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第8話 君とカフェランチ

 昨日、久我山さんに作ってもらった元書斎、現在、俺の仮住まいで、あいつの連絡先を消去した。  ――バイバイ。  そう呟いて。  これでこの浮気男の連絡先を消去しますか? って尋ねてくる自分のスマホにイエスって返事をした。  そんで、今日は新生活を始める1歩目、面接! 「土日の出勤も可能ということでよろしいでしょうか」 「はいっ、もちろんです!」  だったんだけど……ね。  そこで面接官の人がチラッとこっちを見てから、バインダーに挟んだ書類に何かを書き込んだ。アパレルの面接で土日出勤できませんって人、そうそういないとは思うんだけど。こういうところだと結構あるのかな。ショピングモールの中にある大型店舗系だとさ。 「以前からアパレル系でお仕事を……」 「はい」  そしてまた何かを書き込んでる。  履歴書に書いてあるブランド名はスーツ系のメンズメーカー、だもんね。せっかく見つけたメンズファッションアドバイザーの求人だったけど、やっぱ……だよねぇ。ここのメーカーってジーンズ系がメインだもんなぁ。ちょっと……ズレるよねぇ。 「なるほど……」  ですよねぇ。 「ダメそうかなぁ」  外に出た途端、小さくそんなことを呟いた。  アパレル専門の求人サイトで見つけた条件、仕事内容などなど、で言ったら、これだー! って感じだったけど、肝心の商品が今まで働いてきたメーカーのラインナップとかなり違ってた。ちょっと無理かなぁ、なんて。デニムブランドでの接客経験……ないもんなぁ。  仕事、どうしようかなぁ。  いろんな求人サイトを見てるけど、暇なので、ちょおおおおお見てるけど、でも求人の大半は謎めいたモニターの仕事とか、後は倉庫系。やっぱり今のご時世オンラインショッピングがとっても盛んなわけで。あるのは通販サイト直営倉庫での商品管理の仕事ばっかり。  簡単、誰でも覚えられます。  一日数時間でオーケー。  ダブルワーク、オーケー。  新規立ち上げにつき、新しい仲間が君を待ってます。  っていうのなら、いっぱいあるんだけど。  もしくは、衣類量販店での販売スタッフ。それもいいんだけどさ。贅沢かなぁ。もう少し「服を売る」っていう仕事がしたいっていうかさぁ。いやいや、量販店だってすごいです。わかってます。  ただなぁ。  なんか、ちょっとなぁ。 「お昼かぁ」  スマホを見るとちょうど、後少しでお昼になるところ。お昼、食べて帰ろうかな。さっき、ここに来る途中ですっごいコーヒーのいい香りがするカフェがあったんだけど。あそこ、寄ってみようかな。あー、でも、お金がね……ないよね。あるけど、ただいま絶賛無職だから節約しないとだよね。  久我山さんには冷蔵庫に入ってるもの勝手に食べていいって、ものすごいありがたいこと言ってもらってるし。 「! わっ……びっくりした」  今、ちょうど頭の中で「久我山さん」って名前を言った途端、手に持っていたスマホが返事でもするみたいにブルリと振動して、その画面に彼の名前を表示した。  久我山旭輝って。 「もしもし?」 『あぁ、面接終わったんだな』 「あ、うん」 『どうだった?』 「あー……うん」  多分、ダメそうです。すみません。いまだ無職継続中になりそうな予感がヒシヒシとしております。 『なぁ』  ここ、そういえば久我山さんのお勤めになられてる霞ヶ関の近くなんだよね。 『面接受けたとこ、俺の職場からそう遠くないだろ?』 「あ、うん」 『じゃあ、昼飯、一緒に食おうぜ』 「え?」 『奢ってやる』  それはなんと。 『じゃあ、十分後な』  なんと。  絶賛無職継続中になってしまうだろう俺にとって、その決め台詞はさ。 「やった!」  お腹の虫さんが、わーいわーいって、歓喜の唸り声をあげちゃうくらい、ありがたい決め台詞だった。 「ここ、コーヒーが美味いんだ」  そう言って、久我山さんがもうすっかり冬の気配漂うオフィス街の隙間から差し込んでくる日差しをいっぱいに浴びれる窓際の席へと腰を下ろした。 「何食う? 俺、パスタにするけど」 「あ、うん。じゃあ、俺はベーグルサンド」  そう返事をすると久我山さんはパッと手を上げて女性スタッフを呼ぶと、テキパキ注文を彼女に告げた。イケメンはお得その一、だよね。手を上げたら、女性がふわりと引き寄せられるように、ものすごい速さで来てくれる。 「ベーグルサンドで腹膨れるか? だから、ほっそいんだろ」 「いーの! 食べたいの!」  そう宣言すると久我山さんが笑って、手元にあった水を飲んだ。  面接の場所へ行く途中、ここ通ってコーヒーのすごくいい香りがして、それで視線を向けたら美味しそうなベーグルサンドが黒板の形した看板に描いてあったんだもん。スモークサーモンとか絶対に美味しいに決まってるじゃん。 「……どうした? 笑って」  だって、ここ、美味しそうだなぁって思ってたところだから。そこに久我山さんと来てるのも、久我山さんがここのコーヒー美味しいんだって言ってたのも、なんか面白くてさ。 「面接、微妙だったんだろ?」 「あ、うん……」  んもぉ、このタイミングでそれを言われると、そこで一瞬、テンション下がるじゃん。  だって、デニムメーカーだったんだもん。 「ずっとメンズスーツ系でやってたからさ。デニムはあんまり詳しくないんだよね……デニムファッションって。デニムはとっても便利だけどね! だけど、デニムとただのパンツならパンツ派っていいますか……なんと言いますか。いや、でも我儘も言ってられないし。最終的には倉庫とかでバイトっていう手もあるので」  そのうち、この与えられた「久我山さんを男に走らせたやり手なウケ」役という任務を遂行できた後はしっかりちゃんと、部屋を――。 「別にいいんじゃないか?」 「……え?」  部屋を出ないといけなくなったら、書斎、リモート会議で頻繁に使う時が来たら、ちゃんと。 「そんな焦って仕事見つけなくても」  ちゃんと。 「宿も飯もとりあえずあるんだし。それに」  ちゃんと部屋出てきますから。 「それに聡衣は確かにジーンズよりもスーツ系の方が似合うと思うよ」  久我山さんはそこで僅かに笑って、静かにコーヒーカップを手に持つと、窓際、十一月、冬らしさがグッと増した中、降り注ぐ日差しに照らされながら、すごくすごく、すごく、美味しそうにコーヒーを飲んでいた。  お店いっぱいに溢れる良い香りに、ホッと、気持ちが柔らかくほぐれた気がした。

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