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第31話 プリーズ、マイハート

 通勤ラッシュが過ぎた頃の平日の朝ってなんだか独特なんだよね。  妙に静かっていうか、妙に穏やかっていうか。お店によりけりなんだけど、サラリーマンとは全く違う時間で生活してるからかな。  サラリーマンっていう人の多さにびっくりする。  みんな、朝通勤して、夜帰ってきて、週末が休みでさ。  お店も平日なんてガラガラなのに土日はすっごい混むでしょ? 何もかもぎゅっと集中してて。 「……」  アラームかけなかったからなぁ。今日が休みだから、のんびり寝てようと思って。  今、何時なんだろ。旭輝……もう仕事に行った時間だよね。  むくっと起き上がると部屋が寒くて、思わずその寒さ負けちゃった。布団の中に戻って、もう少し寝てようかなぁ、なんて。今日、休みだし。別に用事ないし。  彼氏がいたら、違うかもだけど。  彼氏は今――。  ――名前、もっと呼べよ。 「……」  今、いないし。  彼氏がいればデートだったり、その彼氏の部屋に行ったり、とかね。  ――カチャン。  もう一回寝ちゃおうかなって布団の中で丸まって目を瞑った時だった。  ――カチャ。 「!」  誰かリビングにいる。はい? だって、今日、平日。水曜日、だよね? 何? 「……起きたのか?」  音が聞こえて、咄嗟に、大慌てて元書斎で一時的俺の部屋から飛び出すと、旭輝がそこにいた。キッチンに立ってコーヒーを飲もうとしてるところだった。  スーツ……じゃない。  オフホワイトのベーシックなニットに黒いパンツ姿。  なんで? 「すげぇ、寝癖」 「!」  旭輝は飛び出してきた俺を見て笑って、部屋の窓いっぱいに差し込んでくる日差しの中でもう一つマグカップを出すと、コーヒーを注いでくれる。そして、それが俺のって、わかるように少しこっちへ見せてから、アイランドキッチンのカウンター、いつも俺が座っている場所に置いてくれた。 「よく寝れたみたいだな」 「あ、うん。あの……なんで……」  今日、仕事でしょ?  なのに部屋から、物音がするから泥棒かと思って飛び起きたじゃん。書斎にもう一人住人がいることに気が付かなかった泥棒でもいるのかと、ちょっと怖かったじゃん。  ちょっとどころじゃなく怖かった、かも。びっくりした。どうしようって。ホラー映画とか大嫌いなんだけど?  ほら、心臓、すごいことになってるんですけど?  バクバクって。 「今日は、休みを取ったんだ」  え? なんで? 風邪? 体調悪かったとか? 「デート」 「……」  あぁ、そうなんだ。  あ、もしかして、あの職場の女の人? 旭輝のこと迎えに来てたのが誰か確認しに来てたもんね。それで、それが女じゃなくて俺ってわかって、誘われた、とか? もしくは旭輝から? まぁ、上手に誤魔化せば蒲田さんの目を盗んでデートくらいできそうだもんね。まいちゃえばいいわけだし。  じゃあ、帰りは遅い? 今日は夕飯いらない感じ? なんて、偽同棲の、正しくは居候の俺が訊くことでもないけど。  けど何も、俺が休みの日にデートしなくてもいいんじゃない? いや、いーけど。別に。俺は関係ないし。あ、違うか。鎌田さんを誤魔化すために何かするのかな、俺。お手伝いとかしたほうがいいのか。一緒に家を出るだけ出て、帰りもどこかで待ち合わせるとか?  だよね。そういうことだよ。 「そ、っか……今日、寒くなりそうだから、気をつけてね」 「……」 「あ、家のことなら俺やっとくから気にしないでいいよ」  そしたら早くコーヒー飲んで俺も出かける準備しないとだよね。 「デート」  デートでもないのに、デートっぽい感じにおしゃれしないとかぁ。少し……。 「うん。行って、」  少し面倒。 「しようぜ」 「…………」  は、い? 「その寝癖直してこいよ。朝飯作ってあるから」  あの。 「今日、聡衣は休みだろ?」 「……」 「あ、何か予定入ってたか?」 「な……いけど」 「そっか」  ホッとした顔してる。予定は何も入ってないですって言ったら。 「パンでいいだろ?」  そして、笑ってる。 「パン……でいいです」 「オッケー……って、そんなに驚くなよ。デートっていうか、まぁ、実際はちょっと仕事も兼ねてるんだ。携わった事業ので、今日イルミネーションの点灯式があって、招待されてるから、聡衣と行こうかなって」 「ぁ、そうなんだ」  びっくりした。  ねぇ、すごくびっくりしたんだけど。  誰もいないはずの部屋から物音がして。  そして、急にデートとか旭輝が言い出すから。でも、なんだ。仕事も兼ねてるのか。怖がりだからびっくりするのとかもちょっと苦手で。ほら、心臓が……。でももう大丈夫。それなら。 「今日、寒くなるんだっけ? ならあったかくしていかないとだな」 「……」 「イルミネーション見るから」 「ぅ、ん」  柔らかく微笑まれた。 「聡衣」  泥棒がいるのかと思ってびっくりした。  デートなんていうからびっくりした。  でも、デートじゃなくて仕事の一環なら、大丈夫。  大丈夫、でしょ?  ねぇ、俺の心臓。  なのに旭輝がニコッなんて笑って。 「髪が柔らかいからか……すげぇ、寝癖だな」 「!」 「爆発してる」  その爆発してるらしい俺の髪に触れたりするから。  通常運転に戻っていいはずの心臓が、ドクドクって、また急に、騒がしくなって。まるで、嬉しそうで、形になりそうな胸の内の何かを慌てて手で払って、かき混ぜて、ごちゃごちゃに輪郭をなくすのに、朝から忙しかった。

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