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第34話 腕の中

「いやー、イケメン! 目の保養!」  陽介がわけわかんない。ありがとうとか言いながら手をぱちぱち叩くと、旭輝が笑って、ビールをぐびっと飲み干した。  旭輝に会ったところからずっとテンション高くて。何を話しても手をぱちぱち。 「陽介、はしゃぎすぎ」 「そりゃ、はしゃぐでしょー! ずっと会ってみたいって聡衣には言ってたんだけど、ちっとも会わせてくれなくてさ」 「ちょっ、陽介、いーからっ」 「よくない!」  あんま余計なこと言うなって、肩をぽんって叩いたけど、酔っ払いは気にすることもなく目の前にこんなイケメンいると酒が進むとか言ってる。  でもきっとこんなふうに、きゃーって騒がれちゃうのも慣れてるのか、旭輝はずっとやんわり微笑みながらビールを飲んでた。 「そうそう。久我山さん、ゲイバー、初めてなんでしょ? どんな感じ?」 「んー……まぁ、普通……よりは小さいけど」 「あはは、狭いよね」  小さな丸テーブルを囲むようにして三人で座ってる。いつも陽介と飲むバーじゃなくて、別のとこ。少し大きめな場所にしたけれど、それでも普通の居酒屋よりはずっと狭い個人経営の飲み屋。 「で? 今日は、動物園デート? だったんでしょ? 久我山さん」 「そ」 「ちーがーう! 旭輝も乗らなくていいって。今日の陽介テンション高すぎ」 「いや! 聡衣のテンションがフツーすぎ! こーんなイケメンとデートしておいて、なんだそのフラットなテンション」 「デートじゃないってば。旭輝は仕事で動物園に行ってたの。それに俺がくっついて歩いてただけ」  今日一日何度も唱えた言葉を今度は陽介に言っている。ホント、何度も呪文みたいに唱えた言葉。 「本当かなぁ」 「何が?」  その笑い方、もうホント。って呆れてても、今の陽介のテンションには全く効果はなくて。  一人でニヤニヤ笑ってる陽介はメニューをパタパタとこっちに向けて仰いでからかっている。 「だってさぁ、この前、イケメンエリートと同棲って話聞いた時は、苗字で久我山さんって言ってたのに、今は名前だし」 「それはっ、色々あって」 「んー、でも同じ歳なんでしょ?」 「そうだな」 「偶然見つけたんでしょ?」 「あぁ」 「んもー! 運命でしょ!」 「あのねぇ、名前呼びと運命どうこうが繋がってないってば。もう本当、旭輝は明日も仕事だから。陽介、マジであんま絡み酒しないように」 「出た! 漂う彼氏感!」 「違うってば。そもそもゲイじゃない旭輝に迷惑かけないようにってことっ」  そこで、陽介がキョトンとした。 「そっか……ノンケ、なんだっけ」 「そう、だから迷惑かけないように」 「じゃあ……そっかぁ。残念」  そう「そっかぁ」なの。 「聡衣、ノンケは恋愛対象外、だもんね」 「そうだよ」  頷いた。  ぎゅって結ぶみたいに。  気持ちをさ、ぎゅっと紐で結ぼうとしてたのに、どうしてもずれて滑って上手くまとまらなくて。でもどうにかして束ねるみたいに。  一人じゃ、何度重ねても重ねても、溢れて流れて広がっちゃいそうな紙の、気持ちの言葉が書かれた紙の束。  ノンケだってば。  範疇外でしょ。  恋人の演技してるだけ。  期間限定だってば。  そんな言葉たちを陽介からの言葉がぎゅっと二重に、ぐるぐると紐で包んでくれたみたいに。  ぎゅって、束ねて留められた。 「だから、そういうのじゃないから。陽介も無駄に、はしゃがないように」  もう溢れて広がることのないよう。  ぎゅっと固結びで縛って留められた。  後で謝らなくちゃ。  陽介の最初のテンション、絡みすぎだし。  途中、ちょっと旭輝、お酒飲むペース落ちてた気がするし。疲れたよね。俺が歩き疲れたってことは旭輝もそうでしょ? アパレル販売の基本は立ち仕事だもん。案外足腰には自信ある。そんな俺でも疲れたんだから。エリートの旭輝はもうヘトヘトのはず。  それに、もうけっこう遅い時間じゃん。  そろそろ帰らないと、だよね。  腕時計の時間を見て、トイレの鏡に映る自分をじっと見つめた。  顔、少し赤いかな。でも、外はきっと寒いから辿り着く頃には酔いも冷めるでしょ。  明日はそれぞれ仕事だし。早く帰って、先に旭輝にお風呂入ってもらって――。 「おーい」  早く休めるようにしてあげなくちゃ。 「ね、君ってさ、フリー?」 「……」  トイレのところに男が立っていた。知り合いじゃない。歳は二十代後半? スーツを着てるから落ち着いて見える。 「奥の丸テーブルのところで三人で飲んでるよね?」  ここ、ゲイバーだし。まぁ、これは、ナンパ、かな。 「一緒に飲んでた二人すっごい盛り上がってたね。友達に彼氏自慢でもされてた? でもってフリーだったりする? かなぁなんて? まぁ、俺の願望なんだけどさ」  陽介、ニッコニコだったもん。  そっちの方がペア感、確かにあったかも。俺は、できるだけ距離とるっていうか。身構えてたし。 「君がフリーだったらいいなぁなんて」 「……俺がフリーだと何かあるの?」 「退屈だったりしないかなぁって。俺と一緒に飲まない?」 「……」 「俺もフリーで今日来てるんだ」  軽そう。顔あげるとにっこり笑顔で「どう?」なんて首を傾げてる。 「悪いけど……」 「えぇ? いーじゃん。別に楽しくなさそうにしてたじゃん。あっちでさ。それならこっちおいでよ」 「だからっ、別にっ」 「あ、もしかして、友達の彼氏狙い? イケメンだったもんな。でもさぁ」 「! は? そういうんじゃないけどっ」 「いーからいーから」 「もう向こうでくっついちゃってるんだし、それを見ながら酒飲んだって美味くないでしょ?」 「だからっ」  陽介と旭輝がカップルだと思い込んでるそのバカなサラリーマンは諦めることなく、トイレを出て行こうとする俺の前に立ち塞がった。 「悪いけど、退いてくれる?」 「やーだね。俺の好みだったんだ。一杯でいいから付き合ってよ」 「だからっ、悪いけどっ」  酔っ払い。  また横を通り抜けようとする俺へとにっこり笑って、進路を妨害する。 「あのさっ」 「いーじゃん。カップルの側で酒飲んでたって退屈でしょ?」  右がダメなら左って一歩横にずれるとまたそこにもくっついてきて。 「っ!」  ニヤニヤ笑いながら、まだ食い下がろうとするそいつが手を。 「……おい」  俺へと伸ばした瞬間だった。  その手が払われて。 「こっちが付き合ってるんだが?」  その酔っ払いサラリーマンが掴もうとしていた俺の手は、旭輝の腕に引っ張られて連れて行かれた。 「こいつは俺の」  びっくりしてなすがままで、強く引き寄せられて、そのままぎゅっと、隠すように抱き締められた俺は、そんなことをうそぶく旭輝の低い声を力強い腕の中で聞いていた。

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