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第10話 柔らかシチュー論争

 シチューってさ、なんか特別な気がする。  ワクワクするっていうか。  でも、大人になってからはあんまり食べてないかも。一人暮らしをしてると作らないじゃん? 一回で出来上がる量、すごく多いし。きっかり一食分だけって作れるものじゃないし。  それに、一人で全部食べきっちゃうのって、なんか……ね。  こんなに食べちゃった、とか。  こんなに食べたんだ、とか。  そういうことを誰かと言うのも楽しいじゃん? 一人で食べても言えないこと。 「は? シチューは味噌汁代わりじゃないだろ」 「えぇ? お味噌汁と同じだってば。スープだもん」 「メインだろ」 「おかずじゃないもん」  これ、まぁまぁよくある食事系論争あるあるじゃない? シチューはお味噌汁か否か。それと酢豚にパイナップルは入れるか否か。 「ほら、サラダつけてくれたじゃん」 「メインがシチューだからな」 「えぇぇ?」  あ、あと、あれもそう。西瓜に塩をかけるか否か。  俺は、酢豚にパイナップルは入れる派。案外、あの甘酢あんが絡まると、それはそれで美味しいんだよね。でも、西瓜に塩はかけない派。だって甘いのとしょっぱいのが完全に別々のまま口の中にあるじゃん。味がこんがらがってわけわからない。  それと、シチューはお味噌汁派。 「その華奢さでシチューを味噌汁代わりに?」 「そ。だからシチューを食べる日はすっごい特別なのっ」  そう言って力説すると、隣に座る久我山さんが小さく笑った。  アイランドキッチンだもの。  そのキッチンの手前にあるカウンターがテーブル代わりになっているから、俺たちはまるでラーメン屋さんに並んでるみたいにご飯を食べるわけで。  隣同士になるわけで。 「にしても、すごくない? ルー使わないなんて」  テレビの料理番組みたいなことがこのオシャレなアイランドキッチンで始まってびっくりした。バターと小麦粉を混ぜ合わせるところから始まるなんてさ。 「クリームシチューなら簡単だからな」  言いながら、久我山さんがワインの赤を自分のグラスに注いだ。 「すご。本当すごいね」 「俺は聡衣の食欲に驚いてる」  そう? どんだけ久我山さんの中で俺は華奢で食の細い人になってるんだろ。ちゃんと食べるよ。全然成人男性ですから。  そんなところを見せつけるように、大きな口を開けて大きめにカットされたじゃがいもをパクリと食べた。  これも、なかなか大人になって一人暮らしをしてからはたべなくなった理由の一つ。手製のシチューってさ、具が大きいでしょ? コンビニのも、レトルトのも具が小さくて。それがなんだか、シチューの醍醐味を半減させてる気がする。食べるならごろっごろに大きな野菜を大きな口でパクッと平らげたいから。小さい具だと食べ応えがなくてさ。  だから、このシチューが最高に美味しい。 「あ、そうだ」 「?」 「面接、落ちてしまいました」  言い忘れてた。これがさ、官僚なんていう響きだけで既にエリートの仕事もこなせちゃう久我山さんが面接受けてたら、きっと受かってたんだろうなって思うと、少し情けないけど。 「あぁ、そっか」 「うん。なので、まだまだあのですね」  でも、俺にはそんな頭なんてないし。それ嘆いたって仕方ないし。 「ゆっくり選べって言ったのは俺だ。いいんじゃないか? そっか、じゃあ、あれだな」 「? 久我山さん?」  そこで、久我山さんが席を立ち、キッチンへと向かう。どうしたんだろうって、それを目で追いかけて。 「シチューじゃ合わないだろって思ったんだけど」  冷蔵庫から取り出したのは秋限定の梨とか林檎とかじゃなくて、葡萄のチューハイ。しかも白赤ミックスの葡萄味。すっごい美味しそう。 「味噌汁代わりの聡衣なら気にしないか?」 「……」 「本当は仕事決まったら祝おうと思ったんだが、まぁ、落ちたら落ちたで、のんびり無職が延長になったっていう祝いってことでもいいだろ。そしたら俺のワインの相手も頼めるし」  何それ。変なお祝い。  むしろ残念会でしょ。面接落ちちゃったんだから。でも、そんなに落ち込んでもいないからか、残念って感じのテンションでもないどころか今日の晩御飯が楽しみでさ。そんなだった俺には、確かに、お祝いみたいに思えてきて。 「あ、ありがとうございます」  シュワっと弾ける泡の音と一緒に綺麗な薄紫色がグラスに注がれた。  まるで本当にお祝いみたい。ルーなしで作った、野菜もお肉もゴロゴロ一口サイズのクリームシチューにサラダにご飯。それからワインに薄紫色の気泡が踊る葡萄酒。 「乾杯」  金曜日の、少しワクワクした夜に本当にまるでこれからもう少しのんびりできるーって楽しんでいるような、お祝いのような夕飯は楽しくて。 「面接落ちたけど」  ぽつりと呟くと、久我山さんは笑って、グラスに残っていたワインをぐびっと飲み干して。 「金曜日だからな」 「聞いてる? ねぇ、面接、落ちたんですけどー」 「俺は仕事がひと段落ついたし」 「だから面接」 「乾杯だな」 「面接落ちたんだってば」  シチューがあったかいからか、今日は真冬の寒さってお天気予報で言ってたからなのか、二人で食べるシチューがとにかく、すごく、美味しかった。

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