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第32話 範疇外

 動物園に着いたのは午後、お昼をちょっと過ぎたくらい。  十二月でも、日差しが当たるところだけっこう暖かくて。肩を縮めていないと耐えられない、みたいな寒さはなく、コートにボリュームのあるマフラーをして少し歩くと暑いくらい。ちょっと服選び、失敗しちゃった。 「やっぱ平日だと人があんまりないな」 「……うん」  旭輝も暑いのかダークグレーのウールコートの前を開けて日差しに目を細めながら歩いてた。  本当に平日だとこんなに空いてるんだ。のんびりしてて、今日は雲もほとんどない快晴だから、散歩日和で。 「すげ……カンガルー、ただのおっさんだな」 「っぷ、ホントだ。すごい、あそこのカンガルー肘ついて寝てる」  横向きになって、片腕の肘で身体を支えながら、ものすごーく気持ち良さそうな顔をして日差しを浴びてる。すごい寛いでるおじさんみたいな姿に笑うと、旭輝が隣で別の方向のカンガルーを指差した。 「あっちもすげぇ」 「え、どこ、」  無邪気に振り返ると、すごい、近かった。  思わず、ぎゅって身体がフリーズしたくらい。  向こうにしてみたらなんてことない距離感、なんだよね。同性だもん。いや、こっちも別に意識、なんて、してないけど、ノンケ相手に、恋愛対象外の同性相手に距離感なんて気にしてないけど。 「あは、あそこもすげぇな」  気になんて、してないし。 「聡衣?」  ほら、一人で意識したりして。おかしいじゃん。だから、ちゃんと。フツーに動かないと、ね、心臓。 「カ、カンガルー気持ち良さそう。次は、えっと」  意識しない。意識しない。そう自分に言い聞かせて。 「それにしても、すごいね、本当に人がいない。土日だともう少しいるのかなぁ。アパレルとかやってもそうだけど、土日との落差ってすごいよね」 「聡衣は」 「?」  とりあえず、パッとその場を離れて、さりげなく距離を離して。 「聡衣はデートでこういうとこ来ないのか? 彼氏と」 「あー、あんま来ないかなぁ。なんか、動物園って家族連れのイメージがあるからかなぁ。なんとなく、縁遠いっていうか。それに動物園とか、あんま来たがるキャラじゃない奴だったり」  男同士、だからね。 「じゃあ、久しぶり?」 「あー、うん。何年ぶりだろ……わかんないけど。すっごい久しぶりだよ。最後にこういうとこにきたのは子どもの時かな」 「へぇ」  土日、だったかな。最後に来たのは。  子どもの頃、連れてきてもらったのが最後な気がする。もうそんなに覚えてないけど、もう少し人がたくさんいたような。それでお弁当とか広げると隣の家族もすぐ近くでお弁当を広げてて。そんなことをうっすら覚えてる。 「なら、よかった」 「え?」  でも今日はほとんど人がいなくて、日差しは穏やかで、どの動物もカンガルーほどじゃなくても、のんびりしてて。  時間そのものが穏やかだった。  そして、その空気も時間も全部が穏やかでポカポカとしている中で、ちっとも力の入ってないナチュラルな旭輝が優しく微笑んでた。 「いや、久しぶりの動物園、天気もよくて、よかったっていう方の意味」  微笑みながら、こっちを見つめて、眩しそうに目なんか細めるから。なんだか、すごくすごく、優しくしてもらっているような、そんな錯覚をしてしまいそうになる。  まるで、旭輝が俺に特別優しくしてくれてるような、そんな、本人に知られてしまったら大笑いされそうな自惚れが、ほんのわずか胸に芽生えそうで。 「旭輝こそ、こういうとこデートとかで来たりすんの?」  急いで自分なりに、覚えておかないとって思った。  旭輝は恋愛対象が女の人で、デートをするのももちろん女の人で、だから、俺は範疇外で。 「あー、いや、来ないかな」 「へぇ、なんか意外」 「そうか?」 「動物好きそう」 「好きだけどな」 「じゃあ」  なんで?   なんで、俺は誘ったのに。  あぁ、デートで女性はこういう場所には誘わないのか。そっか。俺は女の人じゃないもんね。それでこれは冗談半分で仕事で来たのを少しでも楽しくしようってだけだもんね。 「香水」 「え?」 「動物は嫌いだろ? 香水の匂い。それにこういう場所、くさいっていう奴もいるだろ。だから来たことないな」 「……」  そこで思い出すのはとても美人で甘い香りがしそうなあの女の人。旭輝の隣が似合っていて、恋人っぽく見える、あの人。 「聡衣は香水つけないよな」 「そりゃ、つけないでしょ。服売ってるんだよ? 自分の匂いが商品についたらどーすんの? もうそれだけで台無しじゃん。それに、服も、その服を着たいって思った人の気持ちも、買い物の楽しさも台無しにしたくないよ」  香水なんてアパレル店員には絶対にダメに決まってる。柔軟剤は服、傷めたくないから使うけど、それだって洗ってすぐ匂いが残ってるのは着ていかない。そもそも服は三日はインターバルが必要なものなんです。服がくたくたに疲れちゃうよ。 「そういうとこ」 「……ぇ?」 「聡衣のそういうとこ、いいなって思う」 「……」  さっきせっかく自分の言い聞かせたのに。こら、って、抑えて覚えたのに。  ノンケの旭輝は範疇外で。  男の俺は旭輝の範疇外。 「聡衣のそういうとこ、好きだよ」  そう、覚えたはずの胸が、心臓が……ちょっとうるさくて、冷たい風が心地いいほど頬が熱かった。

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