいた。ツーステップ、ターン、ジャンプ。簡単なものばかりだけれど、トウマのリードが巧妙なのでミケルは、ダンスがうまくなったような錯覚がして胸が弾んだ。  ダンスなんて苦手で、嫌いなもののひとつだった。生徒の前で一緒に踊らなくてはいけないときも、不格好に見えるだろうと情けない思いがしていた。  でも今はただ、楽しい。周りの誰もが、同じように楽しんでいた。楽しければどんなに不格好でもかまわない。上手いとか下手とか、そういうことなど誰も気にしていない。 「笑ってる」 「え?」  踊りながら、トウマが嬉しそうに言う。 「楽しそうだ。笑ってるほうがいいな、やっぱり」 「な、何が」 「いいから、もっと笑って」  ぐん、と腰を引き寄せられ、遠心力がついて振り回される。それが妙におかしくなって、ミケルは声をたてて笑った。それを見て、さらにトウマも笑う。 「やめろって」 「もっと回してやる」 「目が回るよ」  トウマは右に左に回転しながらフロアを縦横無尽に行き交った。ときどき誰かと接触があってもご愛嬌で、誰も怒りやしなかった。  音楽が止まったとき、ミケルは息が切れていた。でも気持ちが良くて、まだ笑っていた。ざわざわと、出場者たちがフロアから離れてゆく。 「キレイな髪だ」  ぽつりと、トウマが言った。 「ん?」  彼の手が、ミケルの首筋から後ろへと、髪を()いている。その言葉の意味を、そして彼の動作の意味をミケルが知るまで、少し時間がかかった。  周りのざわめきが、いつしか違うものに変わっている。 「……あれ?」  トウマが何かに気づいたように、表情を強張らせる。 「ミケル、角がとれてる」  夢中になりすぎたせいだった。  いつもこうだ。いつもこんなふうに、のだ。  くるくると回り過ぎたせいで、フードがとれていた。楽しくて興奮して、そんなことを気にもとめなかった。  血の気がひく思いがした。呼吸がうまく、できない。  ミケルの耳に、遠くから叫び声が届く。 「人間がいるぞ!」

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