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第30話 誤魔化そう
ノンケは範疇外、なんだってば。
だって、俺、怖がりだもん。そして、かわいそうって思われるのがすごくすごーく大嫌いだもん。だから、その二つがいっぺんに来ちゃうなんて絶対にイヤに決まってる。
好きになって、けど、絶対にいつか向こう側に、ノンケの方に戻っちゃうんでしょう? でさ、それがいつなんだろうって怖がるの、イヤなんだ。
そして、やっぱりいつか戻っちゃって、「可哀想に、振られちゃったね。相手が女の子じゃ、敵わないよ。かわいそうに」そう思われるのも、そう自分が自分に思うのも、イヤ。
だから、ノンケは範疇外。
『もしもし? 聡衣? じゃあ、今から始めるからな』
範疇外、なんだってば。
「は、はーい……りょーかい、です」
心臓、静かに。
耳、くすぐったく感じないように。
とにかく、範疇外。
『Hello ……』
教わりたいのは初歩の初歩の英語でオーケー。
俺が取引を英語でするわけじゃない。ただ、電話の取り継ぎを英語でできればいいだけ。それの練習するなら電話越しが一番だろって、久我山さんが。
『いい感じなんじゃないか? 上手に受け答えができてた』
「本当? ありがとー。久我山さんが」
『じゃないだろ』
「あ、えっと……旭輝……が」
静まれ心臓。
落ち着け、耳。
『あぁ』
低い声。
食事の時、隣で他愛のない話をする久我、じゃなくて、旭輝よりも、電話の彼の方が声が低くて、耳のとこ、なんかくすぐったい。
「あの、英語で終わりの方なんて言ってたのかあんま分かってなかったけど、大丈夫だった?」
『あぁ、あそこやっぱわかってなかったよな。けど、それでも上手く対応できてた』
「そ、そっか、よかった』
そして、蒲田のせいだ。ホント、蒲田さん……め。
就職したこともすぐに知っててたし、お店の定休日も知ってるくらいだから、何でもかんでもお見通しっぽくて。心の中でだろうと呼び捨てにしたら、「貴方、私のことを呼び捨てにしましたね?」なんて、ある日言われそうだから、「さん」付けちゃったじゃん。
でも、まだ苗字呼びなんですね、なんて……って言い出すもんだから。
こっちの方も練習しなくちゃいけなくなっちゃった。英語と一緒に久我山さんのことを名前で、旭輝って呼ぶ練習。っていうか、普段からそっちで呼べばいいだろ、って、久我、旭輝も言い出すしさ。
いーけど。
別に。
そのくらい、なんてことないけど。
『じゃあ、レッスン終わりだな』
「はーっい」
そんなのなんてことないはず、なのに。
――コンコン。
「は、はいっ!」
「聡衣、晩飯にするぞ」
ついさっきまで電話越しに聞いてた声が扉の向こうから聞こえてきた。
今日は土曜日で、旭輝は休みの日。俺は仕事があったから、食事は一週間ぶりの旭輝担当。
「わ……なに、これ、すご」
「イカスミのパエリア」
「すっご!」
キッチンカウンターには真っ黒が斬新なパエリアとチキンが乗ったサラダ。もうレストランじゃん。これ、本当に。
「案外簡単なんだ。この前、聡衣がレトルト使っただろ? それでふと思い出して」
「こんなの作れるとかすごすぎ」
「だから簡単なんだって。レトルトだし」
「いや、もうこんなの出てきたら、びっくりするって」
「そこまでテンション上げてもらえると楽しいな」
旭輝は笑って、俺用のチューハイと自分用のビールを冷蔵庫から持ってきてくれた。
「一人だと作らないから。一度作ってみたかったんだ」
「あー、確かに」
一人、になることなんてほぼない、でしょ? 一度って今までだって作ってきたでしょ? そして、今だって、これを一緒に食べたいって思ってる女の人、そばにたっくさんいるでしょ?
なんて、言いそうになったけど、言わなかった。
「食おうぜ」
「うん」
一瞬、この前、エントランスまで来てた女の人のことを思い出した。すっごい美人の、すっごい高そうな香水つけてそうな、すっごいいわゆる「高嶺の花」っぽい人。背も高かった。ヒール履いてたけど、数センチの。十センチヒールだって難なく履きこなせそうだけど、そこまで高くないヒールにしていたのはきっとバランスも見てたりしそう。男と並んだ時のバランス。
「うっまー!」
「よかった」
旭輝と並んだ時のバランス。
「クリスマスには普通のパエリア作ってみるのもいいな」
「……」
それは誰と食べるんだろ。だって、さすがに、その頃は蒲田さんだって、監視、終わらせてるでしょ? その頃にはもう約二ヶ月? そのくらい経つ。そのくらい大先生の娘さんには手を出してないんだし。その間にそっちの婚約だって成立、してるでしょ?
「聡衣はパプリカとか食える?」
「あー、うん」
本当はちょっと苦手です。
「食べられるよー……」
でもきっとそのパエリアを食べるのは俺じゃないだろうから。そう答えた。
「魚介は?」
「全然大丈夫」
これはホント。魚介系はむしろ好き。
そっか。クリスマスにそんな美味しそうなの作るんだ。
いいなぁ。
「にしても、このイカスミのパエリア、うっま!」
きっとすごく美味しいだろうな。それをここに座って、その時はスパークリングワイン? とかかな。飲みながら? 超絵になる二人で食べるのかな。
「そんなにか?」
「マジで、マジでマジ! 旭輝すご」
「……」
「旭、輝?」
「名前」
「へ?」
ここで並んで座って、肩がふれあいながら。
「もっと呼べよ」
「……」
「練習。すんなり言える」
「ぁ……うん。そうだねー……」
クリスマスを過ごすのは、きっと、別の人。
そのことに何かがキュッとしそうになるのを、おまじないみたいに「ノンケ、でしょ?」って何度も唱えて、騒ぎ出しそうな心臓のとこ、胸の内でかき混ぜて、かき混ぜて、そして誤魔化した。
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